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スポーツで補欠になったら辞めるべき?【逃げずに続けましょう!】

部活やスポーツチームなどで、
補欠になったとき辞めずに続けるべきか
悩んだことありませんか?

補欠になるとつらいことばかり、
クローズアップされがちですが、
考え方によっては補欠経験から学べることは
たくさんあります。

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結論を言えば「逃げずに続けましょう!」

現在、補欠生活を送っているあなたは、
どんなに苦しくても
『今はやめてはいけない』

長い人生、ときには
『逃げる』という選択も大切ですが、
『今は逃げてはいけない』
そんな時期もあります。

なぜなら、
誰もがいつかは社会人になるからです。
そうすると部活よりもっと厳しい競争が
あなたを待ち受けています。

そんなときに自分を助けてくれるのは自分だけ。
だからこそ早い時期につらい経験を
乗り越えておけば多少つらいことがあっても、
『あの時よりマシだ』と思えます。

補欠生活が長くなると、
『負けグセがつくんじゃないか?』
そんな心配をする人がいますが、
それよりも深刻なのは、
『逃げグセ』がつくことです。

私は雑草のような人生を歩んできました。

ここからは私の実体験を踏まえながら、
補欠生活で学んだことをお話します。

■はじめに

将来は絶対プロ野球選手になる!

はずでした…

平成元年、私が小学校六年生の時、
夏の甲子園『帝京高校VS仙台育英の決勝戦』
に感動して野球に目覚めました。

これが悲劇の始まりです。

中学校に入ると当たり前のように
野球部に入部しました。

そのときの私はまだ、
夢と希望に満ち溢れていました。

プロ野球選手になって、
一億円の契約金をもらって、
親孝行して・・・などと、
本気で考えてたのです。

しかし入部して半年もすれば、
ある程度現実が見えてきます。

そもそも、
リトルリーグ経験もない自分が、
中学から野球を始めてレギュラーに
なれる可能性は低かったのです。

しかも、
そのチームには後にプロ野球選手になる
Y君という凄いピッチャーがいました。

そんな男がいるにも関わらず、
私もピッチャーがしたかったのです。

これはあきらかな選択ミス…

しかしこの選択は、
とてもつらかったのですが、
後の人生に大きな影響を与えました。

■自信を失うだけの毎日

試合に出られない人間にとっては
本来楽しいはずのスポーツが、
『生き地獄』と化す場合もあります。

あくまで私の持論ですが、
スポーツを心から楽しんでやれるのは、
小学生までです。

中途半端な気持ちでやると、
最悪の場合ただただ『負け癖』が
ついてしまうかも知れません。

今から30年前の話。

私が野球部に入ったころ、
三年生にいつもスコアラーをしている
補欠の先輩がいました。

そのときの自分は正直、
こんな風にはなりたくない…
レギュラーで活躍したい…と
思ってしまいました。

しかし、
引退時のミーティングで監督が、

こいつがいたから、
お前らはここまでこれたんだ!
と、

その先輩のことを全野球部員の前で、
褒めたたえたのです。

その時の私は、
不思議に感じていましたが、
結果的には私も三年間補欠生活を
過ごすこととなりました。

いわゆる『万年補欠』というやつです。

それでも私は、
野球部をやめませんでした。

正直何度もやめたくなりましたが、
やめる勇気もなかったのです。

しかも最悪なことに、
同じグランドを使っている陸上部には、
近畿大会や全国大会に出場していた
妹と弟がいました。

兄としては絶対に下手くそなプレーを
見せるわけにはいきませんでした。

しかしある日、

何でもない内野フライを兄弟の見ている前で
落球してしまったのです。

悪気なく皆は大爆笑ですが、
私の心はズタズタになりました。

今でこそ笑い話にできますが、
まさに『トラウマ』というやつです。

とにかく、
野球部生活が長くなるにつれて、
私はどんどん自信が
なくなっていきました。

そんな燦々たる野球部生活でしたが、
私は二つのことをやりきります。

■補欠生活で学んだこと

では具体的に私が補欠生活で実践したことと、
学んだことを順番に紹介していきます。

【一つ目】
毎日一番にグランドに来て道具を準備する
【二つ目】
誰よりも声出しをする

野球では勝てませんが、
何か一つでも勝てることを探しました。

■毎日一番に来て道具を準備する

ふつうは、
やりたくない事かもしれませんが、
気がつけば当たり前になっていました。
嫌々していた訳でもなく、
ひたすら毎日同じことを繰り返しました。

この経験は、

・絶対に遅刻をしない
・何ごとも準備をしっかりする

という現在の仕事スタイルにも
つながっています。

■誰よりも声を出すこと


声を出し始めたきっかけは、
ミーティングでの監督の一言でした。

俺は声出すやつしか使わんぞ!

