三園彩華

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「返事はいらない」のは、呪いがかけてあるから ー松任谷由実 デビュー50周年に寄せてー

松任谷由実が、デビュー50周年を迎えた。半世紀にわたってこの国に君臨している魔女の最初のシングルに想いを馳せる。 1972年7月5日 シングル「返事はいらない」でデビューした、荒井由実18歳。 スーパーマンのTシャツを着たあっさりとしたあどけない顔の少女は、のちに80年代の日本の景色を次々と変えていくことになる。 八王子の呉服屋の娘に生まれ、小学6年生で横田米軍基地内の店で洋楽のレコードを買い漁るような早熟な子供だった。中学の頃は真夜中に家を抜け出し、当時の文化人たちが

    • 他人の物語に含まれるリスクは、アクスタ何枚、チェキ何枚分、お酒何杯分なんだろうか

      人は物語なくして生きていけるんだろうか。 美しい、面白い、魅力的だ、素敵だ、賢い、才能がある…そういった引力に引きずられたり、引力を引き付けたりたりしながら、私たちは日々生きている。外界に出たら最後、人に見られたら最後、他人の物語に含まれる可能性、危険性を、私たちは持っている。それってとてもおそろしいことだ。 持っている強さは人に見せつけたいと思うこともある。もしくは自分が強くなって人に魅力的だと思われたいと思うこともある。承認欲求だってある。あるいは、自分自身の意思とは真

      • 手段として見られる会話をやめて、ほんとうを話したい

        大学1年生の頃、憧れだった大手予備校のスタッフとして人生初のバイトをしていた。志望校に合格し、倍率の高い大手予備校のスタッフの採用試験にも合格した私は、絶好調であった。 働いて1ヶ月経った頃の飲み会で、1年生の女子たちが、順に先輩の男性の中から推しメンを言わされることになった。それが、死ぬほど嫌だった。なぜそんなことで辞めたいのかもわからないと思うんだけど、こんなに、気持ちが悪い!と思うことは初めてだと思った。 だって、誰も、今ここにいる私、に、興味がないから。その時私は

        • without you 〜20代前半を振り返って思うこと、まとめ〜

          こんなはずではなかったと、思っていませんか?私だけ?気がつけば、27歳になっていた。20代のほとんどを、ぷらぷらと渡り歩きながら過ごしている。 新人女優や新人アイドルやモデルのオーディションは25歳までであることが多いようだし、レオナルド・ディカプリオは25歳以上とは付き合わないらしいので、それはもう、ある側面の線引きからすれば、若くない、ということだ。 私はこれまでずっと若かったので、若くないくくりに入ると言うのに、びっくりしている。相対的に見れば全然若いんだけど。レオ

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          バムセは"ぶたくま"なの!-私のバイブル『ロッタちゃん』 を見に行った

          癇癪持ちの子どもだったからだろうか。幼い頃に『ロッタちゃん』を見せられていた。ここ最近、濁流のように流れてくるコンテンツや情報に辟易しており、自分のルーツになっているような作品を見返した方がいいのでは?と思うようになった。もう先を追うのも辛くなってきたし、人間の好みなんて、そう変わるものではないので、自分の生育に深く影響を与えた作品に積極的に会いに行くことにした。そう、それが映画『ロッタちゃん』である。実に24年ぶりの劇場公開である。 『ロッタちゃん』はスウェーデンで199

          バムセは"ぶたくま"なの!-私のバイブル『ロッタちゃん』 を見に行った

          自分にとって大事なものとまた会えて嬉しかった

          年末、昔地元にあったイタリアンに行ってきた。昨年の6月に、平塚に新店舗を構えたという。 私たち家族はその店に、よく行っていた。「サルティンボッカ」という名前のお店で、当時はビルの1階にあった。少し階段登って入るから2階といえば2階だったかも。10段もないような階段と、階段を上がったところにあるベンチに何組ものカップルや家族や友人たちが並んでいたことを思い出す。 2年ほど前に父と行こうとしたら、閉店していた。愕然とした。子どもの頃から通っていたお店で繁盛していた場所が、二度

          自分にとって大事なものとまた会えて嬉しかった

          私的な執着と世界観を担ったまま大人になった

          痛みを感じるのは、大切だったからだ。子供の頃、祖母や従兄弟たちと大人数で泊まりがけにディズニーランドに行った日の帰り、ワールドバザールの出口を出た後、寂しくて泣いてしまった。 大人になってから親族との関係も希薄になった。だけど、そのあの瞬間は、帰りに寂しくて泣いてしまうほどあたたかくて、楽しかった。 役立たない個人的なことに、極めて強い執着をすることは、現行の資本主義とは極めて相性が悪いようだった。愛には執着という側面があり、個人的な愛は反社会的な意味を持つことがある。

          私的な執着と世界観を担ったまま大人になった

          時代の当事者性を引き受けるということ〜若松宗雄 『松田聖子の誕生』(新潮新書)感想〜

          1980年、時代の歯車が動き出した 松田聖子というアイドルが、時代の真ん中に躍り出たのは、1980年の幕が上がる、まさにその瞬間だった。 CBS・ソニーの新米プロデューサーだった若松宗雄が、福岡の久留米から連れてきたのは、後に80年代の命運を託されることになる、1人の少女だった。 彼女の名前は蒲池法子(かまち のりこ)。若松が典子の声を初めて耳にしたのは、1978年。CBS・ソニーと集英社の共同主催で開催されたミス・セブンティーンコンテストに応募された一本のカセットテー

