BETTY CATROUX YVES SAINT LAURENT 唯一無二の女性展
なんてカッコいいおばあちゃんなんだろう。
日本にも(世界にも)こんなおばあちゃんが増えればいいのに。いや、増えてほしい。
“こんな” は、彼女の見た目やスタイルそのものを言っているのではない。
ベティのように、自分のスタイルを肯定し、そのものを生きること。自分の信じるものを貫くこと。そういう意味で、彼女がイヴ・サンローランと出会ったことはとても幸運だっただろう。それは必然だったのかもしれない。とにかく、彼女の写真からはその肯定感が滲み出ている。
私はエディ(スリマン)以降、Saint Laurentが苦手だった。エディのスタイルは好きなのに、世界観のメインカラーは黒で、表参道のショップでは演出として蛍光灯が使われている。ブランドのフォントに至ってはゴシック体になってしまった。最近の世界観は、私の好きなイヴ・サンローラン自身による初期のルックからは遠く感じられた。モンドリアンのドレスは、今のSaint Laurentとはまるで別物のような気がしてならなかった。
そんな訳で、私はSaint Laurentからは少し遠ざかっていた。
そして今回のベティ・カトルーの展覧会のメインカラーもやはり黒。でも…今回は "最近の" Saint Laurentとは何か違うものを感じさせた。写真の奥から、ベティの力強さと意志と、ルックを超えて伝わってくる何かがあった。これは何をおいても行こうと、私の心は最初から決まっていた。
ベティはカッコよすぎた。
最初にこの展覧会のビジュアルを見た時、女性かもしくは少年か?と思ったほど線が細く華奢なモデルだとは思ったけれど、その第一印象に違わず、
・胸は小さい
・女性的な曲線というよりは、まるで少年のような、やせっぽっちで直線的な体型
・髪型も顔からも、女性らしさは欠片も…感じられない。やはり少年のよう
時代的にも、社会通念的にも、そのスタイルは少数派だったはずだ。彼女がカトリーヌ・ドヌーヴと並べば、どちらに票が集まるかは一目瞭然だろう(この展示では実際に、ドヌーヴと一緒に写っている写真がある)。
けれど、彼女とそのスタイル(体型ではなく衣服を含めた佇まいそのもの)には社会通念、社会規範などそういうものを超越して何かを訴える強さとカッコよさがあり、それは見るものに有無を言わせない、鋭いけれど美しいものだった。
彼女とイヴ・サンローランが出会うことで、サンローランは ”両性具有” 的な彼女の魅力を見出し、”マスキュリン・フェミニン” な彼独自のスタイルと世界観を生み出したという。
この展覧会では、ベティのインタビュー動画も見られるが、話すと雰囲気が全く違って感じられるのもまた彼女の魅力だった。見た目からは想像しにくい親しみがあって、情も感じられる人となり。マスキュリンで、直線的な感じはしない。
おばあちゃん(実際に孫にも恵まれているようだ)になっても、ジャケットの下は素肌で、相変わらずやせっぽっちで、髪型さえも少年のよう。顔にも多くしわが見える。でもサングラスをして、Saint Laurentのスーツを身にまといポーズを取ってカメラの前に立つベティは、カッコよく崇高なほどに美しい。
私も、こんなおばあちゃんになりたい。
“こんな” とは、彼女の見た目やスタイルを丸ごとコピーすることではなく、自分のあるがままを認め、自分の好きなもの - スタイルを貫くこと。そんな潔さは人々を魅了する。そして美しい。
そして何より、イヴ・サンローラン時代の "マスキュリン・フェミニン" に落とし込まれた女性用タキシードが着たくなった。細身で、でも女性用にウエストはシェイプされていて、シルクサテンのサラッとした着心地の、美しい黒の、あのセクシーなジャケットとパンツを。
この展覧会の目玉とも言えるベティのヌードのポートレイトが、中盤に展示される。これがまた美しいポートレイトなのだが、掲載は諸々のメディア規範に外れることが想定されるので、残念だが今回は載せないでおく。
ご興味のある方は、実物を見に行ってみてほしい。この展覧会は入場無料、東京では~12/11まで。世界巡回展だそう。
BETTY CATROUX YVES SAINT LAURENT 唯一無二の女性展
※ 挿入されている写真及び画像はすべて筆者によるものです。また、施設等の情報は、当記事執筆時点(2022年11月)のものとなります。