이산 날개 直訳(李箱『つばさ』)

 以下にのせるのは1936年9月に発表された詩人、小説家李箱(イ・サン)の代表作날개(ナルゲと読み、日本語で翼の意味をもつ)の私訳であり、直訳である。外国語でありながら日本語と似た文法構造を持つ原文の雰囲気を味わうために、直訳したままでは日本語にそぐわない表現もあるが、可能なかぎりそのまま掲載する。その際、漢字に由来する語は漢字で訳し、固有後に由来する語はかなで記すことを、読みにくさに支障のない範囲で原則とした。原文が漢字ハングル混じり文であり、その様子を伝えたいと思ったからである。
 また、助詞の「の」を原語は日本語ほど必要としない。本文を例にとれば「ひさしの下」は原文には「ひさし下」とある。これは仕方なくおぎなった。ほかにおぎなったものは読点である。仕方ないといえば、多くの仕方ない部分があるが、ほかに説明を要すると考えたものは説明をしたつもりである。
 なお、訳者とは言うものの、この言語のネイティブでも専門家でもなく、好きで少し勉強して原文を読んだだけなので間違いが多分にあるはずである。言いたいことは言えても、言いたいようには言わせてもらえないこのもどかしさは、外国語に接してはじめて理解できる作業であり、自分の言語をみつめなおすきっかけともなった。
 

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 「剥製になってしまった天才」をご存知か? わたしは愉快だ。こんなとき、恋愛までが愉快である。
 身体がフラフラするくらい疲労したときだけ精神が銀貨みたいにすみわたる。ニコチンがわたしの回虫腹病む腹内にしみると、頭のなかにいつも白紙が準備されるものだ。そのうえにわたしはウィットとパラドクスを囲碁の布石みたいにならべる。可恐(おそるべき)常識の病だ。
 わたしはまた、女人と生活を設計する。恋愛技法にまでうとくなった。知性の極致をちらり、ちょっとのぞきみたことがある、いってみれば、一種の精神奔逸者ということだ。こんな女人の半分-それはあらゆるものの半分だ-だけを領収する生活を設計したということである。そんな生活中にひと足だけ入れておいて、まるで二個の太陽みたいにむきあってみつめながらクスクスわらうのだ。わたしはおそらく、よほど人生の諸行がはりあいなくて、たえることができないくらいになって、ほうりだした模様だ。グッバイ。
 グッバイ。あなたはときおり、あなたが第一きらいな料理を貪食するアイロニーを実践してみるのも、よいことと思う。ウィットとパラドクスと…………
 あなた自身を偽造するのも、する価値があることだ。あなたの作品は一回もみたことがない既製品に依り、かえって軽便と高邁であるだろう。

 19世紀はできれば封鎖してしまいなさい。ドストエフスキー精神とは、もしかすると浪費であると思う。ユゴーをフランスのパン一片であるとだれがそう言ったのか、知言であるようだ。しかし、人生或はその模型にとってディテイルのせいで、だまされたりしてなるものだろうか?禍を見ぬべし。どうかあなたに告げるのだから………(テイプがきれると血がでる。傷ぐちもまもなく完治するだろうと信じる。グッバイ)


 感情はあるポーズ。(そのポーズの素だけを指摘することがないのかわからない)このポーズが不動姿勢にまで高度化するとき、感情はふっと供給を停止します。

 わたしはわたしの非凡な発育を回避して世上をみる眼目を規定しました。
 女王蜂と未亡人ー世上のかぞえきれない女人が本質的にすでに未亡人でないものがいるだろうか?いいえ!女人の全部がその日常において個々'未亡人'というわたしの論理がおもいがけなくも女性に対する冒瀆になろうか?グッバイ。
 

