「NieR:Automata」凄いアニメというのは間違いないが・・
今回は、アニメ「NieR:Automata」について書いてみたい。
これの原作は、かなり巷で人気のあるゲームみたいだね。
ある意味では、「ゲーム販促アニメ」というのは作品を揶揄する言葉であるものの、最近はそういう枠には収まりきらない作品がちらほら見受けられるようになってきたと思う。
本作がその代表的なところだし、あと目ぼしいところでは「アークナイツ」とかもアニメとしてのレベルがかなり高かったよ。
この「NieR:Automata」はガチガチに硬度のあるSFであり、あるいはこのてのものは漫画/ラノベよりもゲームという媒体の方が表現に適しているのかもしれないね。
近年はメディアミックスがごく一般的なことになり、もはやゲーム⇔漫画⇔小説⇔アニメの境界線は明らかに曖昧なものになってきてるけど・・。
でもさ、ゲームというものが他の媒体に与えた影響ってマジで凄いと思うのよ。
いまどきの「異世界ファンタジー」なんて、明らかに「ゼルダの伝説」や「ファイナルファンタジー」の影響モロだと思うし、特にアニメはノベル系ゲームの恩恵が計り知れないよね。
・「STEINS;GATE」ニトロプラス系
・「ひぐらしのなく頃に」竜騎士系
・「Fate/staynight」TYPE-MOON系
・「CLANNAD」「AIR」Key系
上記ノベルゲーム作品群はいずれもアニメ化され、いまや神アニメ認定されてるものである。
これらがアニメ全体に与えた影響は、マジで大きい。
ゲーム原作がアニメ化の際に与えた影響のひとつが、やはりシナリオの分岐だと思う。
ゲームはプレイヤーの参加ありきのシナリオである為、当然そのプレイヤーさんの選択次第でその後の展開は分岐するし、またエンディングにも影響を与えるものである。
だから「STEINS;GATE」は1期と2期(ZERO)で各々別展開のシナリオを見せていたし、「Fate」は3パターンのルートで各々違うエンディングを見せていたよね。
「ひぐらし」は、さらにもっと多くのエンディングを見せていた。
「分岐世界」「ループ」、いまやアニメにおける定番となったこの概念も、元を辿れば「ゲームシナリオをアニメとして表現する」という、言うなれば必要性みたいなところからスタートしたものなんじゃないかな?
で、この「NieR:Automata」もまた、実にゲームっぽい物語の構成なのよ。
主人公たちは、ぶっちゃけ何度も死ぬ。
しかし、そのたびに生き返ってまたリスタートとなる。
なぜ、そんな荒唐無稽なことが実現するのか?
そりゃ、主人公たちが人間じゃなく、アンドロイドだからさ。
アンドロイドゆえメモリーは基地にバックアップがあり、現場で個体が死亡するたびに新個体を立ち上げてリスタートできるわけよ。
なるほど。
この作品はアンドロイドvs機械生命体の終わらない戦争を描いたもので、実をいうと人間など一切出てこないんです。
いや、元々は人間vsエイリアンの戦争だったらしいんだけどね。
それが
・人間の戦争代行者⇒アンドロイド
・エイリアンの戦争代行者⇒機械生命体
という形に途中から移行したみたいで、実は人間もエイリアンもだいぶ前に滅んでるっぽい。
その事実をひた隠しにして戦争を延々と継続しており、もはや誰得?というどこにも救いのない構造なんですよ。
ちなみにアンドロイドは自律型であり、ほぼ人間と変わらない精神を持っている。
だから、悩んでるだろうね。
①我々は、何の為に闘う?
②生き残る為
③じゃ、何の為に生きる?
④・・・
⑤じゃ、我々は何の為に生まれた?
⑥闘う為⇒①に戻る
という、延々と終わらないループ思考に陥っていそう。
なんつーか、このアンドロイドたちはまさに現代社会における社畜そのもので、これは一種のメタファーなのかもしれんなぁ・・。
社畜に「何の為に働いてるの?」と聞けば「生きていく為」と答えるだろうが、「じゃ何のために生きてるのか?」といえば「働く為」としか答えようがなく、肝心の真ん中の部分がぽっかり空洞になってるのが社畜、すなわちアンドロイドである。
さて、上の画のロボがアンドロイドと敵対する「機械生命体」である。
見た目がいかにも旧式っぽくてダサく、実際、個々の能力ではアンドロイドより遥かに劣るといっていいだろう。
ただ、こいつらにはそれなりの強みがあり、それは
・自己増殖できること(物量戦に強い)
・ネットワークで同期できること(情報共有、意思統一に強い)
いうなれば、彼らは個々が細胞のようなものであり、その単細胞が繋がって多細胞化をした結果、こういう兄弟が生まれたんですよ↓↓
アダムとイヴである。
ちなみに、この兄弟の兄・アダムは本を読んで知識を蓄え、自ら思考するという性格だった。
このへんは、明らかにアンドロイドより人間っぽいよな・・。
アンドロイドの場合は、「ただ命令に従っていればいい」という思考停止型の装置であり、そこでは感情をもつことすら良しとされてないわけで。
一方、機械生命体はアダム&イヴ以外を見ても
宗教に目覚めるタイプ
あるいはネットワークから独立し、
穏やかな日常に目覚めるタイプ
といったふうに各々が個性を獲得し始めており、アンドロイドとはまた全然違う形の進化の道を辿ってると見るべきじゃないだろうか。
かなり、人間に近づきつつある。
つまり、物語の冒頭ではパッと見で騙されたものの、それはミスリードで、実は人間に近いのはアンドロイドよりむしろ機械生命体の方かもしれないよね。
で、こういう緻密な設定はなかなか興味深いんだが、
ただアニメとして、こういうの、みんな面白いと思って見てるんだろうか?
やってることは高尚で、その哲学的内容、文学性も含めて実に素晴らしいし、こういう部分は近年でも群を抜いたレベルといっていいと思う。
でも、視聴者がこういうのを喜ぶかとなると、それはまた別の話だろうよ。
お客さんは、カンヌ映画祭に来たわけじゃないんだから・・。
つまり、これはかなり見る人を選ぶアニメだということね。
それを特に実感できたのは、2期の途中から、メインヒロインが交替してしまうという驚愕のシナリオ!
スゲーよなぁ・・。
原作ゲームが、こういうシナリオになってるのかな?
2BとA2がめっちゃ似とるやないか!と思うかもしれんが、ふたりとも義体が「2型」なので、そりゃ似てて当然なのさ。
しかし、実はこのふたり、決定的な違いがあるのよ。
もう1回、よく見てほしい。
違いがお分かりだろうか?
じゃ、メンドくさいので正解を言おう。
実は、2Bは服を着てるけど、
A2は服を着てません。
全裸です。
・・いや、なんか黒いキャミみたいやつ着てるやん?と思うだろうが、それは違う。
あの黒い部分は「塗装が剥げ落ちた箇所」であり、実はA2はほぼ着衣をしていないんだ。
「そういうふうには見えない」という人は、ある程度トレーニングを積めば「本当の姿」をきちんと認識できるようになるだろう。
私も、かなりハードなトレーニングを積み、今はようやく見えるようになった。
じゃ、もう1回行くよ?
はい、イメージ掴めました?
ちゃんと「これは服じゃなく塗装の剥がれだ」と強くイメージしないと、彼女の本当の姿など浮かび上がってきませんよ。
もう少し頑張りましょう。
「NieR:Automata」は最終回が目前なので、それまでには、ちゃんと見えるようになっていおいてください。