隠し事は“うつ”への第一歩
①臭いものには蓋をする
やましいことには触れず、
言われたくないこと、
言いたいことを抱えて生きてきました。
そのまま20歳になり
私はパンクしました。
当時大学2回生だった私
進路、現在、対人関係、家族、学校、
バイト、やりたいこと、できること、
できないこと...
色々悩み考え、不安や憂鬱でした
悩むのに疲れた私は、現実逃避に走りました。
20歳にもなれば、現実逃避する手段はいくらでもあります。
クルマに乗ってどこか遠くに出たり、
酒に酔って潰れたり、
常に珈琲と煙草はお友達。
そうやって、
快楽に溺れている時間は
現実を忘れさせてくれる
本気でそう思っていました...
なんてバカな考えなんでしょうね?
人間とはそういう生き物なんでしょう。
②虚構と現実の落差
そうやって現実に目を背けて、楽しいことだけに目を配り生きていた私
日を重ねるごとに自分が思い描く虚構の自分と現実の差は広がる
何が正しいか何をするべきなのか、
物事の順序や冷静な判断ができなくなり、 その場の思いつきで行動するようになりました。
当時の私は自分の行動を
自由奔放な生き方
そんな風に受け止めて
ちょっと良いな、と思っていました。
いや、
そう思うようにしてたんでしょう。
自分を平穏に保つために
③物事が見える範囲
人は、感じたいものを感じて、
感じたくないものを背ける。
人には、物事を捉えることができる範囲があると思うんです。
その範囲を視野と考えましょう
自分を中心に360°あるとして、
その中に過去と現実、理想、虚構があるとします。
理想や虚構にばかり目を向けていると、
見るべき現実の課題問題が肥大化。
やがて人は、理想も虚構も見えなくなっていく。
表現が難しいんですが、
今振り返るとそんな感じでした。
私の心のキャパシティは
ダムの決壊の如く崩壊しました。
ちょっとずつ溢れるんじゃないんです。
いっきに崩れるんです。
蓋をしていた筈のモノは連鎖的に蓋が開いていく。
他人や家族に隠していたことも全部バレていく。
そして何より、
現実を自分に隠していたことが
一番大きなツケでした。
言うまでもなく、深い鬱状態でした。
④いきなり人は直視できない
今まで見て見ぬふりをし、
自分に隠していた自分の現実。
いきなりは直視できませんでした。
それまで社交的で友達作りにも苦労する
ことはあまり無かった私でしたが
20代にして引きこもりに。
怖いんです、
人と会ったり話したりすることが。
目を開けば全て現実
太陽光ですら負担で、
意図的に昼夜逆転をしていました。
月に一度通院する時だけ家族と外出。
最初はそれすら苦痛でした。
そんな私が唯一見ていたのは
スマホとインターネットでした。
理想でも現実でもない、
ただ頭を空にして他人事を眺める時間は、
私を無心にさせてくれました。
⑤闇に光が射し込んだ
闇のような日々が3ヶ月ほど経過
ある日Twitterを見ていると、
#ホメ療法 というハッシュタグを見つけました。
このハッシュタグをつけて、自分が今日できたことをツイートする。
他人の誰かが“いいね”をして、褒めてあげるというものだ。
ツイートの内容は様々で、
買い物して料理できたとか、
朝起きれた、薬飲めたとか
なんでもいい。
なんでも大抵誰かいいねしてくれる。
※ホメ療法については別記事で話したいと思います。
他人の誰かに認知してもらう、
これが思いの外効果的だったんです。
ツイートする内容を考えるうちに、
自分が今日やったことを振り返るようになり、できることが増えていく。
そうなんです、自分を少しずつ直視できるようになったんです。
過去や現実の全てを見なくてもいい、
いま、この瞬間の自分から
向き合っていけばいい
闇のような毎日に朝が訪れた瞬間でした。
⑥まずは自分を褒めてほしい
人は1人で生きていけない。
身を持って学んだ人生の転換期でした。
人生は山あり谷あり、
良い時もあれば、
悪い時もある。
隠し事だってするし、
自分に言い聞かせることもある。
でも人が生きていく上で隠し事という存在はあまりにも負担が大きいんだと思います。
懺悔と共に人が涙するほどですから...
抱えこまず、誰かと共有するだけでもいい
他人でも家族でも友人でも動物でも
きっとそれが、事を前に進めてくれるはず。
この瞬間の現実の自分から見てほしい
少しずつ自分の見る範囲を増やして
気付いたことは何でも褒めてほしい
やがて、落ち着いて自分と向き合うことができるようになる時がくるはず。
そしてまた迷い、見失うこともある。
その時はまた、
今の自分から見つめたらいいと
思いましたが
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