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短編小説集

84
短編小説を挙げています。
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#掌編小説

仕事終わりは仮面が剥がれる。

仕事終わりは仮面が剥がれる。

 集合場所であるターミナル駅の改札は、さっきまで居たオフィス街よりも賑やかだ。ウキウキした表情を浮かべる人の割合の方が多く、カップルや集団で行動する姿が目に入る。各自の話し声が重なり、不協和音を起こしているけれど、都会と思えば全て飲み込めてしまう。不思議なもので、東京という場所には喧噪がよく似合っている。
 改札前に設置された円柱に身体を預け、スマートフォンの音量ボタンを連打する。学生時代に聞き続

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休前日の夜に①

休前日の夜に①

 午後7時半。街は少し浮かれ調子だ。一般的に週末の仕事終わりは、明日からの休みにそれぞれの思いを馳せる。当たり前だ。会社や仕事から離脱でき、やりたいこと好きなことに全力を注げる、自分を偽らずに過ごせるのだから。たった48時間。でも勤労至上主義である日本では貴重な時間だ。この感覚は麻痺しているのか、洗脳されているのか、そんなことは分からないし、理解したくもない。ただ、一種の自由を得る時間というものは

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グラウンドの中心を見つめて~青年編~

グラウンドの中心を見つめて~青年編~

「まさか、こんなことになるとは思わなかったよ」
 真夏の横浜スタジアムのマウンドの上で、奏多と正対して亮太はこぼした。
「オレは、そうは思わなかったけど?」
 あっけらかんと、ここにいることは当たり前だと言わんばかりの表情で、奏多が口にした言葉は疑問文であった。まるで、その先に隠した何かを触ってほしいと訴えているように亮太の目には映った。
「さすがだよ」
 亮太は敢えて触れることなく、奏多の後方で

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グラウンドの中心を見つめて~思春期編~

グラウンドの中心を見つめて~思春期編~

[いよいよだな」
 そう呟いて亮太は三塁側のベンチでストレッチをしている奏多を見つめた。奏多は、防具を着た背番号二番と談笑をしている。それがなんだか気に入らなかった。
 お互いの意思で選んだ道で、再び交わることになった現実は亮太を高揚させ、いつも以上にアドレナリンが脳内から放出され、全身に通っていくのを自覚していた。しかし、それと同時に奏多のボールを受けるのが自分でないことへのやるせなさと相手捕手

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グラウンドの中心を見つめて~少年編~

グラウンドの中心を見つめて~少年編~

 亮太が奏多と出会ったのは、九歳の春。
 教室で見ていた時の彼の印象は、いけ好かない奴だと思っていた。でもグラウンドで見た印象は、それとは大きく異なっていた。今思えば、単純な嫉妬。好きとか付き合うとかいう概念が乏しい、けれど幼く淡い恋心を抱いていたかおりちゃんが、奏多のことを好きだという話題が教室の中で広がっていた。
 本当か嘘かは分からなかったけれど、そのことが亮太は気に入らなかった。生まれて初

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面影

面影

 最近、ある女性が気になっている。
 これが恋愛感情なのか、僕には全くもって分からなかった。
 書類入れを挟んで向かいに座る彼女は、今年度から働くことになった新人だ。詳しいことは聞いていないけれど、当たり障りのない一般論を踏まえれば、一回りは年下だろう。言葉遣いもどこか社会人に染まりきっていない初々しさが残っていた。そんな彼女を見ていると懐かしい気持ちを抱く。かつての自分の姿を見ているような感覚が

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唐突な連絡

休憩中、喫煙所でスマホの電源を入れた。
真っ黒なディスプレイは瞬時に
ブルーライト満載の光の暴力を繰り出した。
ため息交じりに慣れた手つきで
ロックを解除すると意外なことに
LINEが届いていた。変な胸騒ぎがする。
アプリをタップすると緑の画面に
切り替わり、そして連絡の主を表示した。
見覚えのある名前からのグループ招待。
思わず天を仰いだ。自然な反応だった。
気を紛らわせるためにタバコに火をつけ