          時代の当事者性を引き受けるということ〜若松宗雄 『松田聖子の誕生』(新潮新書)感想〜

          人を見捨てることが逮捕なら、人を見捨てないことで金をくれ

          「同情するなら金をくれ!」 というのは、ドラマ『家なき子』で、子役の安達祐実が繰り返し口にしていたセリフである。 ドラマ未視聴なのであまり確かなことは言えないが、日に日にその言葉が切実だと思う。 85歳の母親が足の骨を折って自宅で倒れてたのを放置したら、59歳の娘が逮捕されたというニュースを見た。 「あぁ、この娘の気持ちが、わかる。」と思った。 私が、その人の気持ちを代弁しているのかはわからないし、この事件を借りて私は自分の主張をしたいだけだ。 私の妄想かもしれない

          人を見捨てることが逮捕なら、人を見捨てないことで金をくれ

          幼稚園の頃好きだった男の子の話#1 私は、ゼリー飲料を飲むとき、上唇を吸わせるクセがある

          幼稚園の時に好きだった男の子がいる。幼稚園に入る前から友達だったから、もしかしたら3歳くらいから一緒だったのかも知れない。同じ幼稚園で、同じ英会話教室で、同じスイミングスクールに通っていた。彼は、私が人生で初めて好きになった男の子で、本当に素敵な男の子だったと振り返って今でも思う。最近友達に彼の話をすると必ず笑ってくれるので、いい子と一緒にいたなと思い出す。私は彼との思い出を書こうと思う。 野菜生活ゼリー、宙に浮く「そんな!いつも飲んでいる野菜生活がゼリーに!?これって大人

          幼稚園の頃好きだった男の子の話#1 私は、ゼリー飲料を飲むとき、上唇を吸わせるクセがある

          今日以降、"男の子だったら"と言うことをやめようと思う

          おてんば的に使い古されてきたセリフだと言うだけで、結局のところ、「私、男の子に産まれればよかったな」と、本気で思ったことはない。子供の頃から、リボンやフリルも、三つ編みもドレスも好きだったし、ディズニープリンセスも、おジャ魔女どれみも、大好き。 あれ、「いわゆるマジョリティの要請として求められている女の子として自分は何かがおかしいかも?」と思ったことはあったけれど、私は女の子に生まれてきたことに何ひとつ疑いを抱いていなかった。違和感を抱いたっていいんだけど、たまたまその身体

          今日以降、"男の子だったら"と言うことをやめようと思う

          自分の好きなものと、余地と、ずるさについていつも考えている、でも、やっぱ時代のせいでしょう

          大学院時代の友達から、ある相談事を持ちかけられ、ランチに行った。 まあ本題そっちのけで雑談ばかりしてきたけど。最近、世界も社会もマスコミも、もはや、バラバラになりすぎている、という話をしていた。かといって、アカデミアの世界も内にこもって居るような気もするし、でも、知性や前提を共有しない人との会話は困難が伴うし、どうしたもんかね、とか話していた。 彼女は口をひらく。 「そこには自分を客観視しているgodサイカがいるわけじゃん、最近の下の世代、大学生とかと関わると、それがな

          自分の好きなものと、余地と、ずるさについていつも考えている、でも、やっぱ時代のせいでしょう

          剥き身の中身を外側の世界に差し出せる人になりたい

          先日のトークイベントの切り出し動画を、久々にYouTubeにあげようと思ったら、2020年にアップロードした動画が出てきた。 2020年は未曾有のパンデミックが起きた年だった。世界全体がオンラインを前提としたものとなり、人々がYouTubeやライブ配信をしたりしていた。当時私は、自意識を乗り越えて、なにかしらの自己表現しようと決意して、ミスiDを受けており、コロナ禍の恥はかき捨て、チャンスは1度きりと、痛々しくて結構!残って這い上がるのみ!とあがいていた痕跡があった。 今

          剥き身の中身を外側の世界に差し出せる人になりたい

          私たちは戦後を生きてるし、福生の街からはユーミンの匂いがする

          横田基地の日米友好祭に行きませんか?とお誘いいただいたので、「行きます!」と即答した。今年、六本木でやっていたユーミンミュージアムの展示の中で、少女時代のユーミンが集めていた洋楽のレコードコレクションがあった。当時日本ではなかなか手に入らなかった洋楽のレコードを、ユーミンは友人の伝手で米軍基地内のスーパーに行き、割安で手に入れることができたのだ。飯倉片町にあるレストランキャンティに入り浸るようになってからは、ユーミンのレアなレコードたちに、業界人のオトナたちは大層喜んだそうで

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          大きな滑り台に遺したブランデーの跡は

          忘れてしまわないうちに書かないといけない。加筆したいことや直したいこともあるけれど、頭の中にあるものを、今、一旦ここに広げてみたい。 昨日、夜中に急に電話がかかってきて。小学校の同級生の子だった。前に一度、コロナの時にもう1人の地元の友人を交えて3人でビデオ通話をした。それ以来、連絡してない。会うのは12歳以来。子どもの時から絵と生き物が好きな子だった。破壊的で感性が飛び出していて、不思議であの世と近い雰囲気を子どもの頃から持っていた。 「ちょっと!終電逃したの!今から飲

          大きな滑り台に遺したブランデーの跡は

          地元の小料理屋でバイトしはじめた

          大学院修了して何やってるかというと、地元の小料理屋で週2バイトして、スナックやって、時々ライターやったり、それから今は人から初めてお金もいただいて衣装つくったり!やりたかったこと!ドキドキ!あと、修論の内容も発信しなくてはならない…。 に、しても、あまりにライフプランがなさすぎる。でも、節操がないように見えて、結構ちゃんとやってる。 地元の駅、飲食店がめっちゃ少なくて、数少ないご飯とお酒が楽しめるお店であるこの小料理屋さんはカウンターがあって、地域のお客さんたちの溜まる場

          地元の小料理屋でバイトしはじめた