ざいだんエッセイ
タイトルの通りです。 本当はもうちょっと色々ありました。
ここでは旅が大きく変わり、世界の聖地巡礼を行うことにしました。 #42~ 京都大学を中退した医学部生が世界一周してみた
当時、何の情報も持たないまま、ブルネイという国にいきなり突っ込んでいった話です。#36~41 # 京都大学を中退した医学部生が世界一周してみた
自分の趣味で読んだ本の感想などを、出来る限りトガった感じでつづっていきます。 でも性格があれなんで、そんなにトガってないと思います。
山を登って、亡き人に思いを馳せました。 #26~35 京都大学を中退した医学部生が世界一周してみた
旅の第二交差点ーネパール⑤2009年1月のある日、ぼくの人生は大きく動いた。 2006年から京都に住み始めて以来、自分を罵り続けて3年が経ったある日のことだった…
旅の第二交差点ーネパール④振り返れば18歳の春、ぼくは現役で京都大学に入学していた。 中高一貫校に通い、高校二年生が終わるまでの5年間は、勉強などしたことがなか…
旅の第二交差点ーネパール⑤ふと気が付けば、ぼくの旅は世界の宗教聖地というものに焦点が置かれていた。 スペインのカトリック聖地「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」…
旅の第二交差点ーネパール④スペインでやると決めた、徒歩による巡礼の練習も兼ねて、往路はほとんど小走りのようなスピードで向かったボダナートだったが、復路はそこでの…
旅の第二交差点ーネパール③弱り果てて、日本から逃げ出し早二ヶ月、この時のぼくは、図らずも宗教的な何かに助けを求めていたのかもしれなかった。 チベット仏教というも…
旅の第二交差点ーネパール②確固たる理由はないが、やらなければいけないような、未知の使命感に襲われていたのだ。 そうなってしまえば、もう逃げることは出来なかった。…
旅の第二交差点ーネパール①3月18日、久々に純粋な一人旅となり、寂しくもあり、清々しくもある空気を感じながら、ネパールの首都カトマンズに位置する、トリブバン空港…
インターネット在りて、この冒険在りーブルネイダルサラーム⑥さて、そんな国ブルネイで何をして過ごしたかと言えば、まず食事ということのみが、行動意欲の大半を占めるよ…
インターネット在りて、この冒険在りーブルネイダルサラーム⑤つまり、簡潔にまとめてしまうと、気楽な個人旅行のバックパッカーにとっては、最も不向きな部類に入る国だと…
インターネット在りて、この冒険在りーブルネイダルサラーム④この時のぼくたちは、ラブアン島での興奮と熱気に瘴てられて、深く考えることをやめていた。 何も知らない場…
インターネット在りて、この冒険在りーブルネイダルサラーム③とうとう、冒険の地、ブルネイに降り立つ時が来たのだ。 ここから先も、インターネットに頼ることなく、必要…
インターネット在りて、この冒険在りーブルネイダルサラーム②自分たちにこれといった情報がないこと、そして他者による情報の自然流入が少ないこと、更に、着いてみるまで…
インターネット在りて、この冒険在りーブルネイダルサラーム①登山を終えて、無事にコタキナバルの市街まで戻ってきたぼくと朋也は、早くも次の計画を実行に移そうとしてい…
登山と亡き人ーマレーシア⑩そして、ぼくの登山より時を進めること、およそ3ヶ月後の201X年6月5日、ここボルネオ島のキナバル山付近で大地震が発生し、18名の方々…
登山と亡き人ーマレーシア⑨自然と涙がこぼれていた。 ぼくは目を閉じて、故人へと思いを偲ばせ、それから意図せず家族に対しても、思考の枝葉を広げていった。 自分の流…
登山と亡き人ーマレーシア⑧初日の行程は、それほど体に負担の掛かるものではなかった。 標高4095mの山と言っても、登山口が既に標高1500mの場所に位置しており…
2019年1月24日 20:32
