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自論⑥:「幼少の記憶⑴ <霧の中のバス停>」

保育園児の頃。

思い返せば20年前のことだったか。

登園前の交通手段は過酷であった。

父と弟と一緒に保育園まで向かった。

弟と同じ保育園。

父は送り迎えした後、出社した。

それは、朝であった。

霧のかかったバス停。

信号場の先には

周りには日産マーチが駐車した新築の一軒家があり、

バス停の目の前には

空き地に虎柄のロープが架かっていた。

私はそこで縄跳びのようにジャンプしたり、

綱引きのように紐にぶら下がったり、

虎柄のロープで遊んでいた。

バスが来るのを待ち切れなかった。

すると、私はある時、そのロープが右耳にあたり、

右の耳たぶをちぎってしまった。

父は仰天して、病院へ向かい。

母が見届けてくれた。

その病院の看護婦は、

私の右耳が真っ二つに切れて、ぶらぶらしているのを

笑いながらゆさゆさと揺らして

「痛かったね〜」と言って、遊んでいる。

母はそれを見て、内に怒りが込み上がっていたが、黙って、

私の右耳治療をちゃんとして、縫って。

やっと元通りに戻った。

今でもなお、

私の右耳たぶは普通の人間の耳たぶのようになって

そして、耳にはもっこりした切れ後の線が痕跡として残っている。

そのせいか、私はピアスをした経験が一度もない。

あのバス停はいかにも残酷であったことか。

あるときは、登園時に、そのバスの中で、

うどんと髪の毛がこびれついて、後味が悪かった。

それはうどんが私の胃の中に合わなかったのか。

まるで、オペラ座の映画を観てから、

豚カツ丼を食べて調子が悪くなったあの頃、

その頃は小学生の時だったので、其を思い出す。

また、保育園児にて通っていたバス停は、

およそ、今から8年前に、

その近くの工場にて大規模な火災が発生した場所で、

非常に有名である。

あの霧のかかったバス停は、今もあるだろう。

















どうも、丸々です!ァディオ───(`・ω・´)ノ───ス

こんなこと、書いてみました(๑•ω-๑)♥

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