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アートをめぐるあれこれ

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さすがに長く生きていると色々考えてきた。 文章にすることで少しずつ思考をまとめようとしたら、 書き散らしているだけだなこれは。
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[覚え書き]柿渋[マニアック]

[覚え書き]柿渋[マニアック]

柿渋(かきしぶ)というものがある。
何かというと、これは日本古来の塗料である。

青柿の実を絞って発酵させもので、これを塗ったものはオレンジ色に染まり、紫外線によって徐々に落ち着いた赤茶色に変化する。
そのままであれば木目を生かした仕上げとなり、
弁柄や松煙と言った顔料を溶かして着色すれば、不透明な塗料にもなる。
要するに昔からある、天然のニス兼ペンキみたいなものである。

家屋の壁、塀、家具、什

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才能、遺伝と環境

才能、遺伝と環境

覚え書き。

才能は遺伝するのかという話。

例えば、我が家は6人家族だが、多少なりとも絵画の才能があるのは、多分わたしと母だけである。

母の絵を見たのは数回だけしかない。

経営していた店のポップに添えてあったのが一度、晩年デイケア先で描いてきたのを持ち帰ったことが何度か。
いずれも丁寧な作業で、平均よりはよく描けているかな、といったレベルで、ボケが進んでからはきちんと描けなくなった。

父の

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サルの絵

サルの絵

遠い昔の学生時代。

私が卒業制作に描いた絵は「ヒューマニズムと自然」というタイトルでした。
ずいぶんと哲学的かつ難解で、今となっては自分でもさっぱり理解できないんですが、まぁ、ずっと過去のことです。きっとあの頃は、少しばかり賢かったのでしょう。

で、その高尚なテーマのもと何を描いていたかと言えば、「サル」の絵なのです。いったい何でサルだったかはここには書きませんけれど、もちろん当時の私のなかで

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キャッチボールと遠近感

キャッチボールと遠近感

その昔、戯れにボール遊びなどした時であった。
誰かが、「キャッチボールができない奴は信用できない」といったことを口走った。

わたしはキャッチボールが苦手である。

この日のことは、今でもたまに思い出すし、苦い気持ちにもなるので、結構悔しかったのだと思う。

キャッチボールが苦手なのにはわけがあって、わたしは生まれつきの弱視で、左目の視力が極端に弱かった。

人間は右目と左目の視点のズレから、対象

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講評会

講評会

Twitterで「講評」について話題になっていたらしい。
まぁごくごく狭い範囲の、しかもマイナーな分野でのお話で、その上、わたしのタイムラインなんて貧弱そのものだから、元々のツイートすらよくわからない。
ただここ数日、そんな話題がちょこちょこ流れてきて、
おもしろいのは、そのほとんどが、なんというか自分語りなのだな。
みんな「講評なんて、ふんっ」と言うようなスタンスで、それでもそれなりに思い入れが

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進歩がない

進歩がない

庭にある、百人乗っても大丈夫的な物置。
訳あって中を整理して解体することとなった。
中にあるのは、ここ20年分のわたしの作品である。

さすがにも20年たつと、作ったことすら忘れているような作品も多い。
あと、大概は展示しているのだが、こんな出来の悪いものを並べていたのかと、冷や汗をかくようなものとか。
まぁ心臓に悪い。

これを、とっておくもの、バラして材料に還元するもの、
そしてその存在を永遠

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ヌードデッサンあれこれ(2)

ヌードデッサンあれこれ(2)

昭和の時代はまだまだいろいろなことに無自覚で、(女性の)ヌードデッサンみたいなことも、しばしば下世話なエロ話として語られることがままあった。

初めてヌードデッサンに挑む高校生男子は、先輩からからかい半分に、様々な忠告だか警告だかをうけて、ガチガチに緊張して当日を迎えたものである。
しかしながら、いざその場にたつと、拍子抜けするほど何もなく
(いや、まあ何かがあるわけもないのだが)淡々と、普段描い

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ヌードデッサンあれこれ(1)

ヌードデッサンあれこれ(1)

何年か前だったか、母校の大学で、フェミニズムの観点から、ヌードデッサンの課題がなくなったという話が流れてきて、その時は何じゃそれと思った。
人体の構造や佇まいを理解するのに、ヌードデッサンというのは大変重要な課題だし、美術の専門教育の場がそれを手放してしまうのは、どうしようもない愚行に思えたのだ。
しかし、そもそもフェミニズムのという件が正確かどうかわからないし、女性ヌードがなくなったのか、男女と

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形の人、色の人

形の人、色の人

覚え書き。

美術の世界には、形の人と色彩の人がいて、
分かりやすい例だと前者がセザンヌで後者がルノワールである。

ピカソとマチス ドガとロートレック 安井曽太郎と梅原龍三郎。

彫刻の人と絵画の人というのもいる。
モディリアーニは画家だが、本質は彫刻の人だと思われるし、ジャコメッティはその逆。
ミケランジェロは絵も彫刻もよくしたが、圧倒的彫刻の人。
一方ダ・ヴィンチは万能の天才だが彫刻の香りは

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努力と才能

努力と才能

努力と才能について時々考える。
自分が長く教員であったことが理由だと思う。
このテーマは散々論じられてきたことだと思うけれども、あまりしっくりくる論考を見たことがない。
結局両方大事なんだよというのが、当たり前の結論なんだが、例えば努力する才能だとか、続ける才能、みたいなことまで考えはじめると、何が何だかわからなくなる。

ところで世間一般には、芸術系は才能、学力系は努力のように語られることが多い

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