「ガンダムF91」なぜ宇宙世紀は、革命勢力=貴族なのか?
今回は、「機動戦士ガンダムF91」について書いてみたい。
これは富野由悠季が手掛けた正典「宇宙世紀」シリーズのひとつだが、舞台は宇宙世紀123年、つまりアムロやシャアがいた時代から数十年後の世界を描いたものである。
<ガンダム宇宙世紀年表>
【宇宙世紀79年】
一年戦争(「機動戦士ガンダム」)
【宇宙世紀87年】
グリプス戦役(「機動戦士Zガンダム」)
【宇宙世紀88年】
第一次ネオジオン抗争(「機動戦士ガンダムZZ」)
【宇宙世紀93年】
第二次ネオジオン抗争(「機動戦士ガンダム逆襲のシャア」)
【宇宙世紀123年】
コスモバビロニア建国戦争(「機動戦士ガンダムF91」)
見ての通り、「F91」は「逆襲のシャア」から30年後の世界である。
30年ってのが微妙なところだね。
「もう皆死んでいる」というほど歳月が経ってないし、ひょっとしたら旧作レギュラーメンバーのうち、誰かがまだ生き残ってるかもしれん。
だけど、なぜだか誰も出てこないんだ。
「心機一転、旧メンバーは出さない」という方針だったんだろう。
まぁ、その方針も分からんではないが、しかしそれこそが「F91」不人気の要因だと思うよ。
だって「F91」より、宇宙世紀96年を舞台にした「ガンダムUC」の方が人気でしょ?
原作者・富野さんが作った「F91」より、富野さんが直接絡んでない「UC」の方が人気だなんて・・。
だけど「UC」人気の理由は何より、あのミネバ・ザビが主人公の物語であることが大きいかと。
やっぱ、みんな「旧メンバーのその後」を見たいのさ。
ここにきて「閃光のハサウェイ」(宇宙世紀105年)が作られたのも、ようはそういうことでしょ?
といっても、私はこの「F91」という作品をディスる気は毛頭ない。
いやむしろ、素晴らしい作品だとさえ思う。
僅か120分という限られた尺の中で、よくぞここまでドラマをまとめ上げたものだと感心するよ。
本当はテレビシリーズを想定してたものらしいが、なぜか劇場版として公開されることになった本作。
そうなった事情はよく知らんが、確かに「本来はもっと壮大な展開が予定されてたんだろうなぁ・・」と感じさせるところが多々ある。
たとえば、こいつ↓↓
どう見てもタダ者じゃないし、そのポジショニングは明らかに「シャア」であるはず。
何か、出生の秘密、あるいは経歴の詐称とか絶対ありそう・・。
だけどこいつ、結局主人公とのバトルは一度もないまま終わるのよ。
はぁ?って感じ。
こいつ、「シャア」ポジションじゃなかったのか・・。
じゃ、やはり「シャア」ポジションはこいつ↓↓ということだったの?
いやいや、確かに「ガンダム」は仮面をつけた奴が敵役というお約束はあるけど、このフルフェイスの仮面はちょっとニュアンス違う気が・・。
結局こいつ、一度も素顔を晒さないまま退場しました。
ちなみに、ヒロインの父親です。
「実は中身は別人だった」的な「犬神家」っぽい展開も期待したんだけど、そういうのも特になかったみたい。
最終的には、ラスボスのくせにノコノコと最前線にまで出てきて、
主人公と初顔合わせで即戦死という、このへんの肩すかし感がもうタマらん!
