オワコンかと思いきや、なぜ「マジンガー」は欧州で人気?
今回は、映画「マジンガーZインフィニティ」をご紹介したい。
これは言わずと知れた、永井豪先生の名作「マジンガーZ」の正統続編である。
本編の10年後、という設定らしい。
こんなの喜ぶのはオールドファンだけだろ?と小馬鹿にしてる人も多いだろうけど、いやいや、ひょっとしたらこれ、「マジンガー」史上最高傑作かもしれないよ。
まぁ、ぶっちゃけいうと、私はこのての「スーパーロボット」よりガンダムなどの「リアルロボット」の方が好きである。
とはいえ、スーパーロボットファンが今なお根強くいるのもまた事実。
日本国内もそうだが、海外、特に欧州で「マジンガーZ」などを含む、昭和のロボットアニメが人気だという。
事実、この映画「インフィニティ」は、日本の公開よりも1か月ほど早く、まずイタリアとフランスで先行公開されたという。
これ、海外ファン向けの映画企画だったの?
理由はよく分からんが、どうもあっちの人たちの嗜好にはスーパーロボットが合ってるようだ。
よく考えりゃ、ハリウッドの「トランスフォーマー」もスーパーロボットだよな?
あと、3DCGの名作として知られる「アイアンジャイアント」(1999年)もそれに該当するかと。
どうも欧米ってのは、【リアルロボット<スーパーロボット】という文化圏という気がする。
あ、そうそう。
「リアルとスーパーの概念の違いが分からん」という人の為に、一応説明をしておこう。
【リアルロボット】
人類の科学・工学の粋を結集して作り上げられたロボット。
開発者、動力源がはっきりしている。
SF要素、ミリタリー要素が強い。
【スーパーロボット】
出自が「古代文明の遺物?」だったり「異星人が作ったもの?」だったり、今の人類の科学力では理解が及ばないロボット。
一応SFだが、ファンタジー要素を若干含んでいる。
基本、リアル⇔スーパーは機体のみならず、敵もまたリアル⇔スーパーである。
ちなみに永井作品の敵キャラは、
見ての通り、かなりスーパーです。
もともと永井先生は「デビルマン」を描いた人だし、SFよりも伝奇寄り、ダークファンタジー寄り。
だから敵は、俗にいう「ヴィラン」みたいなものになる。
必然、分かりやすい勧善懲悪になるよね。
一方、「ガンダム」みたいなリアルは【軍vs軍】の構図で、ディランなど存在しない。
もう、ここから先は好みの問題。
あるいは欧米はキリスト教文化圏ゆえ、神vs悪魔という二元論、それこそディランが出てくるような勧善懲悪という概念の方が分かりやすくていいのかも?
一方、日本はやおよろずの神の国。
もともと神⇔もののけの境界線すら曖昧で、我が国では神vs悪魔の二元論は逆にしっくりこないんだよね。
「ガンダム」のザビ家は、別に悪魔じゃないから。
ただ、そういう日本という土壌の中で「デビルマン」を描いた永井先生は、誰より神vs悪魔を考えてきた人だと思う。
「インフィニティ」の中でラスボス・ドクターヘルは、まず最初に全人類に向けて「共存共栄」を呼び掛けている。
邪魔をしなければ、こっちに攻撃の意思はない、と。
お互い、無駄に犠牲者を出すのはやめよう、と。
このメッセージを受けて人類側は意見が大きく二分され、意思統一ができず機能不全に陥ってしまう。
それを見て、ドクターヘルはこう言う。
「人類最大の弱点が何か分かるか?
それは多様性だ。
多様性とはすなわち、複数の正義だ。
しかし、そんな複雑な価値観を制御できるほど人類は知的な存在ではない。
現に、私が共存共栄を口にしただけで、この有り様だ。
そして多様性を処理できない人類は、また人類同士戦うぞ」
なかなか、核心をついたこと言いやがる。
ドクターヘルは、暴力より先に言葉で人を惑わし、人類の自滅を誘うという実に悪魔っぽいキャラとして描かれていた。
さて、この「インフィニティ」という映画のキャッチコピーは
「それは、神にも悪魔にもなれる」
となってて、今回新たに発掘されたマジンガーインフィニティという新機体は「魔神」という扱いにされている。
魔神、これは神か悪魔か、どっちにでも転ぶ曖昧な存在。
思うに、永井先生は【神vs悪魔】の構図を、必ずしも【正義vs悪】とは考えてないんじゃない?
