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変える時 返る時 孵る時

いつもありがとうございます。
暫くの間PCに向かい合う時間なく、浮かんだ事をメモのつもりでつぶやく日々でしたが、久方ぶりに静寂を楽しみながら、浮かんだことと降りたことを綴ります。

本日は、人を傷つける心 冷たい心 についてをお題にします。

様々なハラスメントや二元論の衝突、偏見など。特にこの日本は、ここ数年に渡って連続で「心が冷たい国」先進国第一位。世界全体で考えても後ろから数えてすぐに出てくる状況。
情勢、環境など様々な要素はありますが、結局全ては個人ひとりひとりの内面を整理して改心していくことが「自分の幸せ」であり「全体の幸せ」です。
色々な角度で見ていければと、ワクワクドキドキ始めさせていただきます。 


混沌とする現在の時代変化は悪しき情念も飛び交うものです。

・長い冒頭①(笑) 
淡々と時代の変革が進む中で、世界も日本も身近な社会も「今まではそれで通用していたもの」が通用しない事が増えていっていると思います。
確かに、様々な膿が出て人々が苦しみから解放される正常化に向かっています。しかし、その膿を出しているもので成り立っていた社会と時代でありました。これはもう二度と戻ることはない古い時代の終焉と新しい時代の創造です。

・物質繁栄のための創生。歴史で言えば神武天皇の時に描き、崇神天皇の時に実行ですので約3000年の時間の終焉。

・日本の政府活動で言えば英国の策略から始まった明治朝政府からの150年以上の時間の終焉。

・米国で言えば合衆国勝利となった南北戦争後の役160年の時間の終焉。

一部であるこれだけで考えても、今起こっている変化がただのバブル経済の崩壊や恐慌で、時間が経てば戻るという歴史ではないのは何となく見えてくると思います。
江戸から明治になったと考えれば、長い歴史ではよくあることです。
そして、おじいちゃんおばあちゃんの世代が大変な大戦の経験の中で生きて我々がいると考えれば、我々が大きな終焉からやり直す事も不思議なことではありません。


・長い冒頭②(なにこれ 笑)
この歴史背景がなんなんだ?という方も沢山いらっしゃると思います。
英国発祥の「金融至上主義」です。
明治朝政府の時代から軍事と金の関係をうまく使う商売と植民地化政策が主流になります。米国も明治朝の数年前に英国の金融支配の国となっていました。その後、世界大戦の後に日本は英国と離れましたが、英国金融支配下の米国に占領されて現在。
冷戦という名の防衛費やグローバル経済、相場など全てを操作された金融市場で常に日本のお金は海外に流れるようになりました。
教育、メディア情報の蓄積により、我々の常識や概念は「疑うことないように」大人の世代から子供の世代に向って進んできました。
疑いなくの社会で目指すところは大きなお金を手にする事や、地位の優越感などで物質を手にして不自由ないことが完全な幸福だという生活。
その優越感と幸福を手にするための成功論や経済学を刷り込む教育。
その社会での苦しみを回避する方法を語る啓発情報。
様々な手法が繋がったビジネスになりここまできた日本の流れです。
「競争社会」「大量生産」「不安煽りビジネス」など、バブル経済の中で疑う事がないというよりも「生活のためにお金が必要だから仕方がない」
という環境になってしまった事が動けない人、思考の行き場がわからなくなる人を増やしたのだと思います。
そうなれば一極集中で物質的至福と優越感を味わう側は思う通りです。

現在のバブル崩壊を見ていると「平成バブル」と同じような感覚もあります。
平成バブルと言えば羽根センスで踊る映像などがありますが、あのバブリーが連日テレビで取り上げられていた時は既にバブル崩壊をした後なのです。
メディアを通じての情報。ものを見ていない 知ろうとしないということは本当に恐ろしい話です。

恐慌は何故起こるのか?
大きな企業が潰れたり、国が潰れたりは条件だけのことです。
原因は大半の人間が考えることもなく、細かに知ることもせず、学ばずが続いた結果、大パニックで起こるのです。
日々を欲と煩悩に笑っていれば幸福という時間を、日々を本当の意味で感謝して大切に明日に向けて生きる場合はどうでしょうか?
日々を自分の意志に注目して流されず周囲を見ていると、もやもやと微妙な変化を感じるところから、もやの払う思考に移行して行動に思います。
この小さな小さなことを感じとって動いていくことを第三の眼と言います。
目の前に毎日あるのに見ない見ようとしない。誰かが何とかする。自分は関係がない。という感覚に陥るように情報操作や教育、立場ある人間を駆使して仕組んできたとも言えますが。最近はいよいよ現実の生活に感じるほどの現象が起きているのではないのでしょうか。

