「もののけ姫」「千と千尋」「ポニョ」というカミ3部作の構造
今回は、「もののけ姫」について書いてみたい。
個人的には、宮崎駿はこの頃が全盛期じゃないかな、と思う。
興行的には「千と千尋の神隠し」がピークだが、巨匠のモチベというか熱量みたいなものは、やっぱ「もののけ姫」がMAXだよな~、と。
もともとの巨匠の作家性の核はル・グウィン著「ゲド戦記」というのが定説なんだけど、実はあともうひとつ核となっているものがあって、それが諸星大二郎の漫画なんですよ。
つまり、民俗学をベースにした伝奇ね。
諸星大二郎に心酔してるぐらいだから、巨匠は日本史に関する造詣がかなり深い。
「ワンピース」尾田栄一郎先生も相当なもんだが、宮崎駿もまたそれに全く劣らないレベルといっていいだろう。
ちなみに「ワンピース」のプロットの構造は
・邪馬台国vsヤマト王権
・国津神vs天津神
・出雲族vs天孫族
がベースになってることは皆さんもご存じだとして、この「もののけ姫」もまた同様の構造なんですよ。
物語の冒頭、主人公のアシタカが住む集落に「祟り神」が出現する騒動から全てが始まる。
ただ、その集落というのがちょっと変わっていて、なぜかシャーマンを長とした母系社会となってるんだわ。
えっ?
これって何時代の話?と思うよね。
聞けば、設定は室町時代だという。
室町時代にこんな邪馬台国型の集落なんてまだ残ってたのか?と思うけど、あるいは東北の奥地には限定的に残ってたのかもしれん。
じゃ、この物語の構造を本質的に理解する意味で、各登場人物の立ち位置を整理しておこう。
アシタカ
⇒国津神系、母系社会、東北の蝦夷族(文化として邪馬台国系)。
サン
⇒国津神系、母系社会、人間だけどカミ(やおよろずの神)に直属。
エボシ御前
⇒無宗教?母系社会、出雲族系、人間の生活圏確保の為にカミ殺しを企む。
ジコ坊
⇒天津神系、父系社会、ミカド(天孫族)の指令でカミ殺しを企む。
陣営としては3つあり、エボシの陣営とジコ坊の陣営が結託し、サンの陣営を滅ぼそうとしている。
アシタカはどこにも属さない曖昧な立ち位置で、3勢力が共存できないかと考えているリベラル派。
大きい意味では天津神vs国津神という神同士の闘いの構図なんだが、視野が狭いサンやエボシ御前などは、これを人間vsカミの闘いだと解釈してるんだよねぇ・・。
そもそも、母系社会vs父系社会という意味では本来エボシ御前とジコ坊は対立をするはずなのに、なぜかエボシはそっちよりカミ殺しの方を優先しているという矛盾。
オチとしては三者痛み分けで終わるものの、現代の我々としては、
・天津神の勝利
・父系社会の勝利
・天孫族の勝利
という、その後の歴史の顛末を知ってるわけで・・。
つまり、ジコ坊陣営のひとり勝ちだね。
それに協力したエボシ御前はどうなのかというと、これが微妙なところだな。
たとえカミに勝利したところで、結局は父系に恭順し、彼女が目指した母系の理想郷は実現しなかったはず。
最後は、ただ利用されただけの自分の哀しい立場を思い知ることになるんだろう。
私から見て、最も事態の大局が見えていたのは、やはりアシタカだと思う。
彼だけが、カミ殺しが無意味だと分かってるんだよね。
そもそも宮崎駿が考案したセカイの構造は、
カミ=生命エネルギー
なわけよ。
シシ神というのはそのメインサーバーで、動物も植物も虫も、そして人間もその端末に過ぎない。
エボシ御前もジコ坊も「人間は自立した存在」と根本的な誤解をしてるからカミ殺しを企むわけだが、そもそも端末ごときがメインサーバーを攻撃するなんて、それこそ自分で自分の生命の源を絶つような愚行である。
この宗教観、日本人の我々には十分しっくりくるけど、果たして一神教がベースの外国人の目にはどう映ってるんだろう?
おそらく一神教側から見ると、日本の「やおよろずの神」は向こうでいう「精霊」に該当するのかと。
うん、少なくとも縄文時代までの日本は、精霊信仰の国だったという解釈でいいんじゃないか?
ただし弥生時代以降に天津神という新概念が降ってきて、これが世界基準の王権神授説にも近く、ミカド=神の末裔ということになったわけだ。
最初は近畿ローカルの宗教だったと思うが、これがやがて日本全土を席巻。
でも宮崎駿は、そっちよりむしろ縄文の精霊の方が個人的に好きなのよ。
だって、諸星大二郎ファンだし。
で、この「もののけ姫」で最大のポイントになるのは、エボシ御前が仕切る「たたら場」という製鉄の集落なんだ。
「たたら」というのは、出雲族由来の「たたら製鉄」からきている。
つまり、エボシ御前は出雲族の末裔だろう。
「出雲の国譲り」で天孫族に屈した出雲族は、新生活圏を求めて天孫の勢力圏外であるカミの森に行き着いたんだと思う。
そういう意味では、東北の奥地に新生活圏を築いたアシタカの祖先(蝦夷)とほぼ同類なんだ。
その根本を考えると、エボシが天孫族陣営のジコ坊と結託してカミを殺そうというのは甚だ矛盾しており、また彼女がその矛盾を理解してるのかはよく分からない。
カミを排除すればその土地は天孫の勢力圏となり、出雲族のエボシはまた新生活圏を求めてどこかに行かなきゃならんというのに・・。
賢そうに見えて、実は一番頭が悪いのがエボシじゃね?
