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カンダユウコ
2020年6月14日 16:24
いなくなった人をあなたは何で記憶しているのだろう。それは十二月のある晴れた週末のこと。その日の夜、私とマユミさんは渋谷のNHKホールに行くことになっていた。マユミさんは同い歳で、三十過ぎてから引っ越した地方都市で初めてできた友だちで、大学時代を東京で過ごしたのも同じ、音楽やアートの趣味もわりと似通っていた。子どもは夫に預けて、久しぶりに東京に繰り出そう。矢野顕子のコンサートがあるんだ
2020年10月3日 11:24
水路沿いの道は長い。長いけれど、時間があり余った小学生三人にはちょうどいい暇つぶしの道だ。柵も何もついていない水路を左に、自分たちの首元くらいまで伸びた草むらを右手に、わたしたちがめざすのは海。浜辺にたどりつくのに何キロの道を何分くらい歩くのか、時計も携帯ももっていない小学生には見当がつかない。わかっているのは遠いということ。けれど夕飯の時間には家に戻れる距離だということ。長くて、単調で、
2020年8月2日 23:23
新宿区の舟町というところに、かつて小さな画学校があった。アートの世界に強くあこがれていた私は、二十代の二年間、週に三日ほどそこの夜間クラスに通った。私なんかが通うことができたのは、選抜試験がなくて授業料も安かったからだ。生徒募集がはじまるというその日、私は早起きして豪徳寺から電車に乗った。都営新宿線の曙橋で降りたあと、どんな街並みをどのくらい歩いたのかは思い出せない。憶えているのは真っ白な
2020年6月25日 14:26
親のしていたことをそのまま自分もしているのを思わず発見し、はっとすることがある。私の場合は針と糸をもったときだった。糸についたクセを取るために、両手でぴんと張った糸を親指ではじく癖が私にはある。いま、中学の家庭科では裁縫とかするのだろうか。するなら何を作るのだろう。私が中学の家庭科で初めて縫ったのはノースリーブのブラウスだった。すごいでしょ? 洋服縫ったんだからね、と中学に上がった娘に私
2020年5月6日 13:36
伯母を一度だけ泣かせたことがあった。小学二年のときだった。その頃、私は伯母と同じ部屋で寝ていた。物心ついたときから夜寝るときはいつも伯母の隣だった。父と母は別の部屋で寝ていた。妹が生まれてからは妹が父と母の部屋で寝て、私は相変わらず伯母のとなりに布団を敷いてもらっていた。その日は合い掛け布団をかぶっていた記憶があるから、たぶん春か秋だったのだろう。その部屋には、私が生まれるはるかまえに死ん