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「パタン・ランゲージ」でつくる有機的な人の営み(太田直樹)

太田直樹「未来はつくるもの、という人に勧めたい本」 第1回
"A Pattern Language: Towns, Buildings, Construction"
by Christopher Alexander 1977年出版
パタン・ランゲージ―環境設計の手引
著:クリストファー・アレグザンダー  訳:平田 翰那
鹿島出版会  1984年発売

「環境設計の手引」と表題の上に書かれている『パタン・ランゲージ』を紹介したいのだけれど、いざ書き出してみると、どのような内容なのか、とても説明が難しい。しかも、邦訳は1万円近い値段で、1984年発行ときている(原書は1977年)。最初の書評なのに、自分でハードルを上げてしまった。
まず、この本を手にとることになったきっかけについて書きたい。つまりは長い前置きだ。

手っ取り早く本書の内容を知りたいひとは、Amazonで「なるほど」と思うレビューが見つかるはずだ。97年のものから最近まで、200人以上が熱心に語っている。そう、この本は、数十年にわたって、いつも新しい読者を魅了しているのだ。そして、レビューのタイトルをみると「建築を学ぶ人の必読書」「新しいデザインの考え方」から「世界を変える方法」まで、読み方はいろいろあることが分かる。(ちなみに、Amazonで英語版を買うと、37ドル73セントだ。※ 5/8時点)

人間らしい暮らしの叡智が詰まった手引書

さて、僕がこの本を知ったのは、2018年の初めだった。新進気鋭のランドスケープデザイナー、熊谷玄さんに教えてもらったのだ。ただ、環境設計やランドスケープに興味があったわけではない。そのころ、僕はちょうど2度目のキャリアチェンジの最中で、熊谷玄さんや、ヤフーのCSOで慶應義塾大学SFC教授の安宅和人さんたちと「風の谷をつくる」というプロジェクトを始めようとしていた。また、自分が立ち上げた会社では、会津若松で「未来のくらし」プロジェクトの準備をしていた。

「風の谷」プロジェクトは、このまま都市への人口集中が続いた先の、映画『ブレードランナー』のような未来に対して、その代替案をつくることを目指している。都市と地方の経済格差は世界中で拡大していて、都市は人を引きつける。ただ、そこで「人間らしい生活」をすることは難しくなっていく。
一方で、古くは縄文時代から人間が暮らしてきた美しい場所が限界集落化し、これだけテクノロジーが発達したいま、住むことが難しくなってきているのはなぜか。問いを再設定し、その観点からテクノロジーを最大限活用すれば、代替案をつくることができるのではないか。そうした問題意識をプロジェクトメンバーで議論するためのベースにしたのが本書だ。

岩手県遠野市で行ったプロジェクトにて、パタンランゲージを作っている様子。写真中央が熊谷玄さん

もうひとつの「未来のくらし」プロジェクトは、デジタルテクノロジーが進化しているのに、幸福度が下がっているというジレンマを扱っている。例えば、ソーシャルメディアが孤独を深めるといった話だ。また、一部の組織がテクノロジーを独占し、利用者が置き去りにされている状況を変えようとしている。このプロジェクトでも「風の谷」と同様に、迫りつつあるディストピアについて課題意識を持っている。

パタン・ランゲージが刺激的なのは、行政や建築家といった「専門家に任せるのが当たり前」だったまちづくりや家づくりについて、様々なひとが参加でき、しかも、人間らしい暮らしについての叡智が共通言語化されているからだ。プロジェクトでは、このアプローチを取り入れて、デジタル社会における「よりよく暮らすことをデザインする」共通言語づくりに取り組んでいる。

僕は、この本を身近なところに置いて、たまに開いては、250以上ある「パタン」をいくつか選んで読んでいる。すると、僕らが日々暮らし、学び、働く場は、こうあってもいいのではないか、という刺激が得られる。大げさにいうと、答えはもちろん、問いすらもよく分からないことに向かっていくエネルギーが湧いてくる。
こうした形で、この本に背中を押された人が、これまでたくさんいるのだろうと、ふと想像することがある。何がこの本に、そのような力を与えているのだろうか。

