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スーパーロボット系の最終到達点「地球が静止する日」

葬送のフリーレン」ならびに「薬屋のひとりごと」、超お気に入りだったアニメがふたつ同時に終わってしまった。
寂しい・・。
ここ数年でも、この両作は頭ひとつ抜けてたと思わない?
2クールの長丁場だったのに、質が落ちることなく安定してたのは素晴らしい。
もちろん原作が優れてることが一番の売りなんだけど、なんというか、今という時代を象徴する物語だな、と。
だって、両作とも明確に主人公最強系ながら、主人公に野心がないから。
その能力を使って高みを目指そうという気概が微塵もない
いや、厳密にはフリーレンは魔法の収集、猫猫は薬や毒の研究、各々夢中になってることはあるんだけど、それらはあくまで趣味の領域。
それで社会貢献しようとか、人類の未来の為とか、そういう大義があるわけでもないっぽい。
好きだからやってるという感じ。
ユルいよね。
でも、これが今という時代の空気なんだろう。
ひと昔前なら、こういうテンション低い生き方は確実にディスられただろうに、今は不思議なもんで、そうでもないでしょ?
フリーレンも猫猫も、むしろ好感度高いヒロインとして受け入れられてるし。

「葬送のフリーレン」
「薬屋のひとりごと」

海賊王に、俺はなる!」とか、もう時代にそぐわなくなってきてるのかもしれないね。
漫然とした不況に我々の精神も慣れてしまい、「別に海賊王になんかならんでも、とりあえず好きなことやって生きられりゃ十分じゃね?」という感じに考え方がマイナーチェンジしつつある、とでもいうべきか・・。
必然、アニメの主人公像もまた、マイナーチェンジされつつあるわけよ。
熱血キャラって、昔に比べてだいぶ減ったと思わない?
昔は
①バリバリ働く
②すると出世する
③するとお金持ちになれる
④すると幸福になれる

という循環があったのかもしれんが、今はこんな循環、誰も信じていないでしょ?
極論すれば、おカネがあっても不幸な人はたくさんいるし、また逆に貧乏でも幸福な人はたくさんいるだろうし・・。
いやいや、別にここで今さら人生論を語ろうってわけじゃない。
ただ、上の①~④が正解だった時代があったのもまた事実。
ひょっとしたら、今後またいつの日か正解になる日が来るかもしれないし、来ないかもしれない。
それを決めるのは常に時代の空気であり、おそらく永遠不変の価値観なんて存在しないと思うよ。
時代」、今回はこれについて書いてみたい。

さて、今回ご紹介したいのは、ちょっとしたカルトアニメである。
「ジャイアントロボ 地球が静止する日」(1992年)
この作品のことは知ってるけど、どうも生理的に食指が伸びない、という人は一定数いると思う。
だって横山光輝だし、なんか古臭いし、と。
うん、その気持ちは分かる。
日本のロボットアニメ文化は

【初号機】
<スーパーロボット>
鉄人28号(横山光輝)マジンガーZ(永井豪)
【2号機】
<リアルロボット>
ガンダム(富野由悠季)パトレイバー(押井守)
【3号機】
<スーパーロボット>
エヴァンゲリオン(庵野秀明)


といった感じで時代によって波があり、とりあえず今はリアルとスーパーが共存した状態といえるかな。
で、「ジャイアントロボ」は【初号機】の横山作品であって、世代としてはふたつほど前の型落ちなわけよ。
ジャイアントロボ 地球が静止する日」は92年制作のOVAで、【2号機】が活躍してた時代である。
そんな時に、なんでわざわざ古いやつを引っ張ってくるかなぁ、と言いたいところだが、まずはこれを作った今川泰宏氏が「スーパーロボット大好き」ということが大きい。
多分、今川氏は世代的に【初号機】を見て育った世代。
そりゃスーパーロボットが好きだろう。
付け加えると【3号機】の庵野秀明は横山光輝より、その時代の円谷プロ(ゴジラやウルトラマン等)特撮モノの方に夢中になってたらしく、そっちのオマージュから「エヴァ」なるスーパーロボット(というか、実質的には怪獣)を作ったんだね。

