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夢を叶えた先にある現実の闇を考えさせられる芥川龍之介の作品集「蜘蛛の糸・杜子春」|読書記録

夢を追う。やりたいことにのめり込む。そうした行動は美しいもののように語られがちだが、その先にある闇が語られることはあまりない。思いに駆られて行動した後に何が残るのかを知ったとき、人間は何を思うのか。芥川龍之介の作品集「蜘蛛の糸・杜子春」を読む中で、筆者は思いのままに行動した人間が直面する現実について考えさせられた。

芥川龍之介「蜘蛛の糸・杜子春」に収録された短編小説の中で最も印象に残った「トロッコ」

芥川龍之介「蜘蛛の糸・杜子春」と珈琲専門店ヴァンガード

「蜘蛛の糸・杜子春」(上記リンクは広告)には、以下の作品が収録されている。

  • 蜘蛛の糸

  • 犬と笛

  • 蜜柑

  • 魔術

  • 杜子春

  • アグニの神

  • トロッコ

  • 仙人

  • 猿蟹合戦

有名どころで言えば「蜘蛛の糸」、「杜子春」だろうか。だからこそ本書のタイトルにも掲げられているのだと思う。一方で、筆者が最も印象に残ったのは「トロッコ」である。トロッコとそれを駆る土工に憧れた少年が、気の好い土工二人と共にトロッコを押し、またトロッコに乗り、思いがけず遠方まで歩いてしまう物語である。

『実人生の象徴』が描かれる芥川龍之介「トロッコ」

本書の解説において、本作は『実人生の象徴』と語られている。言い得て妙な表現だと感じずにいられない。思いがけず望みを達した少年のその後の心理の変転は、まさに現実の人生を象徴するような描写となっている。つまり、夢の先の闇である。日々眠りに就いて見る夢の後にやってくるのは朝の光であるが、現実で見る夢の後にやってくるのは闇である。

夢というものは、ともすると素晴らしいものであるように語られがちであり、それを叶えた者は成功者として持て囃される傾向にある。だが、当の本人にとって、夢を叶えた先にあるのは果たして成功によって得られる幸福だろうか。必ずしもそうではないのが現実だろう。

たとえば子供の頃から夢に描いたプロスポーツ選手になった先にあるのは、苛烈な生存競争であるし、そこで生き残ったとしてもその先には引退後の厳しい生活が待っている。もちろん優雅な日々を送れる人々も存在するが、決して多くない。生き残れさえしない多くのプロスポーツ選手のその後は、語られることすらないほどに厳しいものになるケースが多い。

憧れのトロッコを駆った少年のように、闇が空を覆っていく中を死に物狂いで駆けるが如く、夢を叶えた多くの人々は、傷だらけになりながら一寸先に闇が広がる先の見えない現実を生きていく。まさに「トロッコ」で描かれている少年の姿は『実人生の象徴』と言うに相応しい。ところで、これは何もプロスポーツ選手のような一握りの人々のみの話ではない。

たとえば世に溢れている仕事の多くもそうである。誰の目にも華やかに映る仕事の多くは、その実泥臭い地味な仕事の積み重ねの上に成り立っており、華やかに見えるのは泥臭い部分が誰の目にも映らない闇の部分であるためである。誰もがやりがいや働きがいを求め、煌びやか仕事に恋焦がれる昨今であるが、そんな仕事は現実に存在しない。

美しい泥団子ができるまでには、手を汚しながら泥を掻き集めて固めて磨く泥臭い作業が必要なわけである。昨今は、そうした当たり前の現実を目の当たりにして拒否反応を示したり、自分が想い描いていた仕事ではないと逃げ去る人々も多いらしいが、哀しいかな何処に行こうと何をしようと、結局泥臭い作業を積み重ねる道からは逃れられない。

ところで、「トロッコ」は夢を追う行為の現実として、もう一つの『実人生の象徴』を描いている。つまり、夢を追った先で後戻りする苦労である。いっそこちらの方がより克明に描かれていると言って良い。人間、誰しも自身が想い描く夢を追うとき、ちょっとやそっとの苦労は受け入れられるし、その中でも楽しみを見出せるものである。

夢の先にある闇に屈するような人間でも、魅入られた夢の現実の泥臭さに嫌気が差して逃げ出すような人間でも、存外夢を追っている間ならば、多少の苦労は苦労に感じない。ところが、夢に達したとき、あるいは夢を追うのを止めたとき、そこから戻る必要が生じたときになって、苦労を苦労として感じなかった道程に絶望するわけである。

もっとも過ぎ去った時間は取り戻せないし、過去に戻ってやり直すなんてこともできないからして、戻る必要性が生じたとしても、プレイバックさながら歩んだ時間を逆さに歩けるわけでない。できるのはあくまで方向転換である。その方向転換が、非常に険しい道のりとなる。

少年が駆けた苦難の家路同様、持っている重荷を捨て去りながら夜に駆ける長大な道程が伸びるわけである。年を重ねれば重ねる程に選択肢が狭まっていくのだから、当然と言えば当然である。分かりやすい例で言えば、中高年からの職種転換。あるいは年齢を重ねてからの結婚・出産を踏まえた人生設計。

人生における大事であればあるほど、少年同様、泣きながら先の見えない闇の中を駆けるが如く、険しい道のりを全力で駆けていく必要に迫られる。ここまで書いたように、芥川龍之介の「トロッコ」は、まさに生き方について考えさせられる物語である。とても短い物語でありながら、考えさせられる点があまりにも多い。読者の方々も一度読んで、考える時間を取っても良いかもしれない。


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