複雑なことは、複雑なまま扱う

20世紀に絶頂期を迎えた科学的合理主義は、物事を要素還元することによって、様々な秘密を解き明かし、人類に知恵をもたらした。工業製品を生み出したり、組織を効率よく運営したり、長生きできるようになったり、社会は大きく前進した。
しかし、前世紀の後半に入ると「このままでは将来は厳しいのではないか」という声が出始めた。代表例は1968年、ローマで最初の会合を開いて『成長の限界』を問題提起したローマクラブだろう。その後、参加メンバーであったメドウズ夫妻は『世界はシステムで動く』や『世界がもし100人の村だったら』といった、科学万能主義や要素還元主義に対する、新しい考え方、マインドセットを提唱した。

パタン・ランゲージ』の大きな特徴は、要素還元を否定していることにある。著者のC. アレグザンダーは、1965年に「A City is Not a Tree」という論文を発表し、注目された。当時の専門家がつくった都市の多くが「ツリー構造」すなわち、要素分解されるものになっており、それに対して、都市は「ネットワーク構造」(※当時、アレグザンダーが使っていた言葉では「セミラティス:網状交差図式 構造」)であるべきだ、という問題提起を行ったのだ。
典型的な「ピカピカの未来都市」のイメージの原型になっているル・コルビュジエの都市計画などが分析の対象になっていて、「ツリー構造のため魅力がない」と結論づけている。
ちなみに、“ピカピカ”への別のアンチテーゼとしては、これも長く読まれているジェイン・ジェイコブズの『アメリカ大都市の死と生』が1961年に話題になり、1984年には彼女の思想を体系化した『発展する地域 衰退する地域ー地域が自立するための経済学』が世に出ている。
それにしても、いまだに、いろんな国の資料の未来都市が、あいかわらずピカピカなのは、どうしてなのだろう。

本書に戻って、目次として書かれている「パタン・ランゲージの要約」を眺めると、253のパタンが、最初は町やコミュニティ、次に建物や空間、最後に施工というシーケンス(流れ)で整理されているが、個々のパタンは互いに参照・補完し合って、複雑なネットワーク構造になっている。

例えば、僕が好きなパタンのひとつ「大地へのなじみ(168)」は「家の床を周囲の土地に直接つなげないと、自然から孤立した建物になる」という課題を扱っている。それについての答えが、1頁ほどを費やして文章と写真・絵で説明されているのだけれど、注目したいのは前後の部分だ。

導入部分では、このパタンが他のどれに役立つのかというヒントがある。「街路を見下ろすテラス(140)」や「一間バルコニー(167)」などが挙げられている。そして、本文を挟んだ最後には、このパタンに必要かもしれないパタンも示されている。「柔らかいタイルとレンガ(248)」や「すき間だらけの舗石(247)」などだ。
こうしたネットワーク構造の関係性に目を配りながら、10個ほどのパタンを選ぶと、いろんな人と話しながら、「町の一角」をつくることができる。

要約から、僕の好きな部分を抜粋したい。

”パタン・ランゲージのうち、まず、町やコミュニティを定義する部分からはじめる。これらのパタンは、けっして一度に全部を「設計」したり「建設」することはできない ー だが、1つ1つの行為の積み重ねが、つねにこれらの包括的なパタンの創造や生成につながるようにすれば、息の長い漸進的な成長により、これらのパタンを備えたコミュニティが、何年もかかって、徐々に、しかも確実に生まれてくるであろう。”

科学的合理主義が、ともすると、機械的世界観になるのに対して、パタン・ランゲージが提案する世界はとても有機的ではないだろうか。そして、要素還元主義へのカウンターとして、「美しいものは複雑で、それは複雑なまま、しかしながら、本質を押さえて扱う方法がある」と提案している。それはとても魅力的だ。

