記事一覧
与論の海の生物たち①海洋概況
①与論町誌のページ数
49(上段)~53ページ
②要約
●言わずもがな、与論の先人は古くから海と深く関わって生活してきたよ。
●雲の流れ、潮の流れを観察して天候を読み解き、農業や漁業を行ってきたよ。
●黒潮は方言で「クルシュ」。黒みを帯びた濃藍色の潮流だから。
●黒潮の源は、ルソン島東沖の潮流と推定されているよ。
●台湾の南東部あたりが、黒潮の始まりであると考えられているが学問的には明らかに
与論に住まう陸の動物③爬虫類や昆虫類
①与論町誌のページ数
44(上段)~49(上段)ページ
②要約
●与論に生息するトカゲは、キノボリトカゲ・アオナカヘビ・ミナミヤモリ・オオグロヤモリ・オキナワヤモリ・オオシマトカゲ・ヘリグロヒメトカゲがいるんだよ。(家でよく見かけるヤモリは、オ(ホ)オグロヤモリ。方言名、ヤドマブヤー・ヤドゥマーブイ。「家守りという意味が込められている」)
●与論に毒蛇はいないよ。
●アカマタは方言でマッタ
与論に住まう陸の動物②鳥類
①与論町誌のページ数
40~44(上段)ページ
②要約
●キュウシュウキジは、昭和43年に県の林政課によって放鳥されたよ。
●ホロホロチョウとコウライキジは、有村治峯氏がサトウキビの害虫駆除の目的で昭和54年に移入放鳥したよ。
●日本の約63%の鳥が移動をする種。移動鳥たちの経路上、与論島は休息地として重要な場所なんだよ。
●また移動鳥たちの、習性の謎を解明するのに与論は貴重な好観察地なんだ
与論に住まう陸の動物①哺乳類
①与論町誌のページ数
36(下段)~39ページ
②要約
●与論は元々沖縄や台湾と連なる一大陸橋の一部で、地殻変動や氷河期を経て現在の島に至っていると考察されているんだって。
●与論にはコウモリがいるよ。出会えるのは夕方から明け方までの暗い時間までのよう。
●ネズミは、食虫類のリュウキュウジャコウネズミ・ワタセジネズミ (オナガジネズミ)。齧歯類のクマネズミ(イエネズミ)・ドブネズミがいるんだ
植物のゆんぬふとぅば
①与論町誌のページ数
26(下段)~36(上段)ページ
②要約
・与論に生えている植物をゆんぬふとぅば(方言)で紹介しているよ。
③感想(私的解釈や学び)
今回は要約いらず。というより、辞書的なページです。
眺めて、知っている植物に「へー。新たな発見!」、知らないものに「そんなのがあったんだ!」と感じるページなので、興味のある方はゆっくり読んでみて、島の植物たちを再観察してみると、たくさ
「ないものはない」=有る、難さ
①与論町誌のページ数
21~26(上段)ページ
②要約
●ソテツは実・幹の髄を、ごはん・餅・みその原料にして食べられていたんだよ。〈毒性が強いので十分水にさらしてから〉
●キャッサバも戦後は貴重な食糧源になっていたよ。
●バンジロウ(グアバ)や野イチゴは野生のおやつなんだよ。
●ヨモギは万能!!餅にもなるし、薬にもなる。
●与論の大木代表格、ガジュマル。その効用は多岐にわたり、神木や玉串
ハイビスカスだけじゃない!与論の植物
①与論町誌のページ数
15(下段)~21ページ
②要約
●与論の植物は約410種類あるんだよ。〈固有種・外来種含めて〉
●与論は標高が低く高い山や河川が無いため、島の陸域がほとんど農耕地として利用されているんだよ。
●⇑そのため、島の植生は二次林(人の手が入った後に、再生したりしてできた、元の植生でない森林)が多い。
●原生林に近い環境が保存されているのは、ほぼ城跡崖下(立長側)のみ。
●海
常夏ヨロン・台風共生、冬は案外寒い!
①与論町誌のページ数
12~15(上段)ページ
②要約
要約するまでもないですが、
●与論は亜熱帯の温暖地域。年間平均気温21度ほどだよ。
●降水量は少なめ、農耕にとっては不都合なんです。
●冬は北西からの季節風で、かなり寒くなる日もあるんだよ。
●いわずもがな、台風の通り道&進路天候点になること多いので災害も多いんです。年平均28個の台風発生。
●台風来ると風水害・塩害があるけど、台風来な
サンゴが隆起、与論の地形の不思議?!
①与論町誌のページ数
5~11
②要約
●サンゴ礁が何億、何万年かけて隆起して出来た島が与論島だよ。
●与論の周囲が約22キロ、沖縄の辺戸岬まで約23キロ。(与論を一周している時間で、沖縄に着けちゃう距離感。ちなみに鹿児島港までは、592キロ。)
●2群の断層線《①北々西~南々東に走る西側に断崖をつくる断層線、②地主神社の北東部から東に走り北側に断崖をつくる断層線》により、西部・北東部・南東
与論は「ゆんぬ」。ゆんぬのゆらい?
①与論町誌のページ数
1~4ページ
②要約
●「ユンヌ」、「ユウヌ」、「ユルン」、「かいふた」、「由論」、「與論」「与論」。時代や表現者(呼ぶ相手)によって様々な呼ばれ方をしてきたよ。
●「ゆんぬ」という呼ばれ方は、十五夜踊り(16世紀から続く伝統芸能)の中ですでに表現されていたよ。
●「与(與)論」という表現は、琉球からきた世之主さんが役職名?人名?にこれをあてたことがはじまりとも。(定説