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ひつじにからまって

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ひつじにからまっているものがたりたち
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#創作

路地裏にて

路地裏にて

「カバだってくしゃみをするだろうよ。この花粉なら」
「カバは花粉症になるのかい?」
「知らねえよ。たとえの話だ、たとえのな。いい加減菓子食うな、頭が鈍る」

やせっぽちは勢いづきながらデブを罵った。デブは微笑んだ。やせっぽちはその呑気にあてられ足元の缶を蹴り飛ばす。カチンと甲高い音を伴い缶は飛びだしていった。
表通りの人間はそれに目もくれない。見てしまえば、彼らに目をつけられるかもしれない。人目く

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知らないことなんて

知らないことなんて

「あのころのぼくは」だなんて振り返るとき、ぼくは少しだけ違和感を覚える。
遠く幼いころのぼくが覚えている日々は、まだ世界についても何も知らないときだったのだから。

無限に広がっている空にどこまで伸びているって思えた近所の道。
それが丸い地球でずっとまっすぐに進み続けていると、いつのまにか見覚えのあるものに囲まれていることに気付いたら。そうしたらきっとそのころのぼくだって、今のぼくみたいにつまらな

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少しだけ、手をとめて

少しだけ、手をとめて

「少しだけでいいから手を止めて一服しようよ。コーヒーでもいれるよ」
「邪魔しないで」

彼はわたしが作業に集中して少しすると、よく邪魔をしてきた。
そのせいでケーキのホイップがうまく固まらなかったこと、いい気分で散歩をしているときに足を止めなければいけなかったことがあった。それほどに暇であるのか、わたしが彼の欲しいときに相手をしてくれる存在であると思っているのか、その都度かんがえさせられてはうんざ

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ツルの背にのる思い

ツルの背にのる思い

千代折り紙の表をなぞると、指の圧力に応じて模様が動く。時代のながれに、ここまで進化したものかと感心した。

孫がねだられて買った折り紙は、その値段にためらってしまった。はじめはためらって他のおもちゃの方が面白いよと勧めた。仕方ないだろう、お年玉をねん出することも精いっぱいであるというのに。しかし、孫の眉が下がる姿を見ることがなによりも悲しい。これがじいじの悲しい性というものか。

結局、娘の目が届

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たましいのめいろ

たましいのめいろ

その音をわたしは台所できいたことがあった。思い出そうと頭をひねることもなく、それは換気扇の音であるとすぐにわかった。

空気の大きな塊が重低音を鳴らすことでこの空間は人の立ち入ることを許されている。目の前に横たえられている巨大なタンクが果たしてどんな働きをするのかは知らないけれど、ただそれはこの空間で平穏無事に生きていくうえで必要なものであることはわかる。

タンクの下を這うように、いくつもの管が

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せかいのへそ

せかいのへそ

「世界のへそがあるならば、この世界はえびぞりってことなのかな?」

彼はときどき発作のようにこんなことを言った。この日はまだ言いたいことはわかるけれど、「定期購読で組みあがった蟻の蟻酸で気圧を下げたら、ダウンバーストは防げたのかな」だなんてわけのわからないことを言いはじめた日には、その言葉でわたしに何をつたえたいのだろうと頭を悩ませなければいけなかった。

「それ誰の言葉?」
「扇風機のまわる羽を

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彼女のやさしさ

彼女のやさしさ

優しい言葉をかけると、植物はその声にこたえるようによく育つ。

彼女はいつもそう言って、アロカシアからサボテンまで衝動買いをした植物に声をかけていた。
「大きく育ちなね」
「土はまだ湿っている?大丈夫?」
ぼくはその彼女のやさしさが好きで、仕事で疲れて帰ってきたとき、同じように迎えてくれることが幸せだ。いたわってくれているのか水を差し出してくれるのだけど、いつもそこまでしてくれなくていいからと断る

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母のおままごと

母のおままごと

白飯に漬物をのせてお茶をかける。自分の好きなおかずがないとき、父はきまってそうして食べた。母は肉と野菜をあまり好まず、希望を伝えなければ魚料理ばかりがでてくることもあって、わたしもずいぶんと偏った食生活を送っていると思う。

「あの人、文句は言わないけれど行動で示してくるタイプだからね。受けとる側は、好き勝手なものよ」

母は父が食卓をあとにすると、いつもそうやって父の悪口を言っていた。父がそばに

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だらしのないひとびと

だらしのないひとびと

なにかに打込めることは、とても素敵なことだと思う。
部活帰りで汚れた制服の学生を見送りながらしみじみ感じさせられた。晩飯前だろうに、肉まんふたつを食べながら家に帰っていった。あれが若さなのか。

そう気づかされるのは、何回目だろうか。そう思わなければいけなくなったのは、いつからだろうか。もうずいぶんと年を取ったような気がする。たったひとつやふたつの年齢の差しかないのに、制服を着ている彼らを見るのは

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雪原のコオロギ

雪原のコオロギ

痛々しい声が雪原に響き渡る。
夏に鳴くことを許されなかったコオロギは、命の時を止められて冬の解き放たれた。身を置くための草花はすでにしなびれ、あくる日のため子孫が生を勝ち取れるように定められた使命を全うし力尽きている。

一方、冬に歌うキリギリスはコオロギの身の上を憐れみ、得られるかもわからぬ対価を求めて流れものとして各地を転々としていた。

懐かしい声に警戒と安堵を得る。コオロギの本能はそれが夏

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恋をした月

恋をした月

月食がはじまろうとしている。
月に一度の楽しみに、おとめ座銀河団は地球に暮らす人々は熱狂していた。

月が赤くなるということは、月を持つ我々にしか得られない天体現象である。そう人々は語り、赤くなった月をフライパンで熱した太陽の種ともてはやした。

「星辰の流れを読むならば、次回の月食は十日が三回過ぎたとき」

じきに彼らは失う恐怖を抱くようになった。いつまでこの月が赤くなる様を我がものとできるのか

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分厚い壁紙

分厚い壁紙

はじめは六畳だったのに、いつのまにか四畳くらいの部屋に感じる。
もう何年この家に住んだか。都心に近いわりに値段が安いから吟味して借りた部屋も、もはや全部がしょうもない。

「快適で、しゃれている部屋を」

そう胸に希望を抱き、なにかがあると飛び出してきた。
建物の背はみんな高くて、歩いている連中はみんな大抵が靴に泥がついてない。
飛行機代をケチってたどりついてみれば、なにもかもが違った。
道行くや

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彼女が好きなこと

彼女が好きなこと

「好きなことをして生きている人はすてきね。でも、その人たちと自分をくらべるといやになるの。だって、わたしには好きなことがないんだもの」

うつむきながら、彼女はぼくにそう言った。
「てにをは」をまちがえて日記をつけてしまったこと、ティッシュを忘れてはなをすすらなければいけなかったこと。
本当にささいなことで彼女はすぐにうつむいて、弱音を言っては泣きそうな目でこっちを見てきた。

めんどくさい奴だっ

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シャボンの夢が破れたら

シャボンの夢が破れたら

好きなことをしている彼女はとても素敵で、僕は上手でもないのに一緒になって絵を描いた。

「君の方が上手だね」

カシュガイのような絨毯を真似して描いてみたり、ふたりで一緒に近所の子供達と飛ばしたシャボンを描いてはぼくは彼女にこう言った。
彼女はそれをとても喜んで、その都度僕にキスをしてくれる。

「わたしはあなたより描いた時間が長いから、そう思うだけよ。あなたがうんと天才だったらまた違うのでしょう

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