たしかに違いがあるわ

外国の友人がアニメを見ていて、男性のキャラクターが「それじゃ、俺もう行くわ」と言っていたけれど、なぜここで「わ」を使うのかと質問された。そのときはとっさに簡潔な説明ができなかった。「行くよ」だともっとやさしい感じがする、「行くわ」だと自分自身に決意を話しているような感じがするとしか言えなかった。酒を飲みながら考えていた。
   翌日も気になって調べてみると、次のようなサイトが出てきた。

「〜よ」は「私の考えをあなたに教えてあげる」ということ。
「〜わ」は「私自身としてはこう考える」ということ。

と説明があり、納得した。ところが、彼がたずねてきたのはなぜ「わ」と言っているのかということだけなのに、自分はなぜか「よ」との比較で説明しようとしていたことに気がついた。おそらく、この2つは根本にひとつの意味をもち、セットとして認識しており、その表層において違う使われ方がしているだけなのではないだろうかと思ったのだ。
   それでは、その根本の意味とは何だろうかと考えてみると、それは「意志」なのではないだろうか?その意思を自分自身に一度表明しつつ相手に話すのが「わ」であり、直接に相手に表明するのが「よ」なのではないだろうか?実際に、アニメの該当シーンではキャラクターは友人の顔を見ずに「それじゃ、俺もう行くわ」と言っており、主に自分自身に向けての発言だと考えられる。
   これらのことは、「さあ行こうよ」とは言えても「さあ行こうわ」とは言えないことからも理解できる。明らかに「相手」への提案を示す「行こう」という言葉には「わ」は使えない。提案を示しているのに主に自分に向けて発せられる「わ」は相性が悪い。個人的な意志を示している場合には「よ」は使いづらい。
   もちろん言葉の意味はひとつにはかぎらないから、これらの「わ」と「よ」はやや古い女性の言葉遣い、アニメに出てくるお嬢様口調(Vtuberの壱百満天原サロメを思い出した)、マツコデラックスのようなオネエ言葉などもあり、一義的には決められない。大量の用例にふれながら説明を聞いて、ひとつひとつの意味をつかんでいくしかない。
   ほかの国の友人もこの語尾(助動詞や終助詞)のニュアンスがわかりづらいと言っていた。

 行くよ、行くわ、行きます、行きますよ、行きますわ、行くんだ、行くんだよ、行くんだわetc…

   たしかにめんどくさい。最初のうちはとりあえず語尾は無視して単語を増やす努力をしたほうが賢明だろう。しかし、ネイティブは無意識ではあるが、かなりはっきりと使いわけて話していることを気づかされ、母国語を考える良い時間をもらったと伝えておいた。そこにはたしかに意味の違いがあるわ。

補足

そうすると、「それじゃもう行くよ」と行った場合には、同時に相手を突き放したような感じになることもある。行くという意志があり、それを一方的に相手に投げかけることになるからだろう。言い方ひとつで「よ」も「わ」も、多様な意味を待つね。