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他人の物語に含まれるリスクは、アクスタ何枚、チェキ何枚分、お酒何杯分なんだろうか
人は物語なくして生きていけるんだろうか。 美しい、面白い、魅力的だ、素敵だ、賢い、才能がある…そういった引力に引きずられたり、引力を引き付けたりたりしながら、私たちは日々生きている。外界に出たら最後、人に見られたら最後、他人の物語に含まれる可能性、危険性を、私たちは持っている。それってとてもおそろしいことだ。
持っている強さは人に見せつけたいと思うこともある。もしくは自分が強くなって人に魅力的だ
手段として見られる会話をやめて、ほんとうを話したい
大学1年生の頃、憧れだった大手予備校のスタッフとして人生初のバイトをしていた。志望校に合格し、倍率の高い大手予備校のスタッフの採用試験にも合格した私は、絶好調であった。
働いて1ヶ月経った頃の飲み会で、1年生の女子たちが、順に先輩の男性の中から推しメンを言わされることになった。それが、死ぬほど嫌だった。なぜそんなことで辞めたいのかもわからないと思うんだけど、こんなに、気持ちが悪い!と思うことは初
without you 〜20代前半を振り返って思うこと、まとめ〜
こんなはずではなかったと、思っていませんか?私だけ?気がつけば、27歳になっていた。20代のほとんどを、ぷらぷらと渡り歩きながら過ごしている。
新人女優や新人アイドルやモデルのオーディションは25歳までであることが多いようだし、レオナルド・ディカプリオは25歳以上とは付き合わないらしいので、それはもう、ある側面の線引きからすれば、若くない、ということだ。
私はこれまでずっと若かったので、若くな
私的な執着と世界観を担ったまま大人になった
痛みを感じるのは、大切だったからだ。子供の頃、祖母や従兄弟たちと大人数で泊まりがけにディズニーランドに行った日の帰り、ワールドバザールの出口を出た後、寂しくて泣いてしまった。
大人になってから親族との関係も希薄になった。だけど、そのあの瞬間は、帰りに寂しくて泣いてしまうほどあたたかくて、楽しかった。
役立たない個人的なことに、極めて強い執着をすることは、現行の資本主義とは極めて相性が悪いようだ
時代の当事者性を引き受けるということ〜若松宗雄 『松田聖子の誕生』(新潮新書)感想〜
1980年、時代の歯車が動き出した
松田聖子というアイドルが、時代の真ん中に躍り出たのは、1980年の幕が上がる、まさにその瞬間だった。
CBS・ソニーの新米プロデューサーだった若松宗雄が、福岡の久留米から連れてきたのは、後に80年代の命運を託されることになる、1人の少女だった。
彼女の名前は蒲池法子(かまち のりこ)。若松が典子の声を初めて耳にしたのは、1978年。CBS・ソニーと集英社の
人を見捨てることが逮捕なら、人を見捨てないことで金をくれ
「同情するなら金をくれ!」
というのは、ドラマ『家なき子』で、子役の安達祐実が繰り返し口にしていたセリフである。
ドラマ未視聴なのであまり確かなことは言えないが、日に日にその言葉が切実だと思う。
85歳の母親が足の骨を折って自宅で倒れてたのを放置したら、59歳の娘が逮捕されたというニュースを見た。
「あぁ、この娘の気持ちが、わかる。」と思った。
私が、その人の気持ちを代弁しているのかはわか
今日以降、"男の子だったら"と言うことをやめようと思う
おてんば的に使い古されてきたセリフだと言うだけで、結局のところ、「私、男の子に産まれればよかったな」と、本気で思ったことはない。子供の頃から、リボンやフリルも、三つ編みもドレスも好きだったし、ディズニープリンセスも、おジャ魔女どれみも、大好き。
あれ、「いわゆるマジョリティの要請として求められている女の子として自分は何かがおかしいかも?」と思ったことはあったけれど、私は女の子に生まれてきたことに
私たちは戦後を生きてるし、福生の街からはユーミンの匂いがする
横田基地の日米友好祭に行きませんか?とお誘いいただいたので、「行きます!」と即答した。今年、六本木でやっていたユーミンミュージアムの展示の中で、少女時代のユーミンが集めていた洋楽のレコードコレクションがあった。当時日本ではなかなか手に入らなかった洋楽のレコードを、ユーミンは友人の伝手で米軍基地内のスーパーに行き、割安で手に入れることができたのだ。飯倉片町にあるレストランキャンティに入り浸るようにな
もっとみる大きな滑り台に遺したブランデーの跡は
忘れてしまわないうちに書かないといけない。加筆したいことや直したいこともあるけれど、頭の中にあるものを、今、一旦ここに広げてみたい。
昨日、夜中に急に電話がかかってきて。小学校の同級生の子だった。前に一度、コロナの時にもう1人の地元の友人を交えて3人でビデオ通話をした。それ以来、連絡してない。会うのは12歳以来。子どもの時から絵と生き物が好きな子だった。破壊的で感性が飛び出していて、不思議であの
地元の小料理屋でバイトしはじめた
大学院修了して何やってるかというと、地元の小料理屋で週2バイトして、スナックやって、時々ライターやったり、それから今は人から初めてお金もいただいて衣装つくったり!やりたかったこと!ドキドキ!あと、修論の内容も発信しなくてはならない…。
に、しても、あまりにライフプランがなさすぎる。でも、節操がないように見えて、結構ちゃんとやってる。
地元の駅、飲食店がめっちゃ少なくて、数少ないご飯とお酒が楽し