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オートクチュールの音楽-コンサート制作記③

コンサート制作記、第三弾です。
前回記事はこちら↓

今回は、コンサートのために新曲を作ろうということになった話の続きです。

ソプラノとメゾソプラノの2人の歌姫が歌うこちらのコンサートにおいて、とびきり美しい重唱でこラストを飾ろうと思ったものの理想的な曲がなく…それならば新曲をつくりたい!というアイデアに落ち着いた。

そこで最初の関門にぶち当たる。

で、まずは何する?

人に言えないコンセプト

クラシック音楽のいくつかのお作法に加え歌いたい音楽の要素をきちんと入れた曲というものを作るにあたっては、クラシック音楽、とりわけ声楽に特化した専門家にお願いしたいというのは全員が一致していた。そこで、おさとが普段よりレッスンを受けており心から信頼している音楽家の方を頼ってみたい、と申し出があったため、是非お任せしようとしたのだが…

なかば勢いで決まった愛人と妻というコンセプトは、もう少し具体化した方がよかった。
今の私たちが言葉の外側で共有している「言いたいこと/やりたいことがお互いに何となくわかる」という感覚はとても大事だしありがたいけど、その状態だとまだ「他者に伝える」というステップに向かうには不十分だった。
長い時間をかけて構築された関係の中にのみ成り立つものは、尊くて脆い。ふわふわとした魂のようなその感覚に、殻を纏って、姿を得る必要があった。

もちろん、おさととまいまいのやりたいこと、歌いたい歌を演ることが一番大事だ。その上で、背骨のように通ったコンセプトの姿をもう少しきちんと見える化したいと思った。

というわけで、企画書を作った。

型があるから型破り、型がなければかたなしよ

こういうとき、「言葉」と「型」は役に立つ。
さまざまな人たちが暮らすこの世界において、意思の疎通として使う数少ない共通点の一つだからだ。言語化して書面にするというのは、内なるものが外界に向かう第一歩だと私は考えている。

社会人としての暮らしもそこそこの年月になり、数々の型式ばった書類を見たり作ったりする機会に恵まれてきた。私は企画書と呼ばれるものが大好きである。白い紙に文字だけの、無機質な情報の羅列。その向こうにあるのは、まだ見たことがない無限のカラフルな未来なのだ。想像の余地しかないその書類だけでも心が躍る。

作ってみた企画書が、こちらである。

日時、場所、メンバー、概要。
情報としてはあっさりしたものではあるが、あらためて書くことにはやはり私たちにとっても意味があった。立ち返る地点として、今もこの概要部分は何度も見返している。もしも新しいことをやりたくなったら、この型を破ればいい。

そして、この情報に加えて書き足すべきものがまだあった。新曲は重唱なのだが、ほかに歌う楽曲群のフィナーレとしての機能も併せ持って欲しい。なので、歌う曲のラインナップ、特に他の重唱はどんな思いを持って選び、歌うかも書き添えた。前回記事に書いた曲の解説に加えた新曲のイメージはこうである。

新作デュエット
◆正妻(S)と愛人(MS)
モーツァルト自身を、モーツァルトの音楽をそれぞれの想いで深く愛したふたりは、モーツァルトにとってもそれぞれが無くてはならない存在として彼を時に癒し、時に怒らせ、そして昂らせたことだろう。
 ソプラノ=正妻は彼の挑発的とも取れる音楽的欲求にいつも軽々とそして華やかに応えてきた。彼女以上に最良の女はいない。どんな時代であろうとも、私があなたの願いを全て叶えます。どうぞ心ゆくまで譜に加線なさい。

「私はなんでもしてあげる あなたを飲み込む程に かわいいかわいい 私のヴォルフィ(←ヴォルフィでも良いけどモーツァルトが用いそうな比喩「僕の肺臓さん」みたいなのにしたい)」

決然と正面からモーツァルトを見つめた女。

 一方のメゾソプラノ=愛人はモーツァルトに導かれて自分の世界を広げていった。モーツァルトが愛人に与えたオーケストラは優しさに溢れ、彼女は自身だけでは知る由もなかった柔らかな自我を含み香のように芽生えさせていった。

「あなたはわたしの先生で わたしを知り尽くすだけでは飽き足りない わたしもあなたも知らないところへ 甘美な現よ夢よ まどろみは衣摺れ 朝をやぶれば照らしておくれ 無数の雨は耳を撫で 風が肌を惑わせる 深き森に静寂を 驚かせてはまた笑いましょう」

 正妻と愛人。白と黒もしくは赤と青。どちらも欠けてはならないコントラストとしてお互いを羨み、妬み、尊敬していた。どこまでも優しく強くしなやかにモーツァルトをおもうふたりの声が重なり合う時、我々はそこに何を見ることになるのだろう。

