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娘が真夜中に突然泣きながら話はじめた不思議なこと 4人の母で薬剤師

夜中の12時、当時2歳2ヶ月の娘が突然起きて、真っ暗な押し入れを指さして、
「怖いよ」と泣き出しました。
珍しく夜泣きかな。心臓手術の後やし、疲れているんだろうか。

「イツモ シンゾウノナカ イタカッタ イツモ テンテキ イタカッタ デモ ズイブンヨクナッタ」
(いつも心臓の中痛かった いつも点滴痛かった でもずいぶん良くなった)
そう言って娘はまた眠りました。

娘の言葉を聞いて、長い間胸につかえていた何かが流れ、号泣しました。

娘は、お腹の中にいるときに心臓に穴が空いていることがわかり、生まれてから手術が必要になると医師から言われました。

生まれた直後は、顔色も良く血中酸素も高かったので、夫婦ともに現実を受け入れることに時間がかかりました。

何かの間違いなのではないだろうか。
長い夢を見ているのではないだろうか。

主治医から、生後6ヶ月から手術ができることを提案されましたが、受け入れることができませんでした。

心臓は、握りこぶしと同じ大きさです。

娘の小さな手を見て
『この小さな心臓を本当に手術できるのだろうか、
もう少し大きくなるまで待てないだろうか、
誰に手術して貰えばいいのだろうか』

ファロー四徴症は手術すれば、助かる病気であるけれど、いつ誰に手術してもらうかで、娘の人生の質が決まります。

成長する段階で、再手術が必要になるのか決まります。
その決断を両親がするという責任の重さが、本当に苦しくて、子供たちがいないところでたくさんの涙を流しました。

でも、
『泣いている場合でじゃない情報が必要だ、いま私ができることは、心臓病の子供を持つ親達から経験に基づく情報を集めることだ』と切り替えました。

病院の待合室、公園、ママ友、何かヒントになる情報が欲しくて、全く知らない人にも積極的に話しかけ情報を集めました。

今振り返ると必死でした。
後悔したくなかったのです。
だから、娘が再手術をしないように必死で情報を集めました。

1歳を過ぎると、体が大きくなるために全身に酸素が行き渡らず唇が紫色になり、ときどき息切れをするようになりました。

娘の心臓病を受け入れるときが少しずつ近づいてきました。
『いつ、どこの病院で、誰に手術をしてもらえばいいのだろうか』悩み苦しみました。

1歳8ヶ月、車の中で息切れをし始めたのを見て、決断のときを覚悟しました。
集めたたくさんの情報の中から主治医を決めました。
主治医は、人柄もよく、小児心臓外科ではたくさんの後輩医師から尊敬される方でした。

2歳1ヶ月、娘の手術は無事に終わりました。

でも、医療には、正解はありません。
医療は、どんどん良くなりますが、その一方で、いま主流である手術方法も主流でなくなることもたくさんあります。
つまり、その手術方法は、良くなかったと判断されることがたくさんあるのです。

娘とICU(集中治療室)で過ごした1週間は、生きた心地がしませんでした。
手術後に高熱が出るので、冷却装置で強制的に体温を下げ過ぎたら、肺に水が溜まりました。
医療用麻薬を点滴しているために、私の顔を見ても全く反応しませんでした。

『死ぬのかも』

ICUの中では、患者達のアラームが24時間あちこちで鳴り続け、たくさんの生と死があります。

心の中に不安の嵐が吹き荒れていましたが、必死に蓋をしました。
退院して家に帰るまで、絶対泣かないと決めていたからです。

1週間後、ICUから小児病棟に移ることができ、医療用麻薬が抜けた1週間後から、娘は少しずつ話すことができました。

夜中に、娘が小児病棟の個室の入り口を指さして
「黒いのいてる」と言うので、
「ママ、怖いんやけど」と笑いながら、怖さをごまかすように答えました。

小児病棟には、何年も入院している子供や最後まで家に帰ることができない子供がいます。

小児病棟で過ごした5週間、たくさんのママ友ができ、看護師さんや保育士さんに精神的に支えてもらいました。
小児病棟で働くスタッフの精神面の強さを心から尊敬します。

そして、家に帰ってようやく落ち着いた1ヶ月後、娘が突然押し入れを指さして言ったのです。

「イツモ シンゾウノナカ イタカッタ イツモ テンテキ イタカッタ デモ ズイブンヨクナッタ」

号泣しました。

『ずいぶん良くなったんだ』
誰かが教えてくれたのだと思います。
もう、自分を責めなくて良いのだと、自分たちの選択を正解にしていいのだと。

娘が心臓病とわかってから、この日まで必死に走り続け、
『全てをやり切った』と言えるのか、
『医療には正解はないけれど、私たちの選択は本当に正しかったのか』常に答えのない質問を自分にして、胸につかえる気持ちがありました。

でも、娘の言葉を聞いて、
『これで良かったんだ、よく頑張った』と誰かに言ってもらえたような気がしました。
今でも涙が出るのは、あのとき泣けなかったからでしょう。

全ての出来事は、必然であると言いますが、その課題の意味は、何年も経ってからわかることが多いかも知れません。

娘は、入院中ほどんど泣かず医師や看護師に驚かれました。
それは、両親の必死さが、伝わり過ぎて子供らしく振る舞えなかったのかも知れません。

そして、心臓手術の胸の傷跡を悲観的に捉えないように
「よく頑張ったな、一生分頑張ったな」と娘を褒めると、
「学校でみんなに自慢してきてん」と娘は答えます。

子供は、親を無償の愛で包んでくれる天使だと思います。

子供は、自らの体を犠牲にしてまで親を成長させてくれると聞いたことがあります。
これからも4人の子供達に教えをいただきながら成長していきます。

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