記事一覧
After Dark - (Åh) När Ni Tar Saken I Egna Händer 発音転写及び私訳
https://m.youtube.com/watch?v=hmKlIkTLyQE&pp=ygUkw6VoIG7DpHIgdmkgdGFyIHNha2VuIGkgZWduYSBow6RuZGVy (Åh, när ni tar saken i egna händer) オナニー タル サケニ …
たしかに違いがあるわ
外国の友人がアニメを見ていて、男性のキャラクターが「それじゃ、俺もう行くわ」と言っていたけれど、なぜここで「わ」を使うのかと質問された。そのときはとっさに簡潔な説明ができなかった。「行くよ」だともっとやさしい感じがする、「行くわ」だと自分自身に決意を話しているような感じがするとしか言えなかった。酒を飲みながら考えていた。
翌日も気になって調べてみると、次のようなサイトが出てきた。
「〜よ」
『翼 李箱作品集』斎藤真理子訳を読んで
すばらしい訳本が出た。本文はもちろん、80ページ近い豊富な解説も含めて、とても学ぶところが多い。小説、手紙、随筆、詩と李箱の仕事を網羅的に収録してあり、現状購入できる書籍があまりないなかで(青空文庫にはいくらかあるものの)文庫という手に取りやすい形で出版がされたことに静かに感動している。
青空文庫の李箱のページ
https://www.aozora.gr.jp/index_pages/pe
『イノセンツ』の感想追記
友人と話していると、「ベンの能力は見られていると発動できないんだと思う。ベンがイーダを傷つけようとしたときにアンナがやってきたが、このときもアンナがやってきたことで、アンナに見られているから退散せざるをえなかった。それから、ラストの対決のシーンで子供たちに見られていたからベンは負けてしまったのではないか、アンナが子供たちの視線を操作してベンを見つめさせたからベンは負けてしまったんじゃないか。
もっとみる中田考『どうせ死ぬ この世は遊び 人は皆』の箇条書きの感想
・ヨーロッパ諸語の「私」は考える主体ではなく、「私」というものは自分という「フィールド」で機能する客体ってことを言語化してもらってすっきりした。自分などいないというのはそういう意味で解釈できる。
・この本で「場」とよばれてるものはヒッグス場とかの「場」(フィールド)で、作者自身(もちろん私も)きちんとわかってるわけじゃないと思う。思うけど、わかる。自分ってのは自分も素粒子も認識可能な最大の宇宙ま
『イノセンツ』の感想(ネタバレをふくむ)
特殊な能力を表現するのに派手な光線や爆発はなくても良いということを示した傑作のひとつではないだろうか? スターウォーズやX-MENももちろん好きだが、装飾をはぎとったものにも見るべきものがあるし、技術革新によって画面が華美になる一方の映像表現は、立ちどまってみても良いかもしれないと思わせる出来だった。想像上の産物の核心的な部分は何だろうかと考えてみる時間があると、より本質的な表現につながる
もっとみるクライムズ・オブ・ザ・フューチャーの感想
普通の人には理解できない価値観を描いてみせるというのはとても困難なことで、その価値観を耽美的でグロテスクな技法をもちいながらえがいて見せたと考えるなら、いい作品だったと思う。
理解できない価値観というのはなんだろうか?それはその人の文化圏や立場等によってかわってくる。めずらしい動物のめずらしい生態や、外国の奇妙な風習を見ることが好きな人にとって、その生態や風習は価値のあるものになる。あ
アステロイド・シティの小感想
ダージリン急行を別にすれば、めずらしく監督は何かを言おうとしている感じがした。それが何なのかはよく考えていないのでくわしくは書かないけれど、近年の作品とはまた少し違った感じがする。ウェス・アンダーソンが好きな人は観にいくのが良いと思う。
隕石とは何かの象徴だろうか?と自己言及的なセリフがあり、そういったものがよくわからないまま、さまざまな思わせぶりも作中内の原作者が急死することでわから
SFの人間と言語について
SFでは進化した人類や、異星の異なったありかたの知的生命体が登場する。人類は人類より上位の存在か、単に違いのある存在を描いている。そのいずれとも意思疎通ができているが、なぜなのだろうか。
異なる音域や光、化学物質や触覚や、その他を用いて意思疎通する異星人はいくらでもかかれているのに、そもそも言語の意味という単位が翻訳可能な場合しか、寡聞にして知らない。というのは、いずれにしても人間の
コシュ・バ・コシュの感想
自分にとってエキゾチックなものについて、過剰な評価をあたえることは妥当だろうか? かりに、日本映画に登場する人物や風景が、われわれには見慣れた風景にすぎないものでも、ほかの観客たちから、日本人だから、日本のものだから、その映画はエキゾチックであるために、とても良いと言われてそれほど納得はできないなら、コシュ・バ・コシュという映画もその画面によって評価されたほうがよい。
コシュ・バ
映画『バービー』を観て
バービーはケンに何をしただろうか?謝罪しかしなかった。リアルワールドの私たちも謝罪しかしないのだろうか?富と権力だけは鏡像社会でも唯一ゆらぐことなく保持されたものだ。CEOは最後までCEOであり、大統領も最高裁の判事も、鏡像のようでいて何ら鏡像ではなかった。問題なのは社会における富と権力の分配の仕組みであることを言っているのかもしれない。
ミシェル・ウェルベックについての断片的な感想
最新作の「滅ぼす」を読んでいる。
ウェルベックの主人公は相変わらず金に困ってない。金に困ってない人間の人生は地獄なら当然金に困っている人間は地獄の筈なのだろうか?必ずしもそうではないと新作は言っている。
ウェルベックはバルザックにはよく言及する。バルザックのように当時のフランスを記録したいのだろうと思う。
ウェルベックには比喩のたくみさはない。意識してか、その能力がないかはわからないが、とに
After Dark - (Åh) När Ni Tar Saken I Egna Händer 発音転写及び私訳
https://m.youtube.com/watch?v=hmKlIkTLyQE&pp=ygUkw6VoIG7DpHIgdmkgdGFyIHNha2VuIGkgZWduYSBow6RuZGVy
(Åh, när ni tar saken i egna händer)
オナニー タル サケニ イェグナ ヘンデル
オー、あなたたちが自分の手でコトをするとき
saken<en sak=thing
e
Marie Laforêt, Saint-Tropez Blues直訳
Oh, toi qui as l′âme légère
おー、かろやかな魂で
Sous ton grand chapeau de paille
麦わらの大きな帽子をかぶって
Tu souris et puis tu bâilles
君はほほえんで、そうしてあくびする
Et t'endors dans la lumière
それから光のなかでねむる
Saint-Tropez, Saint-Trope