マガジンのカバー画像

宛先のない手紙 vol.2

389
ほぼわたしの考えを垂れ流すエッセイのようなもの。その2。
運営しているクリエイター

#思っていること

広くて狭い、愛しき世界

広くて狭い、愛しき世界

“ネット越しの人”がリアルに付き合いのある人よりも近しく思えたことがある。高校2年生の頃のことだ。

何でその場を知ったのかは憶えていない。とある未成年、若者向けの掲示板で、わたしは彼女に出会った。

遠く離れた広島県に住んでいる子で、年は三つ下。たまたま出会ったわたしたちは、互いの恋愛相談を中心に、さまざまな話をしていた。

当時、わたしは誰にも自分の恋愛話をしたことがなかった。ひとりに言うと、

もっとみる
理想は、ふんわりがいい

理想は、ふんわりがいい

何かをはじめるとき、そこには何かしらの理想がある。

築きたい家庭像、描いていた夫婦関係や親子関係、自分のキャリア。確固たるものではなくとも、何となくの理想を抱いている人の方が多いように思う。

むしろ、理想はぼんやりしているくらいの方がいいのかもしれない。



友人の子どもが、担任の一存で作文を発表するはずだったところを別の子に変えられたと聞いた。聞いただけだから一方的な判断はできないけれど

もっとみる
光と陰鬱と書くこと

光と陰鬱と書くこと

どことなく陰鬱な日々がつづく。具体的に「何かがあった」わけではない、と思う。まったくのゼロではないけれど、原因として挙げるにはどこか心もとない、というか。

ストイックにはなれないし、常に全力投球、一生懸命でもない。というより、馬力が本当になくなった。おかしいな、昔はもっと全力でやれたはずなのに。そう思ってはみるものの、その「昔」は本当に昔のことだと気付く。

10代で精神を病んでから、わたしの「

もっとみる
這いつくばってやり過ごす日

這いつくばってやり過ごす日

一本の道がある。わたしが歩いている道だ。曲がりくねったり、時に分かれ道にであったりしながらも、それでも道はつづいていく。

人生を道で例えることに、いつ頃であったのかはおぼえていない。おぼえてはいないのだけれど、小学生時代に友達とつくっていた創作冊子の名を「さんぽみち」と名づけたのはわたしだ。道、というものに惹かれていたのかもしれない。(名づけた理由は忘れてしまった)



時に、わたしの歩く道

もっとみる
見て聴いて嗅いで触れて、育む

見て聴いて嗅いで触れて、育む

行きたい場所が、またひとつ増えた。



「周りのお母さんは、“夏休み嫌だ〜”とか“やっと夏休み終わる〜!”って言うんやけど、お母さんそんなこと思ったことないんよね」

わたしが小六くらいだったろうか。夏休みが終わるころに母が言った。

「お母さん、“もう夏休み終わっちゃうわあ”って思うんよねえ。始まるときは、“今年は何しよう”って楽しみなんよ」

当時、母は専業主婦。介護ヘルパーの資格を取りに

もっとみる

それ、本当に「その人」を見ている?

世の中にはいろんな人がいて、どうやらそれぞれ違う価値観、考え、感情をもっているらしい。

そのことに気づいたのはいつだったろう。我が家の5歳児を注意しながら、そう思った。

彼はまだまだ「自分のおもしろい」と「他人のおもしろい」が分かれていることを理解しきれていない。兄に茶々を入れて泣かせるたび、「自分だけがおもしろいのはダメ。嫌がられたら止める!」と口酸っぱく言い聞かせている。



