見出し画像

日本橋三越の天女(まごころ)像とパイプオルガンー百貨店で紡がれる文化的余地ー

日本橋三越本館の中央に突如出現する天女像

画像1


日本橋三越の吹き抜けの中央に、常軌を逸した沙汰ともいうべき天女像が鎮座していることはご存知だろうか。一度見た人なら忘れないだろうし、初めて見た人ならちょっとギョッとすると思う。華やかだが、その波打つ生命感が、過剰なまでの勢いが、百貨店の中央で暴れているのだ。言葉を選ばずに例えよう。もし、アニメや映画でこの像が出てくるとすれば、それはおそらく制御不能に蠢く生命体か、何らかの「意志」のようなものに取り憑かれて暴走しているシーンであろう…と思ってしまう。それほどまでに、生々しい、それでいて神々しいのだった。はりつめた矜持を感じさせる1階の化粧品売り場からも見える。クラシカルな重厚さを感じさせる2階のメンズの宝飾品の売り場からも見える。フロアの中央に目をやれば、なんだかものすごいのが居るのだった。どう考えても、これから先の社会で(よほどのことがない限り)こんなものは作られないだろう。しかも、百貨店のど真ん中にあれを鎮座させようなんていう話は、到底出ない。

本館5階までの高さを誇るこの天女像は、彫刻家 佐藤玄々の作で、完成までには約10年もの歳月を要し、昭和35年(1960)に完成した(*1)。ざっと、60年ちょっと、あの天女はあの場所に立っているのだ。戦後最長と言われた好景気1965年から70年のいざなぎ景気の時も、その後の1973年のオイルショックも。80年代半ばからのバブルに浮かれる消費の狂乱もその後の崩壊も。失われた20年、と言われた期間も、そしてこの未曾有の疫病に冒されたコロナ禍の時代も。ずっとずっと。あの場所にあの天女は立っているのである。

像の名前は「天女(まごころ)像」といい、三越のお客様への基本理念「まごころ」をあらわしているそうだ(*2)。まごころ、と言うにしては、うねりと生命感がはみ出している、と思う。だが、ふと思いなおすとこの地において、ずっと百貨店を続けていくという「まごころ」は、あれだけ太く、大きく、華やかで、生々しくなければいけないのかもしれない。大樹…というより霊木だと思った。

画像2

どこを見ても細かく掘り込まれ、人の手が入っており、それが少しこわくもある。長い間見ていると、その勢いと情念に耐えられないので私は逃げてしまうのだが。

東京大空襲をくぐりぬけたパイプオルガン

そんな天女像の裏の2階バルコニーは、年季の入ったパイプオルガンが設置されている。パイプオルガンは昭和5年(1930)に購入された米国製のもので、その後昭和10年(1935)の本館全館完成時に現在のバルコニーに移されたという(*3)。また、当時その音色はJOAK(NHKの前身)の電波で発信されていたという(*4)。それを見た私は、東京大空襲(1945)の戦火の中をくぐり抜けたオルガンなのだ、と思い調べてみると、理学博士の佐治晴夫氏が、婦人公論.jpに掲載されていたインタビューの中で、このオルガンと戦争の思い出を語っていた。佐治氏は、自身の戦時中の体験として、1942年の初めての東京での空襲の後、父が、東京もじきに戦火が広がるであろうこと、そして、今のうちに日本橋三越のパイプオルガンを聴いておくように、と息子たちに告げたと述べている(*5)。父は、学校を休んでもいい、とまで言ったそうだ(*6)。佐治少年が兄と三越に足を運んだ時パイプオルガンを演奏していたのは、軍服を着た兵隊だった(*7)。オルガンからは軍歌が流れれていたが、最後に聴いたバッハの曲のことを佐治氏はよく覚えており、自身が芸術に興味を持つきっかけになったと振り返っている(*8)。

三越のオルガンは皆のものであり、そこにたしかに存在した文化の象徴だった。そして、戦火の中を生き残って今日まで奏でられているのである。

今なお中央ホールで奏でられるオルガンで聴くQUEENの名曲たち

画像3

さて、以上のことは私が帰宅してから調べたことだが、そんなことは全く知りもせず、天女像とパイプオルガンの存在だけ知っていた私は、それを味わいに三越に行くというのも、なかなか粋だろうと思って、一昨日は珍しく日本橋に遊びに行ったのだった。目的は、催事の英国展に合わせてパイプオルガンで奏でられるQUEENの楽曲の演奏だった。オルガンの音で、「I Was Born To Love You」が聞きたかった。私は特段忙しいわけではないのにいつも心が何かに追われていて、自分の純粋な興味のために出かけることを知らなかった。だから、この日は、三越のご好意に甘えて、連れ出してもらうことにしたのだ。

