香りの先に自分がいる。日本酒テイスティング。
母親によく言われることがある。
小さい頃から匂いに敏感で何でも匂いを嗅いでいたと。
「三つ子の魂百まで」というのは本当のことで、今でもその習性は染みついている。
食べ物や飲み物はもちろん、初めていく国、初めて降り立つ空港、初めて乗る車など、まず「香り」「匂い」でもってその雰囲気、様子を確かめている気がする。
新しい服、洗濯後の服も無意識にまずその香りを確かめてしまう。
別に嗅覚が優れているとは思わない。
ただ、世界の認識の仕方として、ぼくの場合は嗅覚に頼るウェイトが高い気がする。
原風景の匂い
関西の田舎で生まれ育った。
山に囲まれた盆地で田んぼや畑に囲まれ、近所の農家のおばあちゃんがくれる果物や精米したてのお米は最高に美味しかった。
と、その風景を思い浮かべたときに真っ先に飛び込んできたのは、その家の前の畑に植わったイチジクの木から熟して道路に転がったイチジクの匂いだ。熟したイチジクが車に踏み潰され一定時間経った後の蒸れた匂い。
田んぼの泥の匂いに混じった稲の緑の香り。稲刈りの後のワラ焼きの匂い。近所の神社の林に漂う、冷んやりとした澄んだ匂い。正月の餅つきのお米の香り。家の庭に積もった雪の匂い。
ぼくは、色んな種類の自然の香りと匂いに囲まれて育った。
そんな自然の香りと匂いたちが、ぼくの原風景だ。
歳を重ねるたびに思う。
自然というものが、どれほど深く自分の中に埋め込まれているかということを。
自然に囲まれて生まれ育ち、自然の中でめいっぱい遊んだという経験と記憶が、今のぼくをどれほど肯定してくれているかということを。
匂いの先に自分がいる。日本酒テイスティング。
最近、日本酒を口に含んで色んな味わいを言葉にしながら思うことがある。
自分が味わっているのは日本酒であり、同時にその先にある原風景であるということ。原風景の自然の香りを味わっているということ。
これからどこに行くのかを考える時、まず自分はどこから来たのかを確かめに行く。そんな大切な確認作業を日本酒のテイスティングを通して、ぼくはしているんじゃないかということ。
見た目の色を楽しむ。鼻を近づけ上に立ってくる香りを感じ取る。口に含んで、喉越しを通して味わいを確かめる。ぴったりの表現を探して言葉にする。
この一連の日本酒のテイスティング作業は、詰まるところ自分のためだ。
自分自信を確認したいのだ。
自分のど真ん中を貫く本質を感じたいのだ。
自分はどこから来てどこに行くのか。それを見届けたいのだと思う。
香りの先に原風景がある。
香りの先に自然がある。
香りの先に自分がいる。
日本酒を味わうというシンプルな作業の先に、香りと匂いの先に自分がいる。
そんな本質に気づけたことが素直に嬉しい。
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