自分の価

もっとみる
嘘と本当、善と悪

嘘と本当、善と悪

嘘ついたらハリセンボン飲ーます、指切った、とか。

嘘つきは泥棒の始まり、とか。

嘘はいけない。嘘つきはよくない。そんな風に、子どもは教わる。わたしも子どもたちに「嘘をつくな」と教えている。嘘が発覚して叱ったことも、何度も、何度もある。



嘘のほうがよかった。

そんな言葉を見た。正直さを「ずるい」とする声だった。そもそも、元の言葉が本当なのか嘘なのかは本人にしかわからないのはさておき、少

もっとみる

思い込みの檻

バイタリティがある。エネルギッシュ。フットワークが軽い。

どれもこれも、最近よく言われる言葉だ。言われるたび、おもしろいなあ、と思う。そうかあ、わたしはバイタリティがあるように見えるし、エネルギッシュに見えるし、フットワークが軽いように見えるんだなあ。



あなたはさ、自分のことを決めつけすぎてると思うんだよ。自分が思う自分だけが「自分」じゃないよ。

高校時代にすきだった人から言われた

もっとみる

ジグザグ歩きのウォークラリー

東京の街中では、目的地にまっすぐ向かえない。

大阪からわたしに会いに来てくれた幼馴染は、「平日の昼間でも、東京ってこんなに人多いん?」と言った。ランチ時ではない時間にもかかわらず、カフェの窓から見える交差点は多くの人で行き交っていた。「多いのがデフォやなあ」と、コーヒーを飲みながら答える。大阪も市内であれば歩きづらいけれど、わたしたちの住んでいた街は郊外で、歩くのに苦労するような場所ではなかった

もっとみる
目には見えない

目には見えない

本当に大切なものは目に見えないと、小さな小さな王子さまは言った。星の王子さまに出会ったのは小学生の頃。五年生頃だったかな。岩波の函入り布張りの立派な本は、今もわたしの手元にある。

有名なあのセリフは、初読したときのわたしには大して響かなかったように思う。目に見えない大切なものに気づけるほどには、まだその頃のわたしはマセてはいなかった。自分の内側に潜り言語化し始めた頃で、ただひたすらに意識は内に内

もっとみる
無謀は安心が作る

無謀は安心が作る

わたしの通っていた中学校は、一風変わった校舎だった。

片側はL字に曲がり、もう片方は八角形。八角形の校舎には各面に沿って教室が並び、周りにはベランダがあった。

ベランダには自由に出入りできたのだけれど、今思うとちょっとすごいな、と思う。事故リスクとか、今言われたりしていないのだろうか。

そんなベランダは生徒の憩いの場で、わたしもよく昼休みを友人と過ごした。そして、そこから校舎側の階段の踊り場

もっとみる
専業シュフは無職じゃない

専業シュフは無職じゃない

わたしたちは、生き方のすべてを選べるわけじゃない。

ひとり暮らしならいざ知らず、結婚して家庭を持ち、さらに子どもに恵まれた場合、何でもかんでもすきに人生をデザインすることはできない。経済力は必要だ。少なくとも、家庭単位では。

たとえ「結婚や子育てを選んだ」といわれたとしても、家庭を守るための判断のすべてを「あなたが選んだんでしょ」と外野がいうのはいかがなものかと思う。

これは何も、結婚して家

もっとみる

「何もない」はスタートライン

うまくいっているように見える人に対して、「あの人だからできるんだよ」と言う人がいる。わたしもそう思ったことがある。「あの人だから」は、確かにその人の持ち味で、わたしにはできないなあと思うからだ。

でも、「あの人だから」を「わたしには何もできない」とする免罪符にしてしまうのは、勿体ないなと思う。

何もない、といってしまえば、多くの人は何もないと思う。ちいさなちいさなきっかけを、そのままにしたか育

もっとみる
深夜0時過ぎ、武蔵野線ホーム上

深夜0時過ぎ、武蔵野線ホーム上

9時過ぎから、23時半まで飲んでいた。

馬鹿か、と思う。そんな今は、まだ帰り道の駅のホーム上だ。

馬鹿か、と思われるようなことがすきで、それを許される場が今のわたしにあることを、ありがたいなと思う。

酒はおいしくて、会話はピンポン球のように四方八方弾けながら弾んだ。

酔いどれてテンションがおかしくなっている人も、ご愛嬌……いや、「令和の大人の飲み方」はどこにいったのだろう。なお、わたしは今

もっとみる