というわけで、富野さん的に今回はバトルが主眼じゃなかったっぽい。
描きたかったのは、主に家族関係(毒親問題)だったんじゃないかな。
あと、「貴族」というものを描きたかったんだと思う。
ちなみに↑↑の鉄仮面、一応「ラスボス」と書いたけど本当はロナ家当主じゃなく、立場はただの娘婿なのよ。
磯野家でいうところのマスオさん的ポジションね。
だから、あの鉄仮面を外したら、おそらく中身はこんな顔なんだと思う。
で、カロッゾの嫁ナディアはなぜかカロッゾに愛想をつかし、子供を連れて別の男シオ・フェアチャイルドと駆け落ちしちゃったわけさ。
分かりやすく比喩すると、サザエさんがタラちゃんを連れて、三河屋さんと駆け落ちした、ということになるわな・・。
普通、夫婦喧嘩したら嫁が「実家に帰らせていただきます!」とか言うもんだが、よく考えたらここは嫁の実家なんだし、出ていくなら本来カロッゾの方なのでは?
でも、カロッゾはナディアが出ていった後もロナ家にそのまま残った。
ロナ家当主(ナディアの父)マイッツァーは、なぜそんな事態をOKとしたんだろう?
作中ではその詳細が描写されてなかったが、多分ここに至るまで色々あったんだろうね。
いや、確かにカロッゾはアレなんだけど、当主マイッツアーも少しおかしいと思う。
新生マイッツアーが打ち出した政治スローガンは、「貴族主義」である。
その「貴族主義」とは何なのか?
作中、マイッツアーは孫のセシリーにこう語っている。
マイッツアー「高貴な者が持たねばならぬ義務というものがある。
たとえば戦場での一般庶民たちは怖いと言って逃げ出してもいいが、尊き者の貴族は血を流すことを恐れてはならず、先陣に立たなければならない」
セシリー「人は平等ではない・・?」
マイッツアー「人権は平等だが、同じ人間はふたりといない。
そして何よりも人類と世界を治めるのは、自らの血を流すことを恐れない、高貴な者が司るべきなのだよ」
マイッツアーはこう言ってるが、この人、実は一度も戦場に出てきません。
常に、安全地帯に身を置いてます(笑)。
富野さんが作る物語の興味深いところは、常に体制vs反体制の構図が
・体制派⇒共和主義
・反体制派⇒貴族主義(帝国主義)
となってる点なんだ。
「スターウォーズ」や「銀河英雄伝説」では、この構図が逆だろ?
なぜ、富野さんは時代錯誤ともいえる貴族を革命勢力の軸に据えるんだろうか。
よく考えたら人類が宇宙に進出してまだ百数十年程度しか経ってないのに、この程度の歴史の浅さで「貴族」も何もないと思うんだが?
思うに、これは「貴族主義」というより、血統の優劣を問う「優生思想」だろう。
ヒトラーのアーリア人至上主義みたいなやつさ。
競走馬なんかがそうだが、速い馬の血統同士を交配させたものほど、やはり速い。
このへんを人間に当てはめるのはいまや禁忌とされてるものの(これって、ヒトラー効果だよね?)、それでもエリート主義という形で今なお優生思想は根強く存在してるんだよ。
詳しくは、行動遺伝学者・安藤寿康氏の主張を聞いてもらいたい。
・・まぁ、血統も意外と馬鹿にできないってことね。
確かに、家族がほぼ全員東大卒ってところも実際あるもんなぁ。
で、反体制派(マイノリティ)のコロニー陣営だからこそ、そこには明確な求心力としての「血統」を掲げるんだろう。
ようするに「私は優秀ですよ」というブランドである。
当然、物語の作り手としてはその優生思想に「ナチズム」の匂いを忍ばせ、その危うさを演出したいんだと思う。
元祖のザビ家、そして「F91」のロナ家。
だが皮肉なことに、そういう高貴な血統とは全く関係ないところから優位種「ニュータイプ」が湧いてくる事態になり、「血統関係ないじゃん!」ってのが最終的オチなんだよね(笑)。
こういうところが、富野さん一流のアイロニーだよな~。
血統の因果について、ひとつだけいえることは
カツオ、どっちにしてもハゲる・・
確実なのは、ただそれだけである。
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