人前で話せない問題について、本気出して考え直してみた

今年1年を通して、一番課題として浮かび上がっていた問題が、圧倒的に人前で上手く話せないことだった。
会議では相変わらずほぼ発言することができず、司会をしようにも言葉の端々からぎこちなさばかりが垣間見え、予定されていなかった台本外の言葉は言葉がうまく繋がらなくなってしまう。
1分好きなものについて話し続けましょうとか、イベントの感想をその場でグループでシェアしましょうとか、そういうシーンで言葉がつくれなくて、いかに話さないで時間をやり過ごすかに必死になる。
これは今に始まったことではなくて、うまくできた試しが人生を通してほぼ一度もない。
仕事がどうこうとかでもなくて、プライベートでも人が複数いるシーンでとにかく上手くいかない。
仲が良い友達との女子会も、元職場の仲間との再会の飲み会も、楽しいシーンでも上手く話せない自分に話がまわってくるのが怖かったし、それだけでなく相手の話に上手く返すことすらできない。
自分が口を開かずにその場が終わってくれることを、心から望んでしまっている。

英語学習に関する記事で、人は母語で言葉を発する時、頭の中で用意した文章を口にするのではなく、その場で考えながら言葉を口に出すことができるのだと読んだ。
私は、それができない。
1:1ならまだしも、目の前の人が多くなればなるほど、頭の中でつくり上げた文をそっくりそのままなぞろうとばかりしている。
その場で考えながらなんて、話せなかった。
台本があれば文章をなぞれるからなんとか場を持たせられても、ひとたびそれを忘れてきてしまったら、何度かやっている場でも崩壊させてしまう変な自信がある。

じゃあなぜ母語なのにその場で文を考えながら話せないのか。
それは多分、そもそも話すことが得意ではないことと、目立ちたくなく人前で極度に緊張しやすいことの両方が合わさってのことだと思う。
苦手なことを苦手な場でやったら、それはもう上手くいかなくて当たり前な気さえしてくる。
だけど、周りの人は皆それを卒なくやってのけていて、もうちゃんと大人な私は、周りの誰かに心配されたり時には不信感さえ抱かせてしまうくらいにそれができない。

この1年、このテーマについて、話したくない自分と話せるようにならなきゃいけない自分の間で戦ってきた。
話したくないからもう諦めて他の部分に特化しようと何度も結論づけて安心してはみるものの、結局話せない自分は周りの誰よりも話すことが下手だから世の中の普通の人が普通にできることができないダメ人間だという意識から抜け出せなかった。
かといって話せるようになるために行動計画を立てても、嫌すぎて毎回絶望的に落ち込んで逃げまどってきた。
結局今も、私はイベントで感想シェアを求められても支離滅裂な一文をなんとか頭の中でつくってそれを必死になぞるような言い方しかできないし、できる限り言葉を発したくない気持ちが強すぎて会議で発言できることもほとんどない。

散々向き合うか諦めるか考えてきたこの問題は、やっぱり向き合うしかないのだと思う。
苦手だけど、それができないことで自分が劣等感に打ちのめされてしまうから。
他のことでいくら埋めようとしても、自分がダメな人間だという理由にここを結論づけてしまうから。
大人として私はそれができるようになることが「普通」で「必要」なことだと思うし、それはあながち世の中の共通認知として間違ってないと思う。
頭の中で思い描く「できる人」は、自分の考えを綺麗にまとめあげて上手く言葉を紡いでいくし、考えをきちんと言葉にして伝える。
私が自分の理想を叶えるということは、その自分の頭の中にある「できる人」をどう体現していくかというストーリーだ。

じゃあ今、ここまで壊滅的に話すことが苦手な私は、どこから何をどう手を付けていくか。
まずそもそも話すことに対して苦手意識が強いから、1:1くらいのシーンで自分の話をすることを増やそうと思う。
聞き役に回る方が楽だし自分のできなさから目を背けていられるけれど、練習として一番言葉をスムーズに口から出せることに繋げられるのはこういうシーンだ。
できない自分を出しても、できないことは私と相手の2名だけの認知で、それ以上のできなさにはならない。
訓練をするなら意識的にやりやすいのはここだ。

次に人前というシーンに慣れる必要がある。
話すことを訓練したところで、人前での緊張感は続く。
ではどうしたら緊張を和らげられるか。
場数を踏むという考えは、正しいけれど無責任だと思う。
だってできないまま場数を踏んだってできない証拠が膨大になるだけだから。
だからテンプレをつくってしまおうと思う。
「こういうところが良かった」「こういうところに共感した」「こういうことが印象に残った」こんなことを意識的に普段から準備しておけば、急にふられたときでも言葉と言葉を対応表のように結びつけるだけで3つくらいセンテンスがつくれる。
それで成功体験が積めれば少しずつ応用を利かせられる余力がでてくると期待して。

これでうまくいくかはまたわからないけれど、実行可能性は高そうだし、やる価値は十分にあると思う。
内向的だから諦めよう・できなくてもいい、と思ったことも、世の内向的な人だって上手くこなしてるから、やれるようになるべきなのだろう。
でもある程度の高さのハードルを越えたら、無理をして外とのつながりに頑張るよりも、得意なやり方にシフトしていけたらいいなと思っている。
デジタル自体の今だからこそ、外向けのことに頑張る一方でも、内向的でもやりやすいやり方をもっと模索したい。

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