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息子に紡ぐ物語

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1男1女の子供を持つ平凡なサラリーマンと、父で作家の「長谷部さかな」は、不思議なキッカケから毎日メールをやりとりすることに。岡山県の山奥にある見渡す限りの土地や山々はどのように手… もっと読む
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2021年10月の記事一覧

【66日目】 日本に帰りたい

【66日目】 日本に帰りたい

ご隠居からのメール:【日本に帰りたい】

絢子さんが溺れた海の件、鎌倉ではなく、須磨か舞子だったかもしれない。書簡には記載はない。舞子には伊丹さんの家がある。

貴美子さんのストレスは想像にあまりあるが、素さん、はるさんのストレスをなんとか慰めようとしている。今でいう癒やし系の人だが、肝心の癒やし系の人まで死んでしまって、素さん、はるさんの嘆きは拡大される。悲運の一家を支えたのは京大理学部を優秀な

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【65日目】悲しみの訃報

【65日目】悲しみの訃報

ご隠居からのメール:【悲しみの訃報】

今回は一転して、岡村家の三女絢子(あやこ)さんが鎌倉沖で水泳中に溺れ、水死したという悲報への返信だ。ピアノを弾いている写真を見たことがあるが、絢子さんは音楽の才能豊かな女性だったようだ。だっこして随分可愛がってくれたそうだが、恩知らずの坊やはすっかり忘れてしまっている。

そもそもの悲劇の発端はノモンハン戦争だね。ハルピンはロシア人のつくた町ではなやかな大都

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【64日目】幸せな新婚生活

【64日目】幸せな新婚生活

ご隠居からのメール:【幸せな新婚生活】

「本当にきれいなお嫁様」と書簡007には書かれているが、そういえば、昭和二十年か二十一年、食糧難の頃、和服姿の喜久子さんが、突然、高瀬の田舎に現れたことがある。小学校からの下校途上で、「お嫁さんが来た」と友達がさわいでいた。その「お嫁さん」から声をかけられたので恥ずかしかったのを覚えている。

伊丹さんの御両親とは一度、お逢いしたことがある。昭和十四年に帰

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■【より道‐21】英霊の記録

■【より道‐21】英霊の記録

浦安の実家に帰ったときに「戸籍謄本」や「お祖母ちゃんの手紙」「井出ノ谷の登記簿」など新たな資料を受け継いだが実はもう一つ資料をもらっていた。それは、父とのメールのやり取りにもあったが、見田守登さんの資料。

この写真をみた瞬間、脳裏に残っている顔が呼び起されて夜眠れなくなってしまった。見田守登さんは、自分の曾祖母の弟さんなので、もちろん自分は会ったことがない。それでも、どこか見覚えのある顔なのだ。

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【63日目】新年のごあいさつ

【63日目】新年のごあいさつ

ご隠居からのメール【新年のごあいさつ】

書簡006を送る。これからが昭和十五年だ。日中戦争勃発から四年目だが、太平洋戦争勃発は一年後に迫っている。すでに砂糖やマッチなど日常生活に必要な物資が不足しかけていたという状況が書簡からもうかがえる。

差出人の名前は貴美子だが、これは通称で、戸籍上はたしかに貴美だ。

結婚式は高瀬の家で行われ、三日三晩飲めや歌えやの大騒ぎだったそうだ。酒の量は九升どころ

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【62日目】大豆の研究について

【62日目】大豆の研究について

ご隠居からのメール:【大豆の研究について】

貴美子さんから岡村はるさん宛の書簡と與一さんから岡村素さん宛の書簡を送る。昭和十四年には内地に一時帰国して、生後間もない初孫のお目見えをした後、大同に戻ってから郵送した書簡だ。

礼儀を失してはいないが、素さんからの申し入れに当惑して、腰がひけているような様子がうかがえる。素さんがクリスチャンだということはわかっていたが、旧教(カトリック)か、新教(プ

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【61日目】ネバーエンディングストーリー

【61日目】ネバーエンディングストーリー

ご隠居からのメール:【ネバーエンディングストーリー】 

「息子へ紡ぐ物語り」ーーいいね。ひ孫が貴美子おばあさんの手紙を読んでどう思うだろう。もっとも、若くして死んだから、おばあさんというイメージはない。28歳で死んだほうが、百二歳で死ぬよりもイメージ的にはトクかな。