 その33番地というものは構造があたかも遊郭がずらり-肩をよせてならびたち、窓戸がまったく同じでかまど模様がまったく同じ。さらに、各世帯にすむ人たちが房ぶさの花と同じくわかい。日がささない。日がさすのをかれらが知らないふりするからだ。ひさしの下に鉄線をむすんでシミのついたフトンを干してかわかす口実で、障子に日がさすのをさえぎってしまう。うすぐらい部屋のなかで昼寝をねむる。かれらは夜にはねむりをねむらないのか?わからない。わたしは夜にも昼にもねむりばかりねむるので、そんなことは知るすべがない。33番地18世帯の昼はほんとうにしずかだ。
 しずかなのは昼だけだ。おぐらくなると、かれらはフトンをとりいれる。電灯の火がついたあとの18世帯は昼よりはるかに華麗だ。日暮れまで障子あけしめする音がしきりだ。いそがしくなる。さまざまな種類のにおいがただよいはじめる。ニシン焼く香、タンゴドーランの香、米とぎ水の香、せっけんの香………
 しかし、これらのことどもよりも、かれらの門牌が第一に首をうなずかせるのだ。
 この18世帯を代表する大門というのが一部がおちて、ひとつだけ別にあるが、あるにはある。しかし、それは一度もしまることがない、通りとかわりない大門であるのだ。あらゆる商人(あきんど)どもは、一日のあいだ、どの時間にでもこの大門を通じて出入りすることができるのだ。ここのひとたちは、戸口で豆腐を買うのとちがい、障子だけあけて、部屋で豆腐を買うのだ。こうして生じた33番地大門にかれら18世帯の門牌をあつめてからはりつけることは意味がない。かれらはいつの間にか各障子のうえ、百忍堂や吉祥堂やなどと書いて貼ったかたすみに門牌を貼る風俗をもってしまった。
 わたしの部屋の引き戸のうえ、かたすみに短剣標の厚紙※を四つに切ったものくらいの、ひとつの私のーいや!妻の名札がはってあるのも、この風俗にしたがうのにほかならない。

 ※訳注 調べた限りでは、当時PIRATE(海賊)というタバコがあり、そこに短剣を携えた海賊の絵がかかれていたようである。つまり、そのタバコの箱を指すようだが、さらに四つ切りにしたのでは、小さすぎるようにも思う。詳細がわかり次第訂正したい

 わたしは、しかし、かれらのだれともあそばない。あそばないだけでなくあいさつもしない。わたしはわたしの妻とあいさつするほかに、だれともあいさつしたくなかった。
 わたしの妻以外のべつの人とあいさつをしたり、あそんだりするのはわたしの妻の顔※を見てよくないことであるかのような考えがもちあがったためだ。わたしはこれほどまで、わたしの妻を大切に考えたのだ。

 ※訳注ここでは体面の意味

 わたしがこのようにまでわたしの妻を大切に考えたわけは、33番地18世帯のうち、わたしの妻がわたしの妻の名刺みたいに第一ちいさく第一きれいであるのを知ったからだ。18世帯に各位、意気ごんで咲くすずなりの花々のうちにも私の妻は特にうつくしいひとふさの花として、このトタン屋根のしたの日差しあたらぬ地域にどこまででも燦爛だった。したがって、そんなひとふさの花をまもって-いや、その花にしばられて暮らすわたしという存在がどうも形容することができない、とても気まずい存在とちがい得なかったのは勿論だ。

 わたしはどこまでもわたしの部屋が-家ではない、家はない-気にいった。部屋のなかの気温はわたしの体温にとって快適であって、部屋のなかのうすぐらい程度がまたしてもわたしの眼力にとって快適だった。わたしはわたしの部屋以上のすずしい部屋も、またあたたかい部屋も希望しはしなかった。これ以上にあかるかったり、これ以上にくらい部屋を願わなかった。わたしの部屋はわたしひとりにとって、これくらいの程度をしっかりとまもるようで、いつもわたしの部屋が感謝して、わたしはまたこんな部屋のためにこの世上にうまれたようで、よろこんだ。
 しかし、このことは、幸福だとか、不幸だとかいうものを計算するのではなかった。いってみれば、わたしは、わたしが幸福であるとも考える必要がなかったし、そうかといって、不幸であるとも考える必要がなかった。ただその日その日をひたすら、わけなくぶらぶらだらけてさえいれば、万事は十分であったのだ。
 わたしの体と心に服みたいによく合う部屋のなかで寝ころびながら、だらりとたれさがっているのは、幸福であるとか不幸であるとか言う、そんな世俗的な計算をはなれたもっとも便利で安逸な、いわば絶対的な状態であるのだ。わたしはこんな状態がよかった。
 この絶対的なわたしの部屋は大門からかぞえてぴったり-七つ目の軒だ。ラッキーセブンの意がなくもない。わたしはこのナナというという数字を勲章みたいに愛した。こんなこの部屋がまんなかの障子によって、二間にわけられているというそのことが、わたしの運命の象徴であったことをだれが知ろう?