演奏の時間の10分前になるとバルコニーに説明の担当の方が出てきて、オルガンや天女像の歴史、三越本館の建築についての話をはじめる。1階には、天女像とオルガンについての資料を配る従業員の方がいて、2階の方が演奏している人と目線があって見やすいですよ、どうぞ、と誘導してくれる。直接的な売り上げには関係のない催しだが、そういうものが残っていることにうれしくなる。三越で、どれほどの買い物ができる人かどうかも、まったくできない人かも、関係ない。天女像の拝観と演奏の拝聴は全ての人に開かれているし、誰でも資料を配ってもらって歓迎される。ずっと続いていた文化活動なのだ。

クラシックの名曲ももちろん素晴らしいが、あのオルガンでQUEENが聞けるのも面白い。マイクスタンドを抱えながら激しく歌うフレディと、荘厳なパイプオルガンの組み合わせ。もちろん「Bohemian Rhapsody」とはマッチする。柔らかで優しい「I Was Born To Love You」もよかったし、天女像をバックに聞く「We Are The Champions」は不思議な魅力に満ちていた。そして最後は、QUEENではないが、エドワード・エルガーの「威風堂々」。クラシックを1曲加えた、ということだろうが、迫力ある選曲がQUEENによく合っていた。

演奏中の動画撮影は禁止なのだが、それがまた「今ここ」の時間に集中させてくれるのだった。素晴らしかった。15分ほどの演奏だったが、何もなければ家に籠ったままの1日だったけど、おめかしして日曜日に百貨店にこられた。大満足だ。そして、今日自分が味わったものが、どんな人にも開かれているもので、そうした文化的な余地が今この時代に残されていることがたまらなくありがたいと思うのだった。

これからも紡がれ続けてほしい百貨店の文化

画像4

帰宅後にオルガンが、戦火によって「失われるかもしれない」とまで言われていたことを知り、今日まであのホールでの文化をを紡いできてくれた人に想いを馳せる。先に述べた佐治氏は、戦時中にあの音色を聞いてから半世紀後になんとあのオルガンを弾く機会に恵まれたのだという(*9)。佐治氏は「オルガンも、僕も生き延びた。夢のような時間でした。」(*10)と語っている。
軍歌を奏でたオルガンで、私はQUEENを聞いている。その時代の色を反映させながら、それでも、オルガンの音は90年の時間の中で奏でられ続けている。そしてあの華やかな天女像は堂々と佇み続けている。文化はただただ紡がれている。

社会に大きな役割を果たしながら営業が行われている商業施設が、これからも力強く息をしていて欲しいと思う。願わくば、もっと増えて欲しいと思う。普段は催事に行ったりもしないのだけど、せっかく演奏を聴いたのだから、と、立ち寄った英国展で買ったスコーンを食べ、祖母に送るために買った紅茶を眺め、ムエットに纏わせてもらったパルファムの残り香を嗅ぎつつ、また近いうちに日本橋に出かけようと思った。

パイプオルガンの演奏予定は▼
https://www.mistore.jp/store/nihombashi/event_calendar/blue_island.html

オルガンが演奏された動画も日本橋三越公式のYouTubeで公開されている▼

参照元:
(*1)~(*2)
天女(まごころ)像 | 日本橋三越本店 | 三越 店舗情報. Retrieved November 1, 2022, from https://www.mistore.jp/store/nihombashi/column_list_all/nihombashi_history/list03.html

(*3)~(*4)
パイプオルガン | 日本橋三越本店 | 三越 店舗情報. Retrieved November 1, 2022, from https://www.mistore.jp/store/nihombashi/column_list_all/nihombashi_history/list06.html

(*5)~(*10)
(2ページ目)【佐治晴夫の「私と戦争」】機銃掃射の弾が耳元をかすめて|人間関係|婦人公論.Jp. (2018, September 8). Retrieved November 1, 2022, from https://fujinkoron.jp/articles/-/674?page=2

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?