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「資本主義という人里」への下り方~お金について③~

僕らは生まれた時から資本主義という力学の中にいる。流れやシステムとも呼べる。
たとえば川の流れの中で、あるいは人の流れの中で、逆方向に行くことは簡単じゃない。楽なのは流れに乗るか、流されること。だから同じ方向に人々が進み、それで世界がつくられる。

資本主義がどんどん強くなるとはそういうことだ。
お金が無いと暮らしづらい。お金を得るために動くようになる。それが意識の大半を占める。お金が集まる人のところにどんどんお金が集まっていく。
そういう流れ。

何だかなあと思う。

外国語を知ると日本語をもっと理解できる。
資本主義じゃない世界を知れば、資本主義をもっと理解できる。

外国に留学して戻ってくるように、ふだん暮らす町から都会に買い物に来るように、違う場所から「資本主義という人里」に下りてくる。戻ることも、行ったり来たりもできる。

少し距離をとると良いも悪いも見える。それがまた良い距離を保たせてくれる。

資本主義が行き過ぎることがあったり、良いことばかりじゃなかったり、いつ崩れるか時間の問題かもしれないからこそ。
別の世界を知っておくこと、別の世界にも身を置いて行き来できることは、とても現実的な策だと思うのです。

お金についての連載3回目、前回の記事の続きです。


お金が生きるための絶対条件になっている。

どんな人でありたいか?と考えれば「優しい人」とか「誠実な人」と挙がるのに。
食べ物にだって家にだって、何にだってお金がかかる。どれだけ優しくたって誠実だって、お金が無ければ生きられない。

だから優しさよりお金が問題になる。

夢を語ったってお金が無いとどうにもできない。良いことだってお金が無いから続けられない。
お金の有無が真っ先に問題になる。お金の枠の中で考える。
だから一番の部分をすでにお金に取られている。資本主義の流れの中で、そういう風になっている。

良いカフェがある。
時間を気にせず居られる場所。優しい店員さんはお客さんがどれだけでも居られるよう心を砕く。一人のお客さんがゆっくりする。その人はそれでホッとする。
カフェ側は売り上げが伸びない。お店を続けるために売り上げを立てたい。たくさんオーダーしてもらいたい。価格を上げたい。回転率を上げたい。もっと多くの人に来てほしい。気楽にゆっくり過ごせる場所じゃなくなっていく。
そうなることが分かるから店員さんは悩む。優しい人が優しさゆえにお金で苦しむ。

優しさなんて捨てて割り切って仕事をするか、お金に苦しみながら優しさを続けるか。
「優しくいる」ことが闘いになる。いつまで続けられるか、時間の問題、気持ちの闘いに変わっていく。

人としても社会にとっても「優しさ」って大事なのに。優しさゆえにお金で苦しんで、優しさを諦めようか悩むのだから、人にも社会にも損失だ。
本来そんな悩みが成立すること自体がおかしいのに。

「良い」だけじゃ続けていけないのが資本主義の欠点だ。

思えばずっと同じことを考えている


人が優しくなれるお金との関係

お金が優しさを諦めさせることがある。じゃあ「人が優しくなれるお金との関係」って何だろう。
人はゆとりがあるとき本来の優しさを出せる。その本来の優しさが出る状況。
お金が人にゆとりをくれる状況。


投資や不労所得で十分なお金を確保して、資本主義の中で「もう大丈夫」になる方法がある。
結構な人がこの流れに乗っている。でも本当に優しい人は一握りな気がする。何より「もう大丈夫」になるまで時間がかかる。その間も優しさを保っているのが難しい。お金を一番にする時期は、自分にじわじわと影響していく。

自給自足的な環境を整えて、資本主義から遠く離れる方法がある。
僕自身これに惹かれる。食べ物もエネルギーも自給して、お金に依存せず自分で何でもできるのは強い。社会に何が起きても大丈夫。でもこれもハードルが高い。移行には時間がかかる。
何よりも前に書いた通り僕の好きなお店は資本主義の中でお金を必要としている。だから自分だけ「上がり」になってもな、と思う。自分だけじゃなく、せめて近しい人も一緒に、と思う。


投資や不労所得も、自給自足的な方法も、どちらも完璧じゃないなら混ぜ合わせが現実的だ。資本主義に片脚を残しながら違う世界も同時に持つ。
どちらの世界も行ったり来たりする。

資本主義の「行き過ぎ」が問題なのだから自分でバランスをとる。バランスをとるには別の世界があると良い。

オール電化は便利の極み。でも停電になれば全てが止まる。一つに依存するってそういうことだ。平時は強くても緊急時ほど弱くなる。
確かな安心がほしいから僕は複数の暮らし方を持っておく。

「資本主義の外の町」にふだんは住んで、
必要なとき「資本主義という人里・都会」に下りて来る。

お金をやり取りすることはある。でも資本主義の行き過ぎた影響はない。そんな町にふだんは暮らす。

お金が第一になる状況。暮らしのほとんどにお金が関わる状況。お金をもっともっと稼ぐべき状況。もっともっと稼ぎたくなる状況(多分それは本当に稼ぎたいわけじゃない)。
資本主義の影響が強い状況。
それを「人里や都会」と呼ぶとして、僕がふだん身を置きたいのは違う町。

都会に行くなら準備をしてから出かけるように、資本主義という人里に下りる時はそれなりの用意をして出発する。用事を終えたら帰ってくる。
(都会への憧れはもう消えたし、都会へ行くのは時々で十分になった)

そんな「資本主義の外の町」を心の中につくる。
資本主義への滞在時間は短くする。
あくまでいったん、一時的、必要な時にだけ。

これがひとまずの、資本主義という「人里」への下り方。
続けてみたら見えるものがあるはずだ。いったん今はこれでいい。


自分がふだん暮らしたい「資本主義の外の町」

お金を否定するわけじゃない。でも行き過ぎは避ける。「ほどよく」頼る。
お金を第一にしない。なるべくお金を使わない。

どんな町か心の中に描いてみよう。

・自分でできることはやる。手始めは食とエネルギー。ほんの少しの自給から。
・そのための時間がある。そんな暮らしと働き方をする。
・自分でやるから生活費が減る。
・生活費が減るから働く時間が減る。
・働く時間が減るから自分でやれる時間が増える。
・生活費が減るから収入ダウンでも余裕ができる。
・カフェも買い物も旅も行く。行くのはえこひいきしたい好きな場所。
・暮らしの中で生まれた余裕をえこひいきしたい場所に回す。
・立ち寄るお店は「行くならここ」と決めたところ。
・贈りものをするなら好きなお店のものを選ぶ。自分→お店→相手が繋がり巡る。三角形の経済が生まれる。
・自分でできることが増えるから誰かを助ける余裕も増える。
・時間こそが人生だから「時間があるならしたいこと」を叶えて暮らす。

住むのは東京だって四国だって良い。
ただ心の中に「資本主義の外の町」を築きやすい土地はある。そういう場所を選んでみる。

僕は形を作りたいんだと思う。
優しくて現実的で理想的な、本当に安心できる形。
その形は何か。方法は何か。いつもいつも考えている。

お金について勝手に連載してみています。マガジンも作りました。

お金をめぐる考えはもう少し続きそうです。



お金について①はこちら

お金について②はこちら

お金について④はこちら


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