旅の第二交差点ーネパール⑤2009年1月のある日、ぼくの人生は大きく動いた。2006年から京都に住み始めて以来、自分を罵り続けて3年が経ったある日のことだった。その日は、これといった理由もなく、友達と京都東山の川沿いを歩いていた。天気は大層な曇り、月は満月である。なぜその日、その時機だったのかは分からないのだが、とにかくぼくはその友達に告げていた。少し前から頭には浮かんでいたが
2019年1月24日 20:28
旅の第二交差点ーネパール④振り返れば18歳の春、ぼくは現役で京都大学に入学していた。中高一貫校に通い、高校二年生が終わるまでの5年間は、勉強などしたことがなかったのだが、高校三年生に上がると、大学進学のため必死になって勉強をするようになった。もちろん、当時将来に対する展望などは何も持っていなかったが、ただただ京都大学に入りたい、という一心のみで、その後の10ヶ月を駆け抜け、見事に合格するこ
2019年1月23日 12:35
旅の第二交差点ーネパール⑤ふと気が付けば、ぼくの旅は世界の宗教聖地というものに焦点が置かれていた。スペインのカトリック聖地「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」チベット仏教の聖地「ボダナート」仏教の聖地「ルンビニ」少なく見積もっても、三箇所を念頭に置いたぼくの世界旅行は、あたかも「聖地巡礼の旅」という様相を呈していたのだ。そしてその時、一瞬で全身に鳥肌が立つような衝撃が体を走った
2019年1月23日 12:28
旅の第二交差点ーネパール④スペインでやると決めた、徒歩による巡礼の練習も兼ねて、往路はほとんど小走りのようなスピードで向かったボダナートだったが、復路はそこでの体験を何度も反芻しながら、バスでのんびりと帰った。日本人のオーナーが常駐している、タメル地区のゲストハウスに着いても、そのことが頭から離れず、その癒着を解くのには時間をかけるしかなさそうだった。その晩は何をするでもなく、晩飯を摂った
2019年1月21日 23:20
旅の第二交差点ーネパール③弱り果てて、日本から逃げ出し早二ヶ月、この時のぼくは、図らずも宗教的な何かに助けを求めていたのかもしれなかった。チベット仏教というものに興味があったのだ。もちろん、チベット仏教ということであれば、本場のチベットを訪れたくはあったが、そこを訪れることが困難であったことや、ルート上の問題から、書籍による少しの勉強の後に、カトマンズを訪れ、その風を少しでも感じようという
2019年1月20日 17:59
旅の第二交差点ーネパール②確固たる理由はないが、やらなければいけないような、未知の使命感に襲われていたのだ。そうなってしまえば、もう逃げることは出来なかった。やるしかないのだそう心に誓ったのは、クアラルンプール郊外の公園で、独り物思いに耽っている時だった。そして、その決断の翌日、早朝になるとぼくはネパールへ向かうべく空港へ向かった。このように何か大きな決断をした後にやって来る、
2019年1月20日 17:54
旅の第二交差点ーネパール①3月18日、久々に純粋な一人旅となり、寂しくもあり、清々しくもある空気を感じながら、ネパールの首都カトマンズに位置する、トリブバン空港にぼくは降り立っていた。実はこの空港に降り立ったのは、ブルネイを出てから3日ほど後のことだった。飛行機の乗り換えと、運賃との相談で、マレーシアのクアラルンプールで2日間を過ごした結果だ。そして、この宙に浮いた2日間をクアラルンプ
2019年1月20日 00:19
インターネット在りて、この冒険在りーブルネイダルサラーム⑥さて、そんな国ブルネイで何をして過ごしたかと言えば、まず食事ということのみが、行動意欲の大半を占めるようになっていた。さらに、食事という枠を超えて、二人とも普段はあまり口にすることのない、「スイーツ」というものにまで手を出し、街中を彷徨うようになった。とはいっても、そういった「スイーツ」すらも、あまり見つけることが出来ず、ひねもすフ
2019年1月20日 00:15