最後に来る歌を作る。
改めて、柔らかな空気の層みたいな緊張が私を包む感じがした。

骨は私、肉はあなた

アウトプットの第一歩を踏み出してコンセプトを見つめ直したとき、本当に自然な流れで歌詞は自分たちで作ることにしたいと思った。おさとと私は書くことも好きなので、あとの三人の意見も取り入れつつ基本は2人で担うことにした。

たぶんそれぞれが好きで読むものにめちゃくちゃ影響されているのだろうけれど、私はシンプルな言い回しが比較的得意で、おさとは装飾的な言葉遣いに長けている。したがって、私が歌詞の骨を作り、おさとがそこに肉体と装飾を施す形式にしようと提案したところ…

めちゃくちゃ適任だった。

歌詞を作ろう

そして実作業に移る。
モーツァルト作品をはじめ歌曲が多く生まれた時代の歌詞を踏襲するのであれば、平たく言えばロマンチックで装飾的かつ比喩的な言い回しが欲しい。したがって、骨たる私の作るものに必要とされるのは、伝えたい情報がなるべく解釈や展開の余地がある形で表現されていることだ。
といってもそこに苦しみはない。構想を形にする喜びというのは何度味わってもたまらない。

構成として、妻と愛人それぞれがメインメロディを歌ったのちにモチーフが重なる重唱に運ぶのが美しそうだと考えた。
提出した歌詞は、下記である。


(妻パート)
私がいるからあなたはいる
強い光で照らすなら大輪の花を咲かせましょう
星に悲しみを訴えるならば夜になって全てを包む
どんな時代であろうとも貴方の願いを叶えてあげる
燃ゆる想いも苦しみも掻き立てては呑み込むわ
かわいいかわいいもっと頂戴 
貴方の全て 私のヴォルフィ※

(愛人パート)
あなたがいるから私はいる
わたしを知り尽くしてなお飽き足らず未知へ誘う
気づけば遥か岸辺は遠く甘美な海に船は進む
まどろむ夢は甘く苦くもう2度とこの目は覚めない
肌を撫でる風 抱きしめようにも触れられず
愛しい愛しいもっと奪って 
この身の全て 私の先生

(重唱)
白と黒 赤と青 光と影 薔薇と百合 
私がいるからあなたがいる
あなたがいるから私がいる


※ヴォルフィ…モーツァルトの愛称

そして、より解釈の余地を残すために概要、つまり骨は骨でも背骨だけver.も作成した。
それが下記である。

私がいるからあなたはいる
あなたの全てを掻き立てて呑み込む

あなたがいるから私はいる
私の全てを捧げても足りない

お耽美J-POP感。
この文章がおさとの手にかかると…


1.
歩む数だけ 
あなたの心に牙をたて
脈打つ数ほど
咲かせた赤い薔薇の花
おいでなさい
私に倣い ついてきて
さすればやがて熱を帯び
痣こそ印となるでしょう
そして私はあなたに言うのです
かわいいかわいい 私のヴォルフィ

2.
色のない日に
わたしはあなたに見つかった
掴まれ起こされ
揺られ流れて岸辺は消えた
ゆきましょう
波は濁り うごめいている
錠はほどかれ呼応する
咲いたあなたの百合の花
そしてわたしはあなたに呟く
わたしのことを ずっと見ていて

3.
朝夕奏でる 愛と死よ 
祈りはいらぬ すくわれよ
鏡の向こうに居るあなた


なんということでしょう…
ちなみに、ほとんど訂正なしでここに辿り着いた。私ひとりではたどり着けなかった言葉の境地。こういう化学反応を味わいたくて、私はたぶん人と一緒にものづくりをするのが好きなのだ。

どんな物語が、ここにあるのか

さらにオーダーの際に伝えたい言葉として、歌詞の奥にあるものについてもおさとは書き連ねてくれた。

【1節目:正妻】
 ともに過ごし歩んできたその日々、天性の歌声でモーツァルトの心を刺激し、ときめかせ、あるいは抉り、跡を残してきた正妻。モーツァルトの才能を誰より理解し愛していたが、酒に浸り馬鹿騒ぎに興じる彼との毎日は、彼女をただの恋する乙女から、彼を立たせ、歩かせ、文字通り支えとなる一輪(花)へと成長させざるを得なかった。
王者の花は棘を持つ。不意に触れれば飛び上がり、厚くおし込み流れ出る血はあたたかい。天に向かって燦爛と、牙を露わに咲き誇る。絶対的な美こそ彼女の生き様。
彼女の歌声に掻き立てられ、取り憑かれたように難曲を作り続けたモーツァルト。彼本人すらも気づかぬうちに彼女の想いは二度と消えない痣となり、もはやそれがモーツァルト声楽作品の象徴であると謳われた。