試合に出たいから声を出す。
動機は不純でした。

でもその日から、
誰よりも声を出すことを意識し、
皆にうるさいと思われるくらい声を
出せるようになりました。

私は下手で試合には出られないので、
自分にできる事は大きな声で
チームを盛り上げる、
仲間を応援することしかありません。

私としては、
不本意な結果でしたが、
とにかく声出しは頑張りました。

この経験からは、

・つらい状況下でも腐らずに、
 自分にできることを探す力。
・やりつづける忍耐力。

この二つの力を養うことが出来ました。

*****

逆に一つだけ失敗したことがあります。
それは、

■自分の気持ちを貫けなかった


私はピッチャーがやりたくて、
野球部に入りました。
しかしプロ野球選手になるような
エースがいるわけです。
そんな中でピッチャーをやると
言えませんでした。

結果『ファースト』で万年補欠

ファーストで万年補欠になるなら、
自分の気持ちを貫き通して、
ピッチャーで万年補欠の方が
良かったのに…と、
なんども後悔しました。

しかしこの経験は、

・自分がやりたいと思ったことは
 結果を恐れずにやる!

そのことを腹の底から
教えてくれる経験となりました。

■最後の試合

私は最後の試合で代打で出場しました。

結果は『ライトゴロ』

ライトゴロという
稀な結果をたたき出すというのも
自分らしいなと思いましたが、
永遠に続くようにも思えた補欠生活は、
そこで幕を閉じることとなりました。

試合後のミーティング

ほとんど試合にも出れず
活躍もしてこなかったのに
不思議と涙がこぼれてきました。

まばたきもしてなかったので、
本当にこぼれ落ちたという感じです。

いつも『俺はダメだ』と
自分を責め続けましたが、
そのときは一瞬だけ
『三年間ほんまによくがんばったな』と
自分をほめてあげる事ができました。

その瞬間もっと驚いたのは監督が、

ここまでこれたのはコイツのおかげやぞ

と言ってくれたのです。

当時の私は万年補欠の自分を
無価値だと思っていましたから、
そんなこと言われてもうれしくない
と思っていました。

それでも自分では価値がないと
思っていることも誰かが評価してくれることは
この世の中にはきっとあるんだと思います。

■まとめ

補欠生活は長く苦しく感じます。

それでもその状況をプラスに捉えることが、
できれば人生を生き抜くうえで、
大切なスキルを身につけられます。

↓ 私の学んだことのまとめはこちら ↓

【一つ目】
毎日一番にグランドに来て道具を準備する

✅絶対に遅刻をしない
✅何ごとも準備をしっかりする

【二つ目】
誰よりも声出しをする

✅つらい状況下でも腐らない
✅自分にできることを探す力
✅やりつづける忍耐力

【三つ目】
自分の気持ちをつらぬき通す

✅自分がやりたいと思ったことは
      結果を恐れずにやる!

もし今補欠生活を過ごしている人は、
よほどの事情がない限りは、
『逃げずに続けましょう』

『負け癖』よりもやっかいなのは
『逃げ癖』です。

人生には逃げるという選択が
必要な場合もありますが、
それは最終手段です。

人は苦しい場面だからこそ、
学べることがたくさんあります。

喜劇王チャップリンの名言に
こんな言葉があります。

人生はクローズアップで見れば悲劇だが、
ロングショットで見れば喜劇だ

今現在の苦しい経験は、
花を咲かせるための肥料のようなもの。
人生に失敗がないと、
人生に失敗してしまいます。
それなら早めにつらいことを経験
した方が良くありませんか?

ちなみにこの8年後、
私は三年間の新聞配達生活を経験します。
やり切ることができたのは、
間違いなく野球部での補欠生活で
培った忍耐力のおかげです。

いかがでしたでしょうか?
補欠になってまで部活を続けるべきか・・・
そうお悩みのあなたも『今しか経験できない補欠経験』から
学べることがあると思いませんか?

たしかに目の前はつらいと思います。
それでも逃げずにやり切った経験は、
いつか必ず自分を助けてくれます。
部活で補欠になったからと言って人生が
決まるわけではありません。

つらい経験は必ずあなたの血となり骨となります。
そのことを信じて頑張って下さい!

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