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「ガンダム」は、THE ORIGINで確実に「STAR WARS」を超えた

今回は、「機動戦士ガンダムTHE ORIGIN」について書いてみたい。
「ORIGIN」って、コアな「ガンダム」ファンはどんな位置付けで解釈してるんだろう?
「ガンダム」において不可侵の聖域になってるのが、「無印」とも称される「ファーストガンダム」(1979年制作TVアニメ)である。
あらゆる「ガンダム」が全てがここから派生してるわけで、富野由悠季以外はこの宇宙世紀シリーズ(アナザーガンダムではない正典)に手を出すのは結構怖いはずなのよ。
とはいえ、「ガンダム」は富野さんの固有財産というわけでもない。
これの原作者権限を持ってるのは富野さん以外にもうひとり、矢立肇がいるわけで。
この矢立肇は実在する人物じゃなく、サンライズという会社の「模擬人格」なんだけどね。
つまり、サンライズがGOを出せば正典にだって手出しできるということ。
事実、この「ORIGIN」には富野さんが深く関与してないらしいじゃないか。
じゃ、一体誰がこれを仕切ったのか?
これが富野さんの相棒、安彦良和さんである。

「機動戦士ガンダムTHE ORIGIN」(2014~2018年)

矢立肇の狙いは、
ガンダム」を「スターウォーズ」みたいな感じにしちゃおう!
というイメージだったかと。
もともと、このシリーズは映画「スターウォーズ」ブームを認識したところから始まってると思うし、今さらの話である。
ただ、本家というべき「スターウォーズ」が3部作を終えた後に、前日譚というべき新3部作を悪役・ダースベイダーを主人公にして作ったのを見て、「ああ、コレいいなぁ・・」と思ったはず。
矢立肇は、安彦さんに「ガンダム」の前日譚を漫画で描いて下さい、と依頼したらしい。
執筆が始まったのが2001年かららしく、ちょうど「スターウォーズ」の新3部作が始まった直後のことである。

「スターウォーズ」エピソード1(1999年)

いや、私も「エピソード1」には衝撃を受けたよ。
まさか、あのダースベイダーがこんなに可愛い少年だったとは・・。
でも、敢えてオビワンケノービ(ジェダイの戦士)じゃなくダースベイダーを主人公にしてビギンズを作ろうというアイデアは画期的だったと思うし、さすがはジョージルーカスである。
当然、「ORIGIN」もまた、シャアアズナブルが主人公の物語となった。

①「スターウォーズ」エピソード4⇔「ガンダム」無印

②「スターウォーズ」エピソード5⇔「Zガンダム」(+ZZ)

③「スターウォーズ」エピソード6⇔「逆襲のシャア」

④「スターウォーズ」エピソード1⇔「ORIGIN」Ⅰ+Ⅱ

⑤「スターウォーズ」エピソード2⇔「ORIGIN」Ⅲ+Ⅳ

⑥「スターウォーズ」エピソード3⇔「ORIGIN」Ⅴ+Ⅵ

知る人ぞ知る、マイナーな漫画だった「ORIGIN」はやがてアニメ化され、「ガンダム」はサーガとして他のロボットアニメと一線を画すものとなった。
ちなみに「スターウォーズ」はこれ以降もエピソード7~9があるし、また「ガンダム」も「UC」からザビ家ミネバが主人公の後日譚へと受け継がれていくことに。
何にせよ、これらの大きな流れを作ったのは2001年以降の「ORIGIN」が契機だし、この作品は非常に大事な位置付けだと思う。

富野由悠季

ただ、一部「ガンダム」ファンの中には富野由悠季絶対主義者もいるので、「ORIGIN」は安彦さんによる2次創作にすぎん、とクールに捉える考え方もあるらしい。
私は、そういうふうには捉えたくないけどね。
確かに、元々は【原作・富野由悠季/作画・安彦良和】みたいな、それこそ【出崎統/杉野昭夫】っぽいものだったんだろうけど、しかし安彦さんって「クラッシャージョウ」「巨神ゴーグ」「ヴイナス戦記」など優れた作品を輩出したアニメ監督でもあり、その作家性は富野さんにもヒケをとらないと思うんだ。
富野さんと安彦さんを結びつけているものは、ほぼ同世代としての共通体験である。
実はふたりとも、学生時代に全共闘運動の渦中にいた人なのよ。
それも末端のモブじゃなく、どっちかというと中枢にいたリーダー格だったらしい。
この経験は、彼らの作家性の「核」になってることは間違いないさ。
でも、我々は全共闘運動そのものを知らない世代であり、ある意味で彼らの作家性は謎めいている。
・・あ、そういや、全共闘運動の空気感を掴むのにウッテツケの作品があるので、ひとつご紹介しておこう。