それは「デビルマン」の作風からしてそうでしょ。
正義を名乗れるのは戦いに勝った側の特権であり、たとえ広島と長崎に原爆を投下して何十万人も虐殺する悪魔の所業をしようと、戦争に勝った米国はまるで神のように堂々としている。
案外、正義vs悪なんて、そういうものだ。
そして、そういうことを百も承知で、永井先生は敢えてドクターヘルの陣営を「絶対悪」として描いている。
このへん、確信犯なんだよね。
ドクターヘル、あしゅら男爵、ブロッケン伯爵、このへんのキャラに対して永井先生は人間性を感じさせる描写を一切しない。
ひょっとしたら、彼らにも愛する家族がいるかもしれない。
ひょっとしたら、家では良きパパかもしれない。
ひょっとしたら、悪行を遂行することに人知れず苦悩があるかもしれない。
一応、彼らも虫じゃなく知性ある存在なんだし、何も考えずに生きてるわけないんだから。
だけど、そういうところを全カットしてるのよ。
つまり、彼らヴィランを
「何の罪悪感もなく、殺してOKの対象(害虫のようなもの)」
ということにしておきたいんだね。
実際、この作品では彼らが死ぬと、視聴者がカタルシスを得るという仕組みになっている。
・・でもさ、よく考えたら怖くない?
人が殺されたの見てカタルシス得るなんて、ちょっと狂ってるよね?
「いやいや、あれは殺してOKのやつなんだよ」
「あれは人権も何もない、ただのヴィランだよ」
ということになるんだろうが・・。
作中ドクターヘルは、こういう問いかけをしている。
「この世は、存在に値するか?」
極めて深い問いである。
この問いかけ、この「インフィニティ」は「デビルマン」と対をなすコインの裏表のような構造になってるっぽい。
「インフィニティ」の主人公・兜甲児は
「クソッタレでロクでもないこともたくさんあるけれど、それでも俺はこの世界を肯定する」
と答えた。
一方、「デビルマン」の主人公・不動明の結論は、また別の形だったよね。
永井先生って、ひょっとしたら
「人間の本質は醜いものである」
「この世には、殺された方がいい人間が存在する」
「むしろ、人類は一回リセットされた方がいいのでは?」
と考えてるんじゃないだろうか。
永井作品では、全般的にそういう印象を受ける。
その象徴的なところが「デビルマン」ということになるんだろうが、これはテレビアニメシリーズはどうでもいいとして、
・OVA「デビルマン」誕生編(1987年)
・OVA「デビルマン」妖鳥死麗濡編(1990年)
という、このふたつのOVA視聴をお薦めしたい。
これの監督は、飯田つとむ。
彼は病気で早逝されたが、ジブリ伝説のアニメーターと知られる人である。
ご存命なら宮崎駿の後継者になってただろう、とまで言われた人物。
そんな彼が手掛けたOVAとあって、とにかくクオリティが凄い。
作画監督/キャラデザは、レジェンド・小松原一男。
音楽は川井憲次。
他にも金田伊功、沖浦啓之、梅津泰臣といった一流どころが携わってる。
「デビルマン」以外では、皆さんは「バイオレンスジャック」という作品知ってる?
OVAが3本出てるんだけど、これまた内容が結構凄いのよ。
これの原作は1973年から描かれてるわけで、映画「マッドマックス」(1979年)の世紀末の世界観は、こっちの方が先だった、ということさ。
・「バイオレンスジャック」ハーレムボンバー編(1986年)
・「バイオレンスジャック」地獄街編(1988年)
・「バイオレンスジャック」ヘルスウィンド編(1990年)
特にお薦めしたいのが2作目の「地獄街編」で、これはあの板野一郎さんが監督してるんですよ。
板野さんらしく超過激なエログロで、他の2作とは別格の仕上がりになっている。
ただ、ちょっとやり過ぎたのか、これR18になっちゃったんだよね・・(笑)。
殺人、強姦、人肉食etc、確かにこれ以上過激なのは見たことないかも。
じゃ、この「バイオレンスジャック」を見た後、また改めて問いたい。
「この世は、存在に値するか?」
多分、これは永井作品の一貫したテーマなんだと思う。
とても宗教的な問いかけで、その終末論的世界観は、特にキリスト教信者の琴線に触れると思う。
永井豪作品が欧州でウケる理由って、その土壌にキリスト教があるからじゃないのかな・・?
まぁ、そうはいっても、この「インフィニティ」は永井作品にしては珍しく性善説に根差したプロットになってて、とても後味のいいストーリー展開だったよ。
そして作中では、ありとあらゆる「可能性の世界」、俗にいうマルチバースの存在が示唆されており、この「インフィニティ」は幸運にも救われた世界ということになるんだろう。
その一方で、このマルチバースの中には「デビルマン」や「バイオレンスジャック」の世界もしっかり存在しているはず。
我々が今いる世界がどの世界と繋がるかは、全てが我々人類次第、といったところになるんだろうね。
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