明らかに、自分で自分の首を絞めている。
ただひとつ救いをいうなら、アシタカが今後「たたら場」に住むと宣言してくれたことである。
これでアシタカが仲介となり、エボシとサンが和解の道を辿る可能性も残されたから。
聞けば、「千と千尋」の主人公・千尋は裏設定が「サンの子孫」らしいので、つまりサンはこの後人間と性交渉をもったことは確実だし、和解できたと見るべきなんだろう。
宮崎駿が、天津神(天孫)でなく国津神(やおよろずの神)の方を好むのは非常に理解できる。
基本、巨匠の根っこは左翼なんだよ。
天津神系というのは突き詰めると右翼であり、天皇を頂点とした父系の階級社会そのものである。
一方、国津神系というのは縄文文化ベースで、その本質は母系社会である。
左翼がどちらに魅力を感じるかって、そりゃ後者でしょ。
「もののけ姫」でも、女性が強い「たたら場」を好意的に描いてたと思う。
あの描かれ方を見るに、多分「たたら場」のシステムは夫婦が同居はしない「妻問婚」じゃないかと。
「妻問婚」、古き良きロマンだわ・・。
でさ、宮崎作品の一貫したテーマって「母系の尊さ」だと思うんだよね。
それは「ナウシカ」から始まって、「ラピュタ」「ハウル」「千と千尋」「ポニョ」、常に男より強く逞しい女の姿を描いてきている。
「もののけ姫」などは、その極みだろう。
一方、父系サイドは悪として描かれることが多い。
今回でいうと、最もタチが悪いのはジコ坊か。
いや、ジコ坊は単に代行者にすぎず、本当の悪は、高みの見物をして自らの手を汚そうともしない朝廷である。
左翼・宮崎駿として、それこそが最も忌むべきラスボスに違いない。
このお婆ちゃん、出番は短かったけど結構な黒幕で、明らかな反体制派首領だよね。
ちょっとビンラディンっぽくも見える(笑)。
構図としては、アシタカという自爆兵器を天孫のお膝元(作中では「西の方」としか言わなかったが)に送り込むことに成功した、といったところだろう。
おそらくこの人は全てを見通してるし、このお婆ちゃんの狡猾さに比べたらエボシ御前の野心などはかわいいものである。
で、最強ラスボスともいえるのが、シシ神の最終形態・デイダラボッチ。
結局、この最強神はどうなったのか、皆さんも気になってると思う。
これはあくまで私なりの推測だけど、この後、デイダラボッチは森を離れたんじゃないかと。
それなりにダメージも負ったし・・。
じゃ、残された「やおよろずの神」たちはどうなったかというと、そのへんを描いてくれたのが、続編というべき「千と千尋の神隠し」なんですよ。
人知れず、ああいう異界に拠点を移したということ。
でも、
「千と千尋」にデイダラボッチはおらんかったやないか!
と思うだろうが、いやいや、それとなく湯婆婆が「契約主」としてのお上の存在を匂わせており、あの場所とは別のところにいるんだと思う。
じゃ、それはどこか?
それを描いてくれたのが、「崖の上のポニョ」なんですよ。
そう、最強神は山から海に拠点を移したんだ。
山の時は獣と融合してたけど、海に行ったら今度は魚と融合したんだろう。
姿形は違えど、生命エネルギーを司るという意味で
グランマンマーレ=デイダラボッチ
同一の存在だということ。
で、「ポニョ」においてはあともう1人、そうすけの母についても言及しておきたい。
皆さんは、リサのキャラ造形を見て、なんか違和感を覚えなかった?
一般人にしては胆力がありすぎるし、不自然なほど男勝りでキャラが強すぎる。
私が思うに、これは巨匠が仕込んだ暗号なのよ。
「このキャラ、見覚えあるでしょ?」って。
おそらく、リサはエボシ御前の末裔なんだ。
それに気付くと、このシーンは涙なくして見れないよ↓↓
数百年の歳月を経て、遂に和解へと至ったカミとエボシ御前・・。
つまり、
①「もののけ姫」⇒カミと人間との離反
②「千と千尋」⇒カミと人間との再会
③「崖の上のポニョ」⇒カミと人間との和解
という壮大な3部作の構造になっていることをご理解いただけるだろうか。
この構造のモチーフは、古事記や日本書紀に記述がある人間とカミの婚姻に由来してると思う。
つまり、そうすけ×ポニョの婚姻で、積年の確執にようやくケリがついたんだね。
それを踏まえた上で、皆さんも3部作をぜひ再視聴してみてください。
「ポニョ」のラストが、なんかめっちゃ泣けますよ!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?