インターネット在りて、この冒険在りーブルネイダルサラーム⑤つまり、簡潔にまとめてしまうと、気楽な個人旅行のバックパッカーにとっては、最も不向きな部類に入る国だということがわかったのだ。しかし、ラブアン島での一件によって、事前期待値を上げてしまっていたせいか、ここでもまだ自分たちの信じたいことだけを信じようとしていた。ブルネイ人の彼から聞いた話を信じ切ることが出来なかったのだ。或いは、英
2019年1月18日 10:40
インターネット在りて、この冒険在りーブルネイダルサラーム④この時のぼくたちは、ラブアン島での興奮と熱気に瘴てられて、深く考えることをやめていた。何も知らない場所へ行くというのに、その国の性格というものを、直前に滞在した場所と同じようなものだろうと妄信していた。ヒトは、自分が信じたいものを進んで選択し、それを信じているに過ぎないのである。 いつか教授が仰っていた言葉であるが、この時のぼ
2019年1月18日 10:36
インターネット在りて、この冒険在りーブルネイダルサラーム③とうとう、冒険の地、ブルネイに降り立つ時が来たのだ。ここから先も、インターネットに頼ることなく、必要な情報は現地の人から得ながら、この地を楽しむのだ。と思うのも束の間、どこからともなく違和感を覚えたぼくたちは、ここがブルネイかと職員に尋ねてみると、違う、とのことだった。ブルネイに行くには、船を乗り換える必要があり、ここは「ラブア
2019年1月16日 23:39
インターネット在りて、この冒険在りーブルネイダルサラーム②自分たちにこれといった情報がないこと、そして他者による情報の自然流入が少ないこと、更に、着いてみるまでその国について調べてはいけないこと、この3点が条件だった。そうして選ばれたのが、ブルネイダルサラームという国だ。ボルネオ島北部マレーシア領の扁平な領土に、楔を打ち込むように位置しているこの国だが、日本国籍を有する人であれは、ビザの事
2019年1月16日 23:36
インターネット在りて、この冒険在りーブルネイダルサラーム①登山を終えて、無事にコタキナバルの市街まで戻ってきたぼくと朋也は、早くも次の計画を実行に移そうとしていた。その計画は、以前にバンコクで朋也や明日香と交わした、こんな会話に端を発していた。(旅の第一交差点ータイ⑦) 『やっぱり同じ場所に行っても、人によってとか、時期によってとかで感じ方って全然違うから、もちろん、この観光名所は誰が
2019年1月15日 22:43
登山と亡き人ーマレーシア⑩そして、ぼくの登山より時を進めること、およそ3ヶ月後の201X年6月5日、ここボルネオ島のキナバル山付近で大地震が発生し、18名の方々が命を落とした。その中には日本人男性も一人含まれていたとのことだった。6月5日この時のぼくは、ウユニ塩湖で有名な、南米のボリビアという国に滞在していたが、記事をインターネットで読んで、思わず泣いてしまっていた。ぼくが登山をした3
2019年1月15日 22:35
登山と亡き人ーマレーシア⑨自然と涙がこぼれていた。ぼくは目を閉じて、故人へと思いを偲ばせ、それから意図せず家族に対しても、思考の枝葉を広げていった。自分の流した涙が前向きなものだったのか、それとも後向きなものだったのか、判断がつかなかった。その涙は決して喜怒哀楽の四元論だけでは表現が出来ないだろう。強いて言うならば、その四つをなにがしかの按配で上手く調合し、後味の良いものに仕上げた
2019年1月14日 18:39
登山と亡き人ーマレーシア⑧初日の行程は、それほど体に負担の掛かるものではなかった。標高4095mの山と言っても、登山口が既に標高1500mの場所に位置しており、初日はそこから平坦距離にして6キロ、高さにして1700m上がった、標高3200mの山小屋に宿泊することになっていた。登山道には、約1kmごとにShelterと呼ばれる休憩所が設置されており、それを見つける度に、ガイドから数分の腰休め