著者は京大教授。この本は1966年に出版された国際政治の名著でロングセラー。50年以上前の作品であるが現在でも十分に参考になる内容。また、平易な言葉で書かれているので読みやすい。国際政治に興味のある方は一度は読むことをお勧め。
以下、簡単に抜粋と要約と感想
1)第一次世界大戦前後の国際情勢の変化
第一次世界大戦前:
第一次世界大戦後:
第一次世界大戦後、国際社会では平和が大きな課題となり、1921年から22年まで史上初の軍縮会議であるワシントン会議が開催された。ここでの「海軍軍備制限に関する条約」「中国に関する九国条約」「四国条約」などの取り決めは、大戦後のアジア太平洋地域における「ワシントン体制」の基盤となった。外相幣原喜重郎はこのワシントン体制に沿った対英米協調を基本とした国際協調,経済外交優先,中国内政不干渉を3本柱とする「協調外交」を展開したが、筆者はこの幣原の協調外交を否定している。
19世紀に始まる工業発達:
より大きな破壊兵器 & 大衆を兵士として全国民を動員可能
⇒ 多くの死傷者 ⇒ 勝利者にとってその犠牲はその果実よりもはるかに大きい。
第一次世界大戦後の平和志向は、軍事テクノロジーの発達&ドイツ強大化が戦前の勢力均衡体系を破壊したことに起因していると著者は分析。
ドイツの統一と強大化に鉄道網の発展が関連していたことは初めて知った。現在、人口世界一になりつつあるインドは急ピッチで国家の弱点である鉄道網の整備を行っているが、これは将来インドの強大化にどれくらい貢献するのか興味深い。
2)世界政府と国際法による平和について
筆者はルソーとカントを引用して国際法や世界統一政府による平和樹立の可能性を否定している。実際、現在国際社会は主権国家による「無政府状態」(国際法が機能していない)と化しているが、仮に世界政府が出来ても「専制」となり機能しないと言う。その原因を「国際社会にはその基礎となるべき価値体系の欠如」にあるとしている。
国民国家は「国民が基本的な価値体系を共有している」から秩序が成立しているという筆者の考えは、ベネティクト・アンダーソンの「想像の共同体」で述べられた説明(「想像の共同体」(=国民国家)の根源には、ある一定地域で共通する言語が重要な役割を果す。つまり印刷物や出版物により出版語を読むことを通じて大きな共同体の一員であることを感じる)を彷彿とする。
ウクライナ戦争や中国の膨張、タリバンによるアフガニスタン制圧などのニュースを目にしていると、欧米とそれに付随する日本などの「民主主義と自由な社会」といった価値観と相容れることのない価値体系が並立(=「複数個の正義が並立」)している。どのように人類全体の平和を確立していくかは今後も大きな課題である。
3)国連の意味
国際世論で思い出したのが、2015年の国連サミットで採択されたSDGs(持続可能な開発目標)はSDGs の17のゴール・169のターゲットを定めたが、「SDGsは強制力のない目標であるが、賛同するものが増えることで、それが社会的な規範となり、国際的な規範となっていく。国連が本来持っているのは、このような規範構築へ向けた国際世論形成能力である。」(「SDGs(持続可能な開発目標)」蟹江憲史)ということである。国連は現在でも国際世論が形成されるフォーラムとして機能していると言える。また、国連が(特に5大国に対して)強制力を持たず、紛争の解決が出来ないというのは現在も同じ。(イラク戦争、ウクライナ戦争など)
4) 現実への対処
ここでも筆者は繰り返し国際社会の分権的性格ゆえに国連や国際法の強化を否定している。国際社会は現在混乱状態に陥っているが、これは国民国家における軍隊や警察などの「暴力装置」(マックス・ウェーバー)を国際社会が所有していないことに起因している。(そのため大国の暴走は止められない、核兵器削減が出来ない、紛争は長期化する。)
私は世界政府はともかく、何らかの強制力によって裏付けられた国際法の整備(もし可能であれば)が今後の人類の課題ではないかと考えているが、これはルワンダ虐殺後に提唱された「保護する義務」の概念などが、その取り掛かりにあたるのではないだろうか。(ただし「保護する義務」は現在まるで機能していない。)「強制力により裏付けられた国際法」(もしくは世界政府)によって、世界中の核兵器が必要最小限にまで削減され、きちんと管理される日はやって来るのだろうか。
(2023年2月9日)