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記憶

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思い出の中の人たちのこと
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舌の記憶  ル・ゴロワのケーキ

舌の記憶  ル・ゴロワのケーキ

いなくなった人をあなたは何で記憶しているのだろう。

それは十二月のある晴れた週末のこと。
その日の夜、私とマユミさんは渋谷のNHKホールに行くことになっていた。マユミさんは同い歳で、三十過ぎてから引っ越した地方都市で初めてできた友だちで、大学時代を東京で過ごしたのも同じ、音楽やアートの趣味もわりと似通っていた。

子どもは夫に預けて、久しぶりに東京に繰り出そう。

矢野顕子のコンサートがあるんだ

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こどもの情景 女の子が18歳で海を捨てる決心をするまで

こどもの情景 女の子が18歳で海を捨てる決心をするまで

水路沿いの道は長い。
長いけれど、時間があり余った小学生三人にはちょうどいい暇つぶしの道だ。柵も何もついていない水路を左に、自分たちの首元くらいまで伸びた草むらを右手に、わたしたちがめざすのは海。

浜辺にたどりつくのに何キロの道を何分くらい歩くのか、時計も携帯ももっていない小学生には見当がつかない。わかっているのは遠いということ。けれど夕飯の時間には家に戻れる距離だということ。
長くて、単調で、

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一瞬の驚き ものをつくるということ

一瞬の驚き ものをつくるということ

新宿区の舟町というところに、かつて小さな画学校があった。

アートの世界に強くあこがれていた私は、二十代の二年間、週に三日ほどそこの夜間クラスに通った。私なんかが通うことができたのは、選抜試験がなくて授業料も安かったからだ。

生徒募集がはじまるというその日、私は早起きして豪徳寺から電車に乗った。都営新宿線の曙橋で降りたあと、どんな街並みをどのくらい歩いたのかは思い出せない。憶えているのは真っ白な

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手の記憶  糸を指ではじく

手の記憶  糸を指ではじく

親のしていたことをそのまま自分もしているのを思わず発見し、はっとすることがある。
私の場合は針と糸をもったときだった。糸についたクセを取るために、両手でぴんと張った糸を親指ではじく癖が私にはある。

いま、中学の家庭科では裁縫とかするのだろうか。するなら何を作るのだろう。
私が中学の家庭科で初めて縫ったのはノースリーブのブラウスだった。
すごいでしょ? 洋服縫ったんだからね、と中学に上がった娘に私

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涙の理由

涙の理由

伯母を一度だけ泣かせたことがあった。小学二年のときだった。

その頃、私は伯母と同じ部屋で寝ていた。物心ついたときから夜寝るときはいつも伯母の隣だった。父と母は別の部屋で寝ていた。妹が生まれてからは妹が父と母の部屋で寝て、私は相変わらず伯母のとなりに布団を敷いてもらっていた。その日は合い掛け布団をかぶっていた記憶があるから、たぶん春か秋だったのだろう。

その部屋には、私が生まれるはるかまえに死ん

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