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【読書ノート】「入門 開発経済学 グローバルな貧困削減と途上国が起こすイノベーション」山形辰史 (著)

著者は立命館アジア太平洋大学アジア太平洋学部教授。題名が示すように開発経済学の入門書。大学の教科書のように開発経済学の重要な項目が一通り網羅されている教科書的な内容になっている。しかしながら、近年の国際開発やODAの在り方に対して鋭い批判的な目を向けており、特に国連のSDGsと日本政府の開発協力大綱に対しては極めて懐疑的な立場を取っている。貧困で苦しむ途上国の人々を支援するために本当に必要なことは何であるかを問い詰め吟味すること、これが本来の学者・研究者の行う仕事ではないかと思われる。その意味で著者は大きな貢献を行っているのではないだろうか。

実は私は10年ほど前に「イデアス実践講座「よくわかる経済開発・社会開発」」を受講して講師の1人であった山形氏に会ったことがある。氏は色白で柔和な優しい感じの学者という印象だったが、その実、政府の政策に対しても忖度することなく極めて真っ当な批判を行う方で、これこそ外柔内剛の見本のような方という気がした。

第1章:途上国の(南北問題の)歴史と開発経済学の展開
第2章:世界の貧困/貧困削減の現状と「不利な立場の人々」
第3章:経済成長と技術革新の経済学
第4章:政府開発援助と国際協力


以下、いくつか気になった個所を抜粋:

国際開発から離れていくSDGs

MDGsもSDGsも、その進歩状況を世界各国が国連に報告し、国連が全体状況を把握して進行促進するというメカニズムを用いている。 しかし、MDGsにおいては、開発途上国が自国の達成状況を報告し、先進国が開発途上国支援の達成状況を報告するという体制だったのに対して、SDGsにおいては全ての国が自国のSDGs達成状況を国連に報告する ことのみが義務付けられている。つまり日本を例に取れば、日本の経済社会がどれだけ持続可能になったかを報告するのがSDGsの達成状況報告の主旨とされ、日本が開発途上国の持続可能な開発のためにどれだけ貢献したかは多くの達成指標の中の一部に過ぎないのである。 SDGsは「先進国も開発途上国も区別することなく、同等に扱ってる」と言えば聞こえは良いが、先進国の開発途上国支援の義務付けが実態上弱まっていると言わざる得ない。
このようにSDGsから国際開発の側面が弱められ、環境保護や自国開発の側面が強められることは、国際開発に 携わる人々から懸念されていた。SDGsの認知度は日本でかなり高くなっているが、海外の国を対象とした国際開発よりも、日本国内の身の周りで何ができるかの方に関心が置かれている。

214

開発協力大綱

これら「新大綱の4つのポイント」が指し示しているのは、日本政府がこれまでの政府開発援助(ODA)の概念を拡張し、新たな開発協力という概念を作り出していることである。・・・ポイント①で示したように安全保障目的の国際協力を含むといった分野的な拡張もあるが、ポイント②③で提示しているのは、国際協力はODAよりも「出し手」と「受け手」が増えていることが特徴的である。ODAとは日本政府が出し手となって開発途上国政府を受け手として行う支援を 示していた。これに対して開発協力は支援の受け手が多様化している。具体的には気候変動や災害、紛争等の脆弱性を有していれば、開発途上国の立場を卒業した中高所得でも支援の対象となる。また、日本の中小企業が開発 途上国に資するビジネスを立ち上げるのであれば、その日本の中小企業に直接支援することができる。このように開発協力は、受入主体が開発途上国のみならず、中・高所得、そして日本の中小企業へと拡張されている。
第2に「開発協力」は日本政府のみならず、地方自治体や民間セクターNGOの財源も動員して行うことができる。言い換えれば、日本政府の負担を他の組織に肩代わりしてもらえる。債務残高がGDPの2倍を超えている日本政府としては、国際協力を拡大するに際しても、日本政府以外の資金供給者が役割を増すのは望ましいとされる。そして日本政府は出し手と受け手をつなぐ「触媒」になろうとしている。つまり日本政府は開発協力という新語を作り出すことによって、民間部門やNGO等に責任分担を増やし、日本政府の財政的負担を、少なくとも相対的に下げようとしてるのである。

220-221

日本人が日本の経済成長に役立つ活動しても目標⑧の達成に貢献したことになるのであるから、SDGsに貢献しない活動を見つける方が難しいように思える。 また日本の開発協力大綱は現行のもののみならず、2023年改定の新大綱も政治的、経済的な日本の安全保障を最重点としている意味で国益重視である。国際社会や日本社会に生きる我々にとって、これらは 「私たちが国際協力をする理由」として十分だろうかと読者に問いたい。

228
ヒュームによる「高所得国が低所得国を支援する理由」

筆者が言いたいのは、日本国民の福祉の向上は、日本国民のための福祉政策や雇用創出政策、中小企業振興政策、地域振興政策といったそれぞれの課題対処の直接の目的とした政策で行うべきであって、国際協力政策の目的にする必要はないということである。他国の人々の福祉向上を目的にしているかに見える国際協力を手段として、日本の中小企業振興や地域経済振興を図るのは迂遠であると同時に透明性を欠きがちなので、望ましくない、と言いたいのである。

230

ポストSDGsの国際協力

これまで述べてきた論理から、SDGsが期限を迎える2030年以後の国際開発のあり方について、どのような建設的提案ができるだろうか。本章4節伸びたように、MDGsの目標数が8つだったのに対して、SDGsの目標数は17に増加している。
・・・それに対してSDGsは目標が17に増えたことから「少なくともどれかの目標に達成に取り組めば良い」という意識が広がっている。その結果、達成しやすい目標や自分の利益に直結する目標が選ばれやすくなっている。 仮にSDGsの後継となる国際目標が設定されるとするならば、目標数は減らし、焦点を絞ることによって、「精選された目標全ての達成に取り組む」という仕組みにすべきである。そのために減らして良い目標を上げるとするならば、それは「別の目標の手段と位置づけられる目標」である。
・・・経済成長や雇用エネルギー確保や技術革新、インフラ整備はそれら自体に価値があるのではなく、それらの充足を通じて、貧困削減、教育保険、平等、平和構成といった究極目標を達成するために有用だからSDGsに取り入れられたのである。したがって、これらの「手段的目標」は最終的なゴールではなく、それを達成するための下位目標として置かれるべきである。

230-231

(2024年2月19日)


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