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サンゴが隆起、与論の地形の不思議?!

①与論町誌のページ数

5~11

②要約

●サンゴ礁が何億、何万年かけて隆起して出来た島が与論島だよ。
●与論の周囲が約22キロ、沖縄の辺戸岬まで約23キロ。(与論を一周している時間で、沖縄に着けちゃう距離感。ちなみに鹿児島港までは、592キロ。)
●2群の断層線《①北々西~南々東に走る西側に断崖をつくる断層線、②地主神社の北東部から東に走り北側に断崖をつくる断層線》により、西部・北東部・南東部の3つの地域に区分される。


出典:本部半島ジオパーク推進協議会,尾方 隆幸,2012

●ハニブ〈空港周辺〉と伊波〈地主神社西側下〉は琉球石灰岩に覆われており、ハニブ一帯にはドリーネが多くカルスト地形になってるよ。
 補足:ドリーネ/雨などによって石灰岩が、炭酸カルシウムによって溶け
 てできた凹地や穴。更に大きくなると、ウバーレと呼ばれる。
 (ポケモンの進化みたいですね。)
●北東部の地域〈中学校付近から北東〉は、海岸線とほぼ平行して同心円状に六段の段丘が形成されているよ。
●南東部〈西区東区付近〉の地域は北西側の最高地点付近から南東の方向へしだいに低くなり、海岸線は断崖が多い。特に南西から南の縁〈前浜付近~翔龍橋〉にかけては海に面して海食崖が発達しているよ。
●地質は古成層、琉球石灰岩層、砂丘などから構成。琉球石灰岩層は、立長一帯と麦屋の一部を除きほとんど全域に分布しているよ。
●赤崎、ワリバマ、寺崎、供利などビーチロック〈板状の石灰質の砂礫岩〉の発達しているところもあるんだよ。
●リーフは堡礁!一部裾礁。

出典:不明,https://4348.co.jp/pdf/coral/coral03

③感想(私的解釈や学び)

地形学って面白い!!「サンゴが隆起して出来た島なんだよ。」の観光案内に、この地形学エッセンスを織り交ぜたら、更に与論を深く知る・もっと好きになるポイントになるかもです。
我々がどこから現れた何者なのか?そんなことまで考えが広がったページでした。読み進めるうちに大陸移動説なんかも出てくるのかな?楽しみです。
専門外過ぎて、わかりやすく端的な要約ができませんでした(反省)。
機会を見つけて、断層や海食崖の具体的場所&写真が更新できるようにします。

④本文引用

第一編概観


第一章 自然環境


 与論島は琉球石灰岩の上に亜熱帯植物が茂り、まっ白なしぶきをあびる珊瑚礁によってとり囲まれ、しけのとき船上から眺めると波間に見えかくれする程度の低平な島である。
 周囲二二キロメートルほどの小さな島ではあるが、四季を通しての豊かな自然の営みに接するとき、島の起源、生き物の由来、人々の歴史、ひいては琉球列島の自然史をたずねてみたい心をかきたてられる。
 琉球列島の地層のうち時代のわかっているもので最も古いのは約二億五〇〇〇万年前のものと推定され、その中にある石灰岩(珊瑚礁からできたと言われている)も同じ頃形成されたと考えられている。また宝島、喜界島以南の島々に分布する琉球石灰岩は一〇〇万年前から数万年前までの間にできただろうと言われている。
 これらの石灰岩のある場所は当時珊瑚虫の成育できる暖かい浅い海の中にあったことになるが、この頃の地層や石灰岩の分布と併せて考えるとき、広い共通の母体からどのようなおいたちを経て現在の島々ができてきたのか、素朴な疑問がわく。
 いろいろな現象が明らかにされつつあるが、なお未知のことがらが多い。私共は過去の歴史を再現することはできない。しかし、現在の自然環境は永い年代を経てできてきたものであるがゆえに、その歴史を我々に語りかけるかたちで営みを続けていると言えよう。