明らかに「人格」をもっているジャイアントロボ

・ジャイアントロボ<1992年>今川奏宏(1961年生まれ)
・新世紀エヴァンゲリオン<1995年>庵野秀明(1960年生まれ)

「エヴァ」もまた、「人格」をもってたように思う

ほぼ同世代のアニメーターが、ほぼ同時期にスーパーロボットを描いたのは(そのニュアンスは天と地ほど違うけど)偶然でもあるまい。
全てが時代の所業であり、また世代の所業である。
ちなみにだけど、今川氏はこの「ジャイアントロボ」の翌年に「機動武闘伝Gガンダム」というガンダムシリーズでも飛び抜けて違和感あるガンダムを作り、多くのガンダムファンをざわっとさせたことはかなり有名かと。
一部には「あんなのガンダムと認めん!」というファンもいるらしい。
そんなこと言ったって、しようがないじゃないか。

だって、「Gガンダム」は今川さんが作った作品なんだから。
彼に決済権渡したら、どんなことになるかぐらい「ジャイアントロボ」見て最初から理解しとくべきだ。

「ジャイアントロボ」より
「ジャイアントロボ」より
「ジャイアントロボ」より

えっ?「ジャイアントロボ」って、ロボット作品じゃないの?
と思う人もいるだろう。
一応ロボット作品なんだが、ただロボットより人間の方が目立つ作風なんだ。
横山先生の原作は読んだことないし、どうなってるのかは知らん。
でも多分、ここまでハチャメチャではないと思う。
これって、今川さんの作風だと思う。
もうね、「ジャイアントロボ」はカーニバルですよ。
みんな、やたら熱いキャラばかりだし。
こういう独特の作風から、今川さんには熱烈な固定ファンがついているようだ。

「Gガンダム」より
「Gガンダム」より
「Gガンダム」より

うん、さすが今川さん、安定の通常運転(笑)。
でもコアなガンダムファンが、これ認めなかったのも理解できる気がする。
アムロがいくらニュータイプとはいえ、クルクルと変な回転とか始めたら嫌だもん。
とはいっても「Gガンダム」、当時小学生など低年齢層にはかなりの人気だったらしい。
うん、それも分かる気がする。
富野由悠季が描く愛憎劇の宇宙世紀よりも、「Gガンダム」路線の方が絶対子供には刺さるって。
だってこれ、ほとんど「ワンピース」だろ?
「海賊王に、俺はなる!」パターンだ。
そして、こういうのをロボット作品の原体験としている世代は必ずいるわけで、ほぼ同時期に「エヴァンゲリオン」はあったものの、「エヴァ」は深夜で「Gガンダム」は夕方。
小学生ぐらいの子供は【エヴァ<Gガンダム】だったかもしれない。
その頃の子供たちって、今は30代後半から40代前半ぐらい?
そのへんの世代のアニメーターたちが業界で主導権を握る頃には、また今川さんっぽい熱いウェーブがくるのかもしれんな~。

当時今川さんに課せられたのは「脱富野」だったので、自由にやれた分だけケレン味がMAXだよね

とにかく、時代の空気というものは常に「波」で、必ず定期的な揺り戻しがくるものなんだ。
そのカギを握るのは、クリエイターが「子供の頃に何を見てたか?」という案外シンプルな要素なんだよ。
たとえ同じ世代でも、庵野秀明は実昭寺昭雄の特撮モノを見てたからこそ「エヴァ」を作ったんだし、今川奏宏は横山光輝の作品を見てたからこそ「Gガンダム」を作ったわけで。
そして令和の現代、「フリーレン」見て今後育っていく子たちが数十年後にまたエルフを描くのかもしれないね。

最後にひとつ、騙されたと思って「ジャイアントロボ 地球が静止する日」は見ておいてほしい。
もちろん好き嫌いはあるだろうが、これはアニメファンにとって非常に重要な作品である。
アニメがひとつの大きな座標の中でマッピングされる中で、この作品は色々な意味で座標軸MAX値のところにポジショニングするものだから。
アニメを測るモノサシとして、特に重要な作品のひとつだと思う。


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