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バッティングセンター

身体は嘘をつかない。
年齢に勝てないという事実が
打席の後ろにあるキャッチマットに
軟球がぶつかる音によって自覚的になる。
あの頃、当たり前に打っていた
速度のボールが当たらない。
気を取り直して、構える。
マシンから放たれる山なりの
ボールを見据え、コースを読む。
ここだ。バットを振り出す。
イメージでは真芯に当たり
勢いよく飛んでいくはずだった。
でも現実はあまりにも残酷だ。
弱々しい打球が転

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終電前

時刻が日付変更線を超える頃
僕らは駅に向かって歩いていた。
二人で歩くのはいつ振りだろうか。
僕よりも小柄な彼女に合わすように
歩幅を小さくすることを意識する。
普段見ている景色もゆっくり進み
少しだけ非日常感を抱いてしまう。
懐かしい。純粋に懐かしかった。
「どうしたの?」
不意に彼女は訊いた。
舌足らずの声は、子供ぽっさがあり
一度聞いたら忘れないくらい印象的だ。
「なんでもないよ」
何に対し

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迷い

死のうと思ったのは
ある意味当然の流れだった。
情動で命を絶つことは愚かだと
分かっていたからこそ
死ぬ理由を求めていた。
それが生きる理由というのは
どこか滑稽に思えるけれど
大場葉蔵よりかはマシだ。
人の少ない電車が駅に着く。
誰かが乗る訳でも
降りる訳でもないのに
プログラム通りに扉は開き
外気が車内に入り込んでくる。
ちょうどいい冷たい風は
少し熱帯びた思考回路と
エアコンで火照った身体を

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自問自答

昨日の帰り道に立ち寄った店で
おススメされた期間限定のコーヒー豆を挽く。
電動のコーヒーミルの機械音と
芳しい豆の香りが静かな台所を彩る。
時計は正午になる少し前だ。
ボサボサの髪の毛に無精ひげが生える
全身スエット姿は、絵に描いた休日を表現する。
聞き逃した深夜ラジオも聴いていたから
極めて充実な一日の始まりだった。
挽きたてのブラックコーヒーとスマホを持って
部屋へと移動し、買ったばかりのソフ

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境界線

『どこにいる?』
改札前に立っていたボクのスマホに
友達からのLINEが届いた。
『今、改札の前に居るよ』
すぐに既読が表示される。
『どの改札か分からなかったから
先にA-3の出口に出ちゃった』
通信システムがどんなに発展しようと
最終的には、自らの頭で考えて
足を動かさないといけない。
『分かった。すぐに行くから
そこで待ってて』
スマホを操作しながら歩き出す。
歩幅は普段よりも大きなって

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結婚報告

発車のメロディがホームに鳴り響く。
未だに着慣れないスーツと光沢を失った革靴は
いざダッシュを求められる時には足かせに変わる。
走りにくい。
スニーカーか運動靴であればいいのにと
本気で思いながら階段を駆け下り
閉まろうとする電車の扉に一直線に進む。
同点の場面でタッチアップを試みた
三塁ランナーのようにがむしゃらに走った。
僕が車内に入ってすぐに扉は
プシュー、と音を立てて閉じた。
そして数秒後

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休日の日差しは優しくて

日曜日の昼下がり、駅前は賑やかな声が響く。
深夜には聞こえない子ども達の
明るく無邪気な高音が聴覚を刺激する。
いつも見ているはずの風景なのに
なんだか普段とは色が違う。
「ねぇ、何食べる?」
僕の横を歩く彼女が不意に言う。
「そうだな……何食べたい?」
質問に対して質問で返すあたり
女性、いや人との関わりに
難ありだなと自嘲してしまう。
「質問に質問で返さないでよ」
至極当然な返しに、苦笑いを浮

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