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本当の自分は、決して1つじゃない

「あんまり素でいられてないな」
「ありのままの自分が分からなくなった」

「自分自身が何者であるか知りたい」というのは、「素の自分とはどんな自分なのか知りたい」という欲求に近いのかもしれない。

地元の友人に見せる自分、高校時代の友人に見せる自分、親に見せる自分、上司に見せる自分、部下に見せる自分、恋人に見せる自分。

どれも違う。

そう感じる度に、「本当の自分って何なのだろう」とモヤモヤする。

けれど、実際はどれも本当の自分だ。

「自分はこういう人間だ」

どうも、一つの絶対的な正解を求めてしまっている自分がいる。

正解主義の教育を受けてきたせいにしたいけれど、年齢を重ねれば重ねるほど、正解は一つでないことを学んできたはずだ。

何よりも、それに救われてきたはずだ。

大学卒業までがいわゆる“普通”だと信じてきて、そんな普通から脱落した時、色んな生き方があると知って救われた。

「正解は一つじゃない」、そう背中をさすってくれた気がして、気持ちが少し軽くなった。

「自分自身」だって、きっと同じだ。

友人に見せる自分も、上司や部下に見せる自分も、家族に見せる自分も、特別な人に見せる自分も、どれも自分自身。

誰に対しても、同じ自分自身である必要はない。

そうでなければならない、というのは自分自身の勝手な思い込みだったのかもしれない。

違う自分が存在することを知ってモヤモヤしていたのも、そんな思い込みによるものだったのかもしれない。

僕らは、常に仮面を付け替えているだけだ。

〇〇な自分、××な自分、△△な自分、いくつもある仮面を関わる人や場面によって使い分ける。

使い分けをしているだけで、どれも自分自身であることに変わりはない。

〇〇な自分、××な自分、△△な自分...というのが幾つかあって、それらによって「自分」が構成されているだけだ。


「自分」を知りたかったら、まずは、自分が他者の前でどんな仮面を被っているのか、考えてみると良いのかもしれない。

もちろん、答えは1つとは限らない。幾つあっても良いという前提で。

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おがたのよはく
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