「人狼JIN-ROH」(1999年)原作・押井守

「人狼JIN-ROH」は国家権力vs革命勢力を描いたシビアな物語である。
ちなみに、この脚本を書いた押井守は全共闘運動に全く参加してないらしいけど(笑)。
でさ、安彦さんが描いた「ORIGIN」を見て思うことだが、安彦さんはザビ家を単純に「悪」として描かないんだよね。
まぁ確かに、めっちゃ極悪人のザビもいるにはいるんだが(約2名ほど)、少なくともドズルザビやガビルザビは悪人として描かれていない。
当主のデギンザビだって、言うほど悪人という印象は湧かなかった。
ちゃんと「血の通った人間」として描かれている。
かといって、彼らを擁護するような描き方もしてないんだよなぁ・・。
このへんのサジ加減が絶妙である。
基本、ザビ家は「革命勢力」であり、対する地球連邦が「国家権力」ということになるだろう。
かつては革命側に身を置いていた安彦さんだけに、ザビ家を単純な悪として描くことはできなかったはずだ。
一方、当事者だからこそ、彼は革命勢力内における「本来マトモだった人が狂気に堕ちていく過程」も現実として見てきたはずであり、そのへんの描写もまた実に見事である。
はっきり言うけど、このてのドラマ描写においては、「ガンダム」の方が「スターウォーズ」より数段レベルが上だからね?
やはり、こういうのは現実の修羅場をくぐってきた人の重みには勝てないというか、富野さんなんて自身がセクトで「裏切り」をしてきた立場らしく、ある意味シャア=富野さんでもあるわけさ。
「ガンダム」は、一種のノンフィクション要素を孕んでると思うよ。

それにしても、このU.C.というのが西暦でいうと何年に該当するのか知らんが、仮に現代よりだいぶ未来の話だとして、何でこんな昔の貴族社会みたいな構造になってるんだろうね。
いや、こういうのは「ガンダム」に限らず、「スターウォーズ」もそうだし、「銀河英雄伝説」もまたしかり。
もはや「スペースオペラとはこういうもの」という共通認識があると考えた方がいい。
きっと元ネタになったのは、60年代アメリカのSF小説「砂漠の惑星」だと思う。
私が見るに、この小説は中東を惑星デューンに見立てたプロットになってて、列強の石油利権争奪の構図を作中では貴族同士の抗争として表現したと思うんだよね。
つまりあれはメタファーとして書いたんだろうけど、あまりによくできてるもんだから、いつの間にか「スペースオペラには皇帝や貴族が出てくる」がひとつの定番になってしまったのかと。
もともとは「アラビアのロレンス」(1962年・デビッドリーン監督)をSFにアレンジしたような話だと思うよ。
まぁ、これも革命の物語なんだけど。
でさ、貴族ってのは平民と一線を画す存在であるがゆえ、根っこに選民思想もあり、いざ戦争になって人々が大量に死んでいっても俯瞰できちゃうんだよね。
なんか、そのへんが凄く怖い・・。

「コロニー落とし」

で、「ORIGIN」の中で特に強烈なエピソードが、やはり「コロニー落とし」である。
コロニーを地球に落下させ、地球人口の約半数を死に追いやった(コロニー住民も死んでいる)という狂気の沙汰である。
これを首謀したのはザビ家長男ギレンなんだが、三男のドズルはこれに協力したことに罪悪感を抱き、後に泣いたりもしてるんだ。
それでも最終的に「地球を守る側が、弱いのが悪いんだ」というワケの分からんロジックで自身の行為を正当化してるのが興味深い。
ザビ家当主デギンは、コロニー落としという蛮行を知って一応怒るんだが、それでもギレンを更迭しない。
いや、もはや出来ないのか?
もう、このへんから何かが狂い始めている。

これは戦争だから綺麗ごとは言ってられない
勝つためには多少の犠牲は致し方ない

というエクスキューズを盾に狂気がどんどんエスカレートしていき、もはや人間としての一線を越えてしまっている。
これを描いているのが、全共闘運動で逮捕歴のある安彦さんというところに底知れぬ迫力とリアリティを感じてしまうよ・・。
「ORIGIN」は「ガンダム」本編と違ってモビルスーツの登場回数が少なく、その尺のほとんどは人間ドラマで構成されてるといっていい。
だからこそ、私には本編以上にドスンと胸にくるんだよね。

なんかさ、お年寄りってよく戦争の話をするじゃない?
私も子供の頃、爺ちゃんがことあるごとに戦争の話をしてきて、正直いうと正直ウザかったんだけど、「ORIGIN」を見てそういう昔を思い出しつつ、

やっぱりお年寄りには、こうやって生々しく

戦争を描いてもらうべきだ。


と再認識させられました。


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