大きなピラミッドと小さなピラミッド

金融至上主義の大まか簡単なシステムは。最初に大きなピラミッド構造で「弱みを握り合う事」をして、その契約を交わす事でお金の流れる脈が契約者に流れるようになります。お金の流れや優越ある立場を持つことによって、そこからその下にある小さなピラミッドを作っていきます。
日本の政治で「ばら撒き」という言葉を聞いた事があるのではないのでしょうか。
「これに従ってやってくれればこのお金とこの優位性を与えるよ」
と契約となり。
この契約をして優位性を得た何かしらのリーダーはまた自分の部下や周囲に対して。
「俺の言う通りに従えばこの金額、立場を与えるぞ」
というようにこのピラミッドは完成していきます。
バブル(実態がないもの)になるはずです。
本当の人間的な実力ではなく、心を濁し穢れを払わないと決めてしまえば、威張って言い勝ってしまえば、その立場を攻撃に使うだけです。

過去に経済アナリストの藤原直哉先生が「特に平成の時代はどうしようもない酷い人間がリーダーでなければ上手くやれないような社会でしたが。もうその人間では全く通用しない時代になります。」という内容をお話していましたが、金融至上主義が終了し本当にその様になります。

虚構のシステムやマトリックスの中で、そのような罪穢れを払うことない人々が中心の世の中でもピラミッドの下の人々が気付くことがないように、優位が幸せ、ものが多いのが幸せ、この経験が幸せ、これが優しさ、これが愛、これが強さだと、情報を通じて「常識」や「価値観」を作ってきました。実際に言えば、大衆や暴力的な力で出来た常識や価値観にモヤモヤはどこかにあるのだとは思いますが、「それでなければ生きられない」ようになり「それに従うのが大人であり、できる人間」となり。断片を見せるリア充SNSのように潤っては乾く欲望とモヤモヤが承認欲求を生み。この古い社会が続いてきたのだと思います。

このような社会のシステムや人間の弱さの仕組みが華やかにも見えて、冷たい心、人を傷つけても何とも思わない 気づくこともない心を生み出してきました。


優しい人 真面目な人 責任感ある人 無邪気な人

このような方々は右脳、創造力、直観力が優れているのですがその分、左脳、記憶力であったり、意思決定に難を持つことが多くあります。
特に無邪気さが抜けない方は赤ちゃんのように、目の前の現象の危険性判断せずに何でもスポンジのように吸収してしまうので、魂に穢れを付けられて悪循環から抜けられないか、大きなカルマ清算のつまらない巻き添えでやっと気づくような事が多いです。
人は若いうちに様々な経験を積み、一度はその経験知識が大人であると進みながら、実は間違え、実は傲慢であると切磋琢磨してゴツゴツの原石魂を研磨して宝石にしていくようなものです。足し算が成長ではなく、的確な引き算が成長なのですが。時々は幼少期含む過去、何かしらの経験トラウマの癒し、向き合いがなく。そのままなことがあります。
その向き合いに恐怖心がある方は真面目だし責任感も優しさもあるのですが、無意識の心の鎧を着ているので、「現状況の自分を否定できない保身」が過剰になってしまいます。そのため、良くも悪くも無邪気さがさなぎという鎧に入って、なかなか羽根を生やして飛び立たないことがあるのです。
じっくり見守って共に生きればいいのですが。
「現状況の自分を否定できない保身」が過剰。という部分では、罪穢れ払いをやらない人を傷つける方々と同じ特性で呼び寄せてしまい。保身で自分を否定できないため、負の螺旋に陥ってしまうのです。

保身というものは「自らを守る」という部分では必要なものですが、自己との向き合いへの恐れから生まれた保身の鎧は時に二元論的な突っ張った攻撃的感情や拒否反応の冷めた態度を発するものです。
このようになってしまうと、自己の成長よりも自己の恐怖から逃げる方が優先されるので、魂や人格的には幼い方々が寄るようになります。成長や向上心に纏わる方々は大概、自己の乗り越え経験から洞察力、見抜く能力が高まっているため、自分の内側を見たくない反応が起こってしまうものです。
低級霊にでも取り憑かれたかというような、「間違えた引き寄せと手放し」とでもいう感じですね。

