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経済学と差別問題—市場で差別は無くせるのか

皆さんこんにちは。今回は経済学から見た差別問題についての記事です。

差別問題は日本やアメリカを含めて、あらゆる国や地域で差別問題が起きています。そんな差別問題を経済学からの視点で解説していきます。

差別と市場

非合理的差別

市場経済では「非合理的差別」と「合理的差別」の2種があります。非合理的差別とは、自分自身の感情を満足させるために、市場経済下で人種を選別し、利益を損なってまでするような差別です。このような非合理的差別を行なっている企業は利益を損なっているため、差別をしない合理的な企業との市場競争に負けて、生き残りづらくなります。

例を表すと、パンの生産をしているA人種とB人種がいます。A人種は1時間辺りに10個生産ができます。一方でB人種は1時間辺り20個ものパンを生産することができます。
しかし、反B人種のパンの会社では、パンを20個生産するB人種を採用せず、パンを10個生産するA人種しか雇わず、差別的な経営をしている非合理的な企業がいるとする。だが一方の別の会社では、どの人種も関係なく、能力が優れている人を雇い、経営する合理的な企業があるとする。反B人種の企業で採用されなかったB人種を雇いました。この2つ企業を単純に比較すると、非合理的差別の企業は1時間辺りに10個生産されるが、差別をしない合理的な企業は1時間辺りに20個生産することができ、非合理的差別の企業より10個も多くパンを生産することができます。
こうなると、非合理的差別な企業は合理的な企業より利益が少ないので、市場競争に敗れて、倒産されやすくなり、市場から撤退することになる。つまり、差別をする企業がなくなることが可能だと考えられます。

実際にスポーツ業界では、一昔前はバスケや野球などで、黒人を差別することがありました。だが、黒人が試合で活躍することによって、黒人の身体能力の高さが注目され、次第に黒人差別はある程度解消されました。身体能力が高い黒人選手をチームメンバーに取り入れることで、質が高いパフォーマンスをし、試合を盛り上げることができるため、企業に利益が入ります。このように差別をしない合理的に利益を追求する企業は差別をやめるようになりました。

これは、消費者側でも差別を無くせることが可能です。
例えば、パンを消費する時にA人種が10個、B人種が5個でパン消費する場合で考えると、非合理的差別な企業はA人種しか受け入れ、10個分の利益を上げます。一方の合理的な企業はA人種もB人種も受け入れて、A人種とB人種合わせて、15個分の利益を上げることができ、消費者側でも合理的な企業が勝つことができ、差別をしない企業が生き残ることができます。

これも実例があり、南アフリカ共和国のアパルトヘイト政策やアメリカ合衆国の黒人分離政策による白人と黒人に強制的に分離させる政策です。例えば、レストラン、ホテル、列車、バス、映画館、公園、公衆トイレ、スタジアムなどが白人用、黒人用と分けていました。この隔離政策で起こった問題は、レストランや列車などで、白人の満員時でも白人席が空いていないと席を使うことはできないし、逆に黒人は黒人席が空いていないと乗ることができなくなります。席を効率的に利用することができませんでした。次第に取りやめになり、利益を追求することを目指しました。

合理的差別

市場の競争によって、差別は解消することができると理解することができました。しかし、現実的には全てが解消されるわけではありません。利益を追求した結果、逆に差別をしなければならない場合があります。これを「合理的差別」または「統計的差別」といいます。

合理的差別または統計的差別とは、差別を行う意図が無くても、過去の統計データに基づいた合理的判断から結果的に生まれる差別です。
例えば、「女性は何割か出産を機に仕事を辞める」や「女性の何割は専業主婦を望んでいる」といった統計データを基づいて採用をしており、その結果、例えその女性が出産をする気がなくても、統計上の結果が悪くなり、統計的差別を生み出すことになる。

消費者側でもあり、消費者が差別をするためにより高い価格を払ってまで差別をする場合、そうなると企業は被差別者を雇うより、そうではない人を雇うのが合理的になり、市場が改善しない場合があります。例えば、A人種が生産したパンが1個500円。B人種が生産したパンが1個100円だったとする。本来なら、消費者はこの中で1番安いB人種が生産したパンを消費するはずですが、消費者が反B人種主義の思想を持っている場合、A人種の方が利益が上がるので、B人種は損することになり、B人種を雇わないのが合理的になります。
市場は何もかもが万能ではないので、全ての差別に適応されるわけではありません。

法律でも限界がある

政府も万能ではない

法律によって、差別を解消する動きがありますが、しかし政府も万能ではないので、必ず限界と不公平が生まれます。例えば、本当に差別を緩和するような制度を取れているのか?や、本当に取れているとしても過剰保護しているのではないか?などの問題があり、また差別自体も定義曖昧なため、どれが差別で何が差別なのか、見つけ出すことが難しいのです。

また、保護すべきだった被差別者が逆に損することを招くことがあります。例えば、議会や学校、会社の定員の何%かを被差別者に割り当てようとする取り組みがあるが、しかしこれらは、本来行くべきだった人が行けなくなったり、被差別者の能力が逆に低くなる場合があります。

高校受験で例を表すと、ABC学園の被差別保護対象の受験生の平均点数が60点、一般人の平均が70点とする。被差別保護対象のAが90点で、Bが30点とする。Bも保護対象なので、30点でも合格できました。その結果で起こることは、Bにつられて被差別者の能力が60点までに下がり、しっかり勉強して合格したAが能力が低いとみなされ、被差別者の全体の能力が平均的に低くなり、差別を助長を招いている。
また議会では、被差別保護の理由で本来落選していたはずの候補者が、定数の比率のために、当選してしまい。有権者の民意の意味が無くなる場合がある。

このように政府でも限界があり、完全に不公平なく、差別を無くすことはできない。逆に過剰保護の原因で、逆に差別の助長を招く恐れがある。大事なのは現実的にバランスを取れた政策を考えなければなりません。

以上。

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