パタン・ランゲージが拓く可能性

パタン・ランゲージの実践については、アレグザンダーが主催する環境構造センター(CES)によるプロジェクトが、米国だけでなく、スウェーデンやインド、メキシコ、ペルー、そして日本にも存在する。日本で知られているのは、埼玉県の盈進学園東野高校の校舎だ。
ただ、建築家や大学の建築学科からは批判もあったようだ。その多くは、現実の建設・建築には無数の問題があり、パタン・ランゲージはあまりに楽観的かつ無責任すぎる、というものだ。
確かに、本書の発行から数十年を経て、僕らの周りを見渡してみると、パタン・ランゲージが刺激的かつ魅力的なのに、それを活用した町や建築がいたるところにある、という状況ではない。

しかしながら見えないところで、パタン・ランゲージは大きなインパクトを与えている。それはソフトウェアの世界だ。よく知られているのは、Wikipediaの開発のきっかけになったこと。開発者のウォード・カニンガムは、パタンを共有するツールとしてWikiをつくったと話している。
また、近年、大きな潮流となっているアジャイル開発もパタン・ランゲージからインスピレーションを得ている。これまでの開発は「ウォーターフォール」という、都市で言えば「ツリー」にあたる専門家が整然と取り仕切るやり方だったが、アジャイル開発では利用者も参加して、システムを使いながら手直ししていく。

日本でパタン・ランゲージを研究している慶應義塾大学SFC教授の井庭崇さんは、「パタン・ランゲージは重層的に3段階で進化している」と考えている。パタン・ランゲージ1.0は、アレグザンダーの著書そのものである建築のパタン・ランゲージ。その後、パタン・ランゲージ2.0と呼びうるソフトウェアのパタンがあるとしている。そしていま、人間行為のパタンがパタン・ランゲージ3.0である、というものだ。井庭さんは3.0の対象を、学習や防災、老後の暮らしなどかなり広く捉えている。そこにはとても豊かな可能性があると思う。

アレグザンダーは、タイトルが“A Pattern Language”と不定冠詞にしたのは意味があると冒頭で書き記している。彼はおそらく、人々が将来、無数のランゲージをつくりだすことを期待していたのではないだろうか。

僕が、本書を通じて関心を持っているのは、建築や土木といったリアルから、Wikiやアジャイルといったサイバーを経て、リアルとサイバーが合わさった中で、町や暮らしの創造にパタン・ランゲージを活用することだ。螺旋階段で上昇しながら、また元の位置に戻ってきたというイメージだ。だから、ふと思いついたときに、253のパタンを眺めている。
そうして、改めて魅力と可能性を感じるのは、以下のようなところだ。
・パタンが500年、1000年経っても普遍的な美しさや質を捉えていること
・その質に対して、要素還元ではなく、複雑なまま取り扱うアプローチがあること
・そのアプローチに専門家だけでなく、様々な関係者が参加できること

僕はいま2拠点で暮らしている。そのうちのひとつ、神奈川県真鶴町には、パタン・ランゲージを使って住民がつくった「美の基準」がある。告白すると、家から見える風景が気に入って、この町に住むことを決めた2013年当時、僕はまだ『パタン・ランゲージ』を知らなかった。
「美の基準」は1993年につくられ、25年を経て、「小さなひとだまり」や「さわれる花」など本書に記載されているパタンや、「静かな背戸」という独自のパタンまで、69のパタンが町のひとの美意識にすっかり根ざしている。有機的に、大切なものを守り、新しいものを、ゆっくり生み出している。本書を片手に、この町を歩いてみるのも、とても素敵だと思う。

執筆者プロフィール:太田直樹 Naoki Ota
New Stories代表。地方都市を「生きたラボ」として、行政、企業、大学、ソーシャルビジネスが参加し、未来をプロトタイピングすることを企画・運営。 Code for Japan理事やコクリ!プロジェクトディレクターなど、社会イノベーションに関わる。 2015年1月から約3年間、総務大臣補佐官として、国の成長戦略であるSociety5.0の策定に従事。その前は、ボストンコンサルティングでアジアのテクノロジーグループを統括。

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