ネバーエンディングストーリーを楽しみながら紡ぐことのできる人間は幸せだと思う。この世の中、カネがないと不自由するが、生きる糧はカ

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■【より道‐20】あらたな資料

■【より道‐20】あらたな資料

毎日のように父とのメールを続けていると、どうも実家に帰って話をしたくなってしまう。緊急事態宣言中ではあるが、高齢者の両親に会いに行くということを名目にして、浦安の実家に帰ることにした。

実家につくとすぐさま、ファミリーヒストリーについて話し合うのだが、その日は、父があらたに用意していた資料がいくつかあった。

資料①:井出ノ谷造林地

長谷部土地36町歩のうち父が一時的に相続したという井出ノ谷造

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【60日目】書簡

【60日目】書簡

ご隠居からのメール:【書簡】

ノートの書き出しーー誰かの文章に似ていると思った。誰だったかなと記憶をさぐると、フランスの画家ポール・ゴーギャンが1897年から1898年にかけて描いた有名な絵画のタイトル、「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」(われわれはどこからきたのか われわれはなにものか われわれはどこへいくのか)という言葉が浮かんできた。

そのように考えたのは

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【59日目】家族史

【59日目】家族史

ご隠居からのメール:【家族史】

家族史(ファミリーヒストリー)が文学の源泉であることを昨日の会話で再確認した。「ノート」の書き出しの文章を送ってくれ。不思議なことに、文学的教養のまったくないはずの息子の文章が、文学的教養のある父親が若い頃、書いた文章に似ている。

ツルゲーネフの小説「父と子」が高瀬の家にあったのを読んだことがある。保守主義と虚無主義、父と子の価値観がまったく食い違う悲劇が描かれ

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【58日目】井出ノ谷造林地

【58日目】井出ノ谷造林地

ご隠居からのメール:【井出ノ谷造林地】

岡山県と締結した井出ノ谷造林地の土地所有者には次の名前が載っている。

 長谷部弥左衛門
   右相続人 長谷部與一
 長谷部次郎
   右相続人 長谷部與一
 長谷部勝治郎
   右相続人 長谷部與一

その他、松田善太郎(→栄作)、信谷安次郎(→徳重)、柴原作次郎(→爲三郎)、などの署名があり、別のページには井上富士男の署名もある。次郎は友次郎だと思う

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■【より道‐19】八つ墓村

■【より道‐19】八つ墓村

父とメールのやりとりを続けてると自分たちのご先祖さまに関わる知らない言葉や情報が入ってくる。その内容をネットで調べると、なんだかそれらしい情報が収集され、あらたな謎が生まれる。この作業を繰り返すことが「歴史ロマン」というものかもしれないが、事実と逸話が交じり合い、なんだか推理・推測が溢れ出てしまうのだ。まるで、完成していない実体験版の推理小説にのめりこんでいるみたいだ。

例えば、父の随筆「尼子の

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【57日目】蔵に閉じ込められた記憶

【57日目】蔵に閉じ込められた記憶

ご隠居からのメール:【蔵に閉じ込められた記憶】

長谷部氏が西谷氏と分かれた時代は、戦国時代末期、信谷氏が分家したの
は明治維新後と推察される。三百年の時差があるよ。

菫子おばさんの実家は秋葉氏。鳥取県日野郡岩見村大字花口。やはり尼子の落人の裔かもしれない。オレが真っ暗闇の蔵に閉じ込められたとき、鍵をあけにきてくれるのはいつも菫子おばさんだった。

 昭和十八年四月十二日、菊二さんとの婚姻届出。

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【56日目】死者たち

【56日目】死者たち

ご隠居からのメール:【死者たち】

親戚の戦死者にはもう一人、吉田八束さんがいる。昭和十八年五月二十日、與一さんと文子さんが結婚した時、吉田家の戸主は弟の八束さんだった。その後、フィリピンのバターン半島で戦死したと聞いている。菊二おじさんがルソン島で戦死したのは昭和二十年二月だ。

祖父勝治郎さんの死去は昭和十九年六月十四日。その時、菊二さんは戦死していないが、與一さんが家督相続の手続きをしている

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