【2節目:愛人】
 頭が良く子供の頃からどこか達観したような考えをしていた愛人にとって、世の中というのは実につまらないものだった。全てがだれかの思惑通り。どこでもだれもが台本通り。心を揺りうごかすのは自然がもたらす奇跡のみ。そんな彼女の目の前に現れ、頑なに閉ざした彼女の欲望を優しくこじ開けたのがモーツァルトだった。光差す世界は波のように姿形を変え続け、些細な人の機微すら愛おしくなる。波は欲望が混ざり合い黒々と濁ってゆく。
毒をもつ根に咲く純潔。消え入る声で’わたしを見て’と見つめてくる。その美に魅了された生者はゆるやかな死へと誘われる。あなたの最後にやさしい眠りを捧げたい。
彼女の根に気が付き、魅入り魅入られたモーツァルト。彼が描くと彼女は瞬(またた)く。不意に煌めく彼女が見たくて、彼は死のその年まで紙にインクを滲ませた。


【3節目:正妻と愛人】
 正妻は赤き太陽。愛人は白き月。ひとりの男とともに在ることが彼女たちの望みだった。正妻と愛人は互いをよく知らない。知らない方が自分のためだとわかっていた。想いは同じだとわかっていたから。だから、きっと彼女も救われていると思いたい。神への祈りなど不毛。彼女たちは確かに、彼とともに生きたのだから。

ああ、ここでも、私は言葉の持つ不思議な力を思い知ることになる。意図せぬ喜びではあったが、今回の演奏会の根底にある物語をそのまま書き出すことに成功したと言っても過言ではなかった。

言語化するというのは、無限の可能性を既存の型にはめることではない。見えない何かを見えるものにする魔法のようなことだと、私は思う。
その不思議を日常的に浴びているからこそ、人類というものは美や音や香りや声や思想みたいな見えないものに惹かれ、なんとかして見えないものを見ることに憧れ、心を砕いてきたのかと思うほど嬉しかった。
歌詞と物語は、これでいくことにした。

メロディーを紡ぎ、仕立て、纏わせるひと

そうして出来上がった歌詞を、おさとの信頼する音楽家の方にお送りすることになった。
彼の名前は、根本卓也さん。チェンバリスト、指揮者であり、声楽にも明るい方である。おさとは彼のもとでバロック声楽を習っているのだそうだ。

http://nemototakuya.info/profile/

おさと曰く、根本さんはいわゆる師弟関係である中であらゆる思想や妄想や私生活諸々の話が憚りなくできる方であり、知識がはるかに豊富でどんな演奏がプロの世界で良質であるかを具体的に指導もしてくださる方だから、現実的な理想の話ができるそう。
そんな方と巡り会えるなんて羨ましい。良き修練は良きご縁を結ぶ。

根本さんからいただいたご提案は、下記の通り。

曲調は「モーツァルトのパロディ」みたいになればいいかな、と思いますが、必然的にシュトラウスっぽい方向に触れる気がします。
シミュレーションしてみましたが、1.と2.はほぼ同時進行で、双子のようなデュエットになりそうです。3.は曲の締めでユニゾンもしくは単純な3度や6度のハモリで作曲することになるでしょう。

そうすると、その両者の間に、2人の性格の違いを表す部分が必要になります。オーダー通りの曲調にする事を考えると、

妻: イタリア語で2行
愛人: ドイツ語で4行

程度で、それぞれ1.2.の内容を要約したような詩節を追加執筆お願いできますでしょうか。

かなりハッキリしたシミュレーションが、新しい課題とともに返ってきた。より良いものにするために磨く手段として、さらに言葉を紡ぐ。

一瞬怯んだが、おさとがまずは要約に向き合ってくれた。出来上がった言葉に、私たちは称賛しかなかった

要約詩といわれたけど、性格の差を表すならそれぞれの花のことを歌ったらどうかと思い書いてみた、とのことであった。
さながら、信頼する仕立て屋が作り上げるドレスにとびきりの花を添えるみたいで、眩しかった。ここからおさととまいまいの手によって翻訳が施される。モーツァルトと、2人の女。彼と、彼女たちのいた世界が、こうしてまた近くなっていく。

私たちがものづくりから離れられないのは、次から次に新しく考えることが生まれてきて、その先の新しい景色を見続けられる快感を忘れられないからだと思う。私たちの手で壁を乗り越えて、壊して、彩って!

そうして見えたきたものを世界に還していくことの尊さを、この制作を通して思っている。
もう少し先の完成を、我がことながら心から楽しみにしている

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