  第一節 地理的概況
一 位置・面積
 与論島は琉球列島のほぼ中央、奄美諸島の南端にあって、北緯二七度五五秒―二七度三分五五秒 東経一二八度二三分 一二八度二八分に位置する。沖永良部島の南方約三二・五キロメートル、沖縄島辺土岬の北方約二三キロメートルの距離にあり、北の方に沖永良部島と徳之島、南の方に沖縄島、南西方向に伊平屋島を眺望することができる。
 航路距離で与論港より鹿児島港まで五九二キロメートル、 那覇港まで一四一キロメートルあり、一九七七年以降は与論-鹿児島間の空路も開設されている。
 島の南北が約五キロメートル、東西六キロメートル、周囲二・九キロメートル、総面積二〇・八二平方キロメートルの低平な小島で、島の約五三パーセントが農耕地となっている。



二  地形・地質
 与論島は地形的には二群の断層線によって三つの地域に区分することができる。すなわち北々西から南々東に断続的に走り西側に断崖をつくる断層線と、島の最高地点(九七・一メートル)の北東部から東に走り北側に断崖をつくる断層線とによって、西部・北東部・南東部の三つの地域に分けることができる。そしてそれぞれの地域は、浸食の程度に差はあれ段丘地形によって特徴づけられる。
 西部の地域は茶花集落とその東側の丘陵を除いて若干の起伏はあるがだいたいにおいて低平である。段丘は形成されているが浸食が進み他の地域ほど顕著でない。 ハニブと伊波は琉球石灰岩に覆われており、ハニブ一帯にはドリーネが多くカルスト地形をなす。与論島のドリーネは直径五〇メートル程度のものが多く、大部分は畑や水田として利用されている。
 北東部の地域は島の最高地点のやや北側の丘陵から北東の方に扇状に広がる地域で、海岸線とほぼ平行して同心円状に六段の段丘が形成されている。この地域については、東側に次々と新しい石灰岩を形成して(環礁ができて)できあがったものであり、ウロー山脈などの稜線の部分がそのときの礁縁、その内側の水田や畑になっている部分が礁湖(与論島でイノーと言われている場所)に相当すると言われている。
 南東部の地域は北西側の最高地点付近から南東の方向へしだいに低くなり、海岸線は断崖になっているところが多く、特に南西から南の縁にかけては海に面して海食崖が発達している。段丘地形は城からハミゴーにかけてははっきりしているが、朝戸から麦屋にかけてははっきりしていない。
 地質は古成層、琉球石灰岩層、砂丘などから構成される。古成層は石灰岩、輝緑凝灰岩、チャート、砂岩、泥岩などの弱変成岩からなり、立長、麦屋(西区・東区・イガイ赤崎付近)に見られる。また琉球石灰岩層は珊瑚類・貝類・有孔虫類などの遺骸を含み、立長一帯と麦屋の一部を除きほとんど全域に分布する。土壌は粘性が強く、水田や畑では干ばつのときに亀裂を生ずることが多い。海岸には有孔虫類・貝類・珊瑚類などの遺骸からなる砂丘が発達している。また赤崎、ワリバマ、寺崎、供利などビーチロックの発達しているところもある。
 海岸沖には海岸線にほぼ平行して珊瑚礁が発達して堡礁ホショウ(一部は裾礁キョショウ)を形成し、島の美しい景観の主要素になっている。
 与論島は低く小さい島であるうえ、川がなく大雨のとき排水溝になる程度の河床があるだけである。したがって水の利用は地下水と天水に依存することになる。地下水は湧水によるか、井戸やポンプによる汲み上げで利用する。
与論島には六つの地下水盆の存在が報告されているが、地下水の利用にあたっては、その収支について十分な研究と考慮が必要であると考えられる。


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出典:「第一編概観 第一章自然環境」.『与論町誌』.与論町誌編集委員会.与論町教育員会,1988,p.7-11

⑤関連記事、関連資料

出典:与論島クオリア,喜山壮一さん

出典:J-STAGE,論文執筆者/尾方 隆幸さん

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