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磯津政明『2040 教育のミライ』(2022,実務教育出版)に学ぶ

刺さった書籍の読書記録&共有です。
磯津政明『2040 教育のミライ』(2022,実務教育出版)

まず、教育現場にいらっしゃる方にオススメします。現在の教育界を取り巻いている状況の広範囲をカバーしていると思います。

著者の磯津さん、「教育分野における独自のビジネス構想を実現させるため、2015年、ソニーグループ初の教育事業会社・株式会社ソニー・グローバルエデュケーション(SGE)を設立、代表取締役社長に就任」(著者紹介より)と、教育畑ではないですが、かなりの知識と見識をもって教育について語られています。

上手にレビューする自信もないため、リスペクトを込めて自分が書籍に付箋をつけた、いわゆる刺さった部分を抜粋して、共有させていただきます。
※ちなみに、このようなレビューは初めてかも…

「でもさ、やりたいことがあっても経済的に行けない子もいるよね?」
「そういう子は『トークン』を使ってるね」
「トークン?」
「やる気のある子はトークンを発行して、社会投資家に買ってもらうんだ」

p30


政治家も同様で、教育員に力を入れているイメージ(を出すだけ)で票を集めようとするポピュリズム政治家が長く居座り…(中略)…本質的なのに地味な教育改革は放置されてしまうのです。それがいまの日本の姿です。

P58

また、根本的に日本の教育予算が少なすぎるのも大きな問題です。

P59

デジタル化がここまで進んでいる中で、小学校の漢字の書き取りや計算ドリル、入試が終わればすっかりわすれてしまう中高の古文などは、費やす時間を大幅に減らすべき時期です。

P65

ここであらためて私が提言したいのは、政府や自治体が学校教育を「ゼロベース」で作り直す破壊的イノベーションです。

P77

欧米の教育者たちは、こうした資質を持った子どもたちを学校だけに任せず「社会全体で育てる」にはどうしたらいいかを真剣に議論し、現場に落とし込む教育改革を何十年にもわたって続けています。

P80

ゆとり教育により授業時間が減っているため、テストの点数だけを見れば多少の学力低下は仕方ないことです。しかし、詰め込みの知識ではなく、思考力を身につけることがゆとり教育の目標だったという点で、PISAの「読解力」では、ゆとり教育世代の方が脱ゆとり教育世代よりも高い結果が出ています。また、PISAで日本よりも上位に位置するフィンランドでは授業時間が日本よりもかなり少なく、ゆとり教育に近い内容です。このことからも、「ゆとり教育」が失敗だったとは必ずしも言えない状況で、専門家の間でも常に意見が分かれています。

pp.88-89

最近「日本の人口減少と労働力不足を外国人労働者や移民で補うべきか」といった議論をよく耳にしますが、あまりにも「上から目線」の論点と言わざるを得ません。そもそも日本は出稼ぎ先としての魅力を失っているからです。

p91

日本の子どもたちの自己肯定感が低い理由には、大きく2つあると思います。
一つは、学校も親も子どもに苦労させたくないと「規格内」の人間を育てようとするあまり「こうあるべき」という枠に子どもをはめ、常に周囲と比較してしまうことです。
もう一つの理由が、多くの大人が子ども自身に考えさせたり、自己修正する機会を与えないまま「あれをしなさい」「これをしなさい」と命令ばかりしていることです。

pp.94-95

しかし、「日本の全体主義教育か、欧米の個人主義的教育か」という二項対立で教育を捉えてしまうと、結論は永遠に出ません。正しい問いは「両者のどこでバランスを取るか」だからです。

p96

一律で教える科目を減らし、ペーパーテストの割合を下げることで、子どもたちに時間的、精神的余裕が生まれます。そこで生まれた時間を使って未来クリエイターを育むマインドセットやスキルを身につてもらう。その有効な手段が「探究型学習」です。

pp.110-111

日本の教育は、諸外国と比べ全国一律の学習内容があまりに多すぎます。

P169

日本で選択科目を増やせない現実的な理由は、必修科目が多すぎることと、教員数の確保が困難だからです。

P176

実証できたならば全国の中学校でそれを模倣する学校が増えそうな気がしますが、実際には増えていません。学校というものは校長個人の教育観と裁量によるところが大きいため、自分なりのこだわりを持った校長が多いということなのでしょう。

pp.182-183

Project-based Learningはプロジェクトの実施を通して子どもたちがさまざまな学びをしていく「形式」の話であり、Problem-based Learningは日本語で「課題解決学習」と訳されるように「お題」の話です。「形式」と「お題」の話なのでどちらが重要かという話ではなく、社会で生きる力を身につけるために両方トレーニングが必要なのです。

pp.204-205

プログラミングに副次的にそのような効果があることは間違いありませんが、論理的思考力を身につけることが一番の目的であるという考えには違和感があります。
なぜなら、コンピュータが人間の外側にある思考のツールで、プログラミングがそのツールを操る手段だとすれば、プログラムをする人間が論理的思考力を身につけていることはもはや「前提」だからです。

P244

あらためてプログラミング的思考を私なりに定義すると「物事のしくみを深く分析・理解し、具体と抽象を行き来しながら、新しい物事を創造的に生み出す思考方法」なのです。

P248

民間のプログラミング教室は、大きく二つに分けられます。
一つは小学生のときから最先端のコーディング教育を受けられる「プログラマー養成系教室」、もう一つは「プロジェクト型学習系教室」です。

P262

いまの日本にはプログラマーが不足していますが、日本が抱えるそれよりもはるかに大きな問題は、クリエイターやプロデューサー、つまりビジョンを持って進むべき道を切り開き、新たな価値創造ができる人材が不足していることです。

P264

あらためて私の考える日本の学校教育における最大の問題は、「社会との接点が少ないこと」です。

P274

まず、画面上で起きていることと現実の区別がつかない幼児期には、できるだけ物質的で手触りの感のあるリアル教材を優先した方がいいと考えています。

P288

他の先進国に比べ起業家の割合が低く、新しい事業創出に消極的な日本ですが、「中小企業白書」(2019年、中小企業庁)の起業活動の国際比較によると、起業に無関心な日本人の割合は75.8%となっています。日本の次がフランスの45.3%で、アメリカはさらに低く21.6%ですから、日本人の起業に対する意識は国際的に極めて低いと言えます。

P305

前時代的な学習指導要領にプログラミング教育や探究学習を無理やり組み込み、加えて暗記力も必要でかつ思考力も……という教育が目指す先は、個性が何も考慮されていない「全部入り人間」の育成です。そのような人材ばかりで、いったい日本はどこに向かうというのでしょうか。

P343

いかがだったでしょうか?
著者でもないくせに、かなり抜粋させていただきました。

ここまで示唆を得られたならば…自分の問題意識に引きつけるなら、いわゆる「資本」の少ない子ども、経済的に恵まれない、保護者ネグレクト気味…といった子たちへの、「ミライ」の支援や教育体制までもう少し踏み込んでいきたいかなと考えています。これはこの本での学びを踏まえ、自身で勉強することにします。

興味を持たれた方は、ぜひ原著に当たって下さい。

最後までお読みいただきありがとうございました^^


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