それが邪気を持った方でも無邪気な方であっても、「自己向き合い拒否の鎧」の方は成長しないために集まった魂たちのようなものになりやすいです。

・邪気がある方は、先ず変えようともしないで、できれば関わろうとしないで極力距離をとった方がいいでしょう。この方々はこれを心から望んで黄泉の国で生きているので、自分の魂を穢されないように、成長しあえる健全な人、場所でたてわけた生活を送った方がいいです。
特にこの方々が住む世界が終ろうとしているのが今なので、余計な問題や攻撃を起こす事もあると思います。

・無邪気な方。そっと適切な距離をとって見守ることが必要なのですが。「無償の愛」に近づく程に自分を深めた優しさがある方ならば、意思次第ですが、じっくりと鎧を自分で脱ぐまで愛情、優しさ、誠実さを注ぎ続けることでしょう。ただ。忍耐力が必要なので、自分の陰陽のバランス、調和を保つための修行になるでしょう(笑)
ああ。もしかしたら、スピリチュアルで言うツインレイやサイレントという概念はこの辺りのお話なのかもしれないと、今思いました(゚∀゚)

この無邪気な方の関わりという部分で類似することはここ数年多くあったと思います。例えばワクチンの事であったり、大切な人との関わりの中で、どう話し合えばよいのか。二元論になって争いが多く起こったのではないでしょうか。
恐怖の中で「自己否定したくない」という保身防御がある時にはそういう風になってしまうのです。無償の愛に近づく修行ですね。

ここからの時代変化の間。古いものが終わり、新しい時代になる。。というよりも立て直しで新しく創るまでには「復興」の期間になります。
命 生活 経済の順番で重視して横に繋がりながら、農地解放の土地を耕し直すように世界の民が、日本の民が、身近な人たちとやり直していく期間です。
ここまでに改心出来なかった方々は動けなくなるでしょう。
よく、民にお金が配られて助かる・・・のようなお話を目にすることがありますが、お金は食べられないし、お金に住めないし、セロハンテープ使えば洋服っぽくはできるかな?くらいなものです(笑)
お金は交換手段のものであって、生きる魔法物質ではありません。
作る、造る、創る は自分たちの手でやっていかなければなりません。
ただし、今あるような大量生産の競争ではなく、堅実に良いものを必要な分つくる。商売も必要なひとに必要なことを必要な分の取引をする。
考えてみれば、これが正常で当たり前過ぎる当たり前な営みですね。
そうなります。
こうした立て直しの期間になる頃には無邪気な気質の方々も怯えることなく、新しい時代創りに一緒にいて欲しいものです。

膿が出る混沌な今の期間は、兎に角、人を傷つける心冷たい邪気ある方とは離れる方がよろしいと思います。

昔、美輪明宏さんのお話で近寄ってはいけない「魔界人」という言葉が出てきたのを覚えています。非常にパワフルで執念深いと言っていたのが印象的です。
私の気質と仕事柄ともあり、人の言葉、話し方、行動、目、手足の動きなど、普段からよく見てしまうのですが、確かにパワフルで「ポジティブ」と周囲から勘違いが起きる思考と動向ですね(笑)

「ポジティブと周囲から勘違いが起きる」というのは、ポジティブなのではなくて、認知療法が必要なレベルで共感能力が欠損していると捉えているからです。特に平成からなのですが、有名人や会社経営者などの方々の中には多く自己愛性パーソナリティ障害の方が存在しています。
金融至上主義経済の世の中では、このような方々の「間違えた力」だから回る部分が多かったのです。そして、心も体も病気は職場から持ち帰る時代にもなりました。天使と悪魔のようなお話でもよいのですが、精神構造や行動心理の点でおいてもこのような方々とは極力早く離れた方がいいです。

ポジティブと勘違いされるついでに。よく「波動」という言葉で高い低いといいますが。明るく賑やかで笑っててというのが「波動が高い」というのは違います。波動が高いとはキメ細やかなものなので、どちらかと言えば、穏やかであり、微笑みがあり、安心感がありというようなものです。
ガハハワハハの賑やかさは波動が低い方です。
陰にも陽にも偏らずバランスがとれた状態が波動が高い状態ですので、ただ明るいでもクールにドライに決め込むでもありません。


この混沌期はまだまだ膿出しをしながら淡々と進んで古い時代が終わっていきますので、今まで以上に自分を大切に素直なままで、人を傷つけることなく、傷つけられることもない環境や人と、清流の石が研磨されるような切磋琢磨で次の時代創りに移行していく希望を持って人も進みましょう。

自分を変える
愛も邪心も本人に返る
真実の自分がついに孵る


ありがとうございました。

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