 焚き口にちかい部屋はそれでも日がさす。朝がたにふろしきくらいの日がさしてから、午後にハンカチくらいの日が暮れながらおわってしまう。日が永々とささない奥の部屋が、すなわちわたしの部屋であるのは言うまでもない。このように日差しさす部屋が妻の部屋であり、日差しささない部屋がわたしの部屋だ。といって、妻とわたしふたりのうちに、だれが定めたのやら、わたしは記憶し得ていない。しかし、わたしには、不平がない。
 妻が外出などすると、わたしはすぐ手前の部屋に行って、その東がわで、わたしはあかり窓をあけはなち、あけはなったら、さしこむ日差しが妻の化粧台をてらし、さまざまな瓶たちがまだらになりつつ、燦爛としてかがやいて、こうしてかがやくのを見ることは、またとないわたしの娯楽だ。わたしはちいさな'虫メガネ'をとりだして、妻だけが使用するチリガミをあぶりながら、火あそびをしてあそぶ。平行光線を屈折させて、ひとつの焦点にあつめて、その焦点がほかほかしてから、しまいには紙がもえはじめて、ごくほそい煙気をだして、ついに穴をあけておくところまでにいたる、そのすこしのうちなるうちの、焦燥した味わいが死にたいくらいわたしにはおもしろかった。
 このたわむれに飽きがでたら、わたしはまた妻の握り手の鏡をもって、いろいろな風にあそぶ。鏡というのは、自分の顔をうつすときだけ実用品だ。その外の場合にはどうもおもちゃであるのだ。
 このたわむれもすぐ飽きがでる。わたしの遊戯心は肉体的であるところから精神的なところへ飛躍する。わたしは鏡をほうりだして、妻の化粧台のまえに近く行き、ならびにならんだそのさまざまの化粧品の瓶たちをうちながめる。それらは、世上のなによりも魅力的だ。わたしは、そのなかのひとつだけをえらび、そっとフタをぬき、瓶の穴をわたしの鼻にもってあてて、息ころすようにかるい呼吸をしてみる。この劇的なセンシュアルな香気が肺にしみこむと、わたしはおのずと、とろりとして、まぶたの合うわたしの目を感じる。確実に妻の体臭の破片だ。わたしはさらに、瓶のフタをしめて考えてみる。妻のどの部分からこんな匂いが出たのかを………しかしそれは、明瞭でない。なぜ?妻の体臭はここにならんでいるさまざまな香気の合計であろうものだから。
 妻の部屋はいつも華麗だった。わたしの部屋が壁にクギ一個さしこまれてない素朴な模様である反対に、妻の部屋には天井下にぐるりとめぐらしクギがうちこまれて、クギごとに華麗な妻のチマとチョゴリがかかっていた。さまざまな種の模様がみばえがよい。わたしはそのさまざまな切れはしのチマに、いつも妻の胴体とその胴体がつくりだせるさまざまな種類のポーズを連想して、連想しつつ、わたしの心はいつもおだやかでいられない。
 そうではあるが、わたしには服がなかった。妻はわたしには服をあたえなかった。着ているコールテンの洋服を一着がわたしの寝間着であって、通常服とよそいきの服を兼ねたものだった。そしてハイネックのセーターが一枚、四季を通じたわたしの下着だ。それらはまったく同じにすべて光って黒い。それはわたしの斟酌としては、すなわち洗濯をできるときまでしなくても、見た目悪くないようにするためにものでないかと思う。わたしは腰と両股三箇所すべて-ゴムバンドが入っているやわらかいサルマタを着て、そしてどんな声、音も出さずよくあそんだ。
 いつしか、ハンカチくらいになっていた日が出ていったが、妻は外出からかえってこない。わたしはこれくらいのことにもちょっと疲労して、また妻がかえるまえにわたしの部屋に行っていなければならないだろうことを考えて、すぐさまわたしの部屋にわたっていった。わたしの部屋はうすぐらい。わたしはフトンをかぶって、昼寝をねむる。一遍もとりのけたことがないわたしの寝床はわたしの体の一部分みたいにわたしには真によろこばしい。
 眠りはよく来ることもある。けれどまた、精神がチクチクするので、まったく眠りがこないときもある。そんなときは、どんな題目でも題目をひとつえらんで、研究した。わたしはわたしのややジメジメしたフトンのなかで、実にさまざまな種類の発明もして、論文もたくさん書いた。詩もたくさんつくった。
 それでもこれらはわたしが眠りにつくことと同時にわたしの部屋に入れられて、なみなみあふれるそのフワフワした空気にすべて-せっけんみたいにとけて、影も形もなくて、ひとねむり寝て覚めたわたしは、なかが木綿、布切れやそばがらでパンパンに満ちたひと塊のまくらとも似たひとそろいの神経であるばかり、ばかり※である。

※訳注 入力ミスではなく、ここでは「ばかり、だけ、のみ」にあたる同じ語がくりかえされている

 そうだから、わたしは南京虫がなによりもきらいだった。しかし、わたしの部屋には冬でも数匹ずつの南京虫がたえず出てきた。わたしに気がかりがあったとすれば、ひとえにこの南京虫をにくむ心配なのだ。わたしは南京虫にくわれてかゆいところを、血がでるほどかいた。ヒリヒリする。それはほんのりした快感にまちがいなかった。わたしは昏々とねむりにつく。
 わたしはそれでも、そんなフトンのなかの思索生活でも積極的なものを窮理するはずがない。わたしにはそうする必要が大体なかった。万一わたしがそんな少し積極的なことを究理しぬく場合に、わたしはかならず、わたしの妻と相談しなければならないだろうし、そうするとかならずわたしは妻に小言をうけるだろうし-わたしは小言がこわかったというよりも、わずらわしかった。わたしがけっこうなひとりの社会人の資格で仕事をしてみるのも、妻から小言聞くのも。
 わたしはもっともだらしない動物みたいにだらしないのがよかった。できるなら、この無意味な人間の仮面をぬぎすててしまいたかった。
 わたしには、人間社会がうちとけなかった。生活がうちとけなかった。すべてが、うとうとしいばかりだった。
 
 妻は一日に二遍、洗面をする。わたしは日に一遍も洗面をしない。わたしは夜中三時か四時になって便所へ行った。月があかるい夜にはしばらくのあいだ庭にぼんやりと立ってから、かえってきたりした。そうだから、わたしはこの18世帯のだれとも顔が合うことがほとんどない。それでいても、わたしはこの18世帯の若い女人らの顔たちをほぼすべて記憶していた。かれらは、一様にわたしの妻におよばなかった。
 十一時ごろになってする妻のはじめの洗面は少し簡単だ。しかし、夕方七時ごろになってする二番目の洗面は手間をたくさんかける。妻は昼によりも夜にもっとよくてきれいな服を着る。そして昼にも外出して夜にも外出した。
 妻に職業があったのか?わたしは妻の職業が何であるか知りえない。万一妻に職業がなかったら、おなじく職業がないわたしみたいに、外出する必要が生じないだろうけれど-妻は外出する。外出するだけではなく、来客が多い。妻に来客が多い日はわたしは全終日わたしの部屋でフトンをかぶって横になっていなければならない。火あそびもできない。化粧品の匂いもかげない。そんな日はわたしは意識的に憂鬱になった。そうすると、妻はわたしにカネをくれる。50銭ほどの銀貨だ。わたしはそれがよかった。しかしそれを何につかえばよいやらわからず、いつもまくらべにすておき、すておきしたものが、いつしかあつまってかなり多くなった。ある日、これを見た妻は金庫みたいに見えた貯金箱※を買ってくれた。わたしは一銭ずつそのなかにいれて、カギは妻がもっていった。そのあとに、わたしはたまに銀貨をその貯金箱に入れたことを記憶する。そしてわたしはなまけた。しばらくのち、妻の髪の方に、見られなかった丸い髪かざりがひとつニキビみたいに生えていたのは、まさにその金庫型貯金箱のおもさがかるくなった証拠だろうか。それでもわたしはついに、まくらべに置いていたその貯金箱に手をつけないままだった。わたしのものぐさはそんなことにわたしの注意を喚起させることもいやだった。

※訳注 原文は벙어리で、意味は「口のきけない人、言語障害のある人」という意味。手元の本は「貯金箱」と訳しているが、なぜこれが貯金箱になるのかが正確にはわからなかった。日本人にもイメージできる豚型の貯金箱を벙어리저금통(貯金筒)と言って、おそらくこれを縮約した言い方ではあるのだろうが、それではなぜこの豚型の貯金箱(英国発祥らしいが、それは置いておく)をこのように呼ぶのかが訳者にはわからない。ご存知の方がいれば、ぜひ教えを乞いたい。

 妻に来客がある日はフトンのなかへいくら深く入っても雨ふる日ほど眠りがよく来はしなかった。わたしはそんなとき、妻にはなぜいつもカネがあるのか、なぜ金がたくさんなのかを研究した。
 来客たちは、障子の向こうがわにわたしがいることは知らないらしい。わたしの妻とわたしもちょっと言うことがむずかしい冗談をまるでためらわず、たやすく言いはなつのだ。それでもわたしの妻をたずねるこれらのうち三、四人の来客たちは、いつも比較的上品だったと見ることができるのが、十二時を少しすぎると、かならずかえっていった。それらのなかにはひどく教養がひくいものもいるようだったが、そんなものは普通料理を買って食べてあそぶ。そうして穴うめをして、大体で無事だった。
 わたしはひとまず、わたしの妻の職業が何であるかを研究することに着手したが、せまい視野と不足する知識では、これをわかるのはたいへんだ。わたしはあくまでわたしの妻の職業が何であるのかを知らずにおわってしまうだろう。
 妻はいつもまあたらしいポソンだけ履いた。妻は飯もつくった。妻が飯つくるのをわたしは一度も見物したことはなくて、いつでも食事どきなら、わたしの部屋へ朝夕飯をはこんでくれるのだ。わたしたちの家にはわたしの妻の外に、ほかの人はだれもない。この飯はあきらかに妻が手ずからつくったのにまちがいない。
 しかし、妻は一度もわたしを自分の部屋へまねいたことがない。わたしはいつも奥の部屋でわたし一人で飯を食って、ねむりをねむった。飯はあまりうまくなかった。おかずがどうもそまつだった。わたしは、ニワトリや仔犬みたいに話さず、あたえられるエサをパクパクとって食べはしたが、内心薄情に思ったことも、たまになくもない。わたしは顔色が余地なく蒼白しながら、やせていった。日々、目に見えるように、精気がうしなわれた。栄養不足になって、体のいたるところ骨がニュッニュッと押しでた。ひと晩のあいだにも、数十回を寝返り打たなくては、あちこちが身にこたえて、わたしはがまんすることができなかった。
 そのために、わたしはわたしのフトンのなかで、妻がいつもよくつかえるあのカネの出所を探索してみる一方、障子のすきまにもれでてくる手前の部屋の料理は何であるかを簡単に研究した。わたしはよく眠れなかった。

 わかった。妻がつかうカネはこのわたしにはただふまじめな人びとにしか見えない、わけのわからない来客たちがおいていくものに違いなかろうということを、わたしはわかった。それでも、なぜかれら来客たちはカネをおいていくのか、なぜわたしの妻はそのカネをうけとらなくてはならないのかという礼儀観念がわたしにはどうもわからないのだった。
 それはただの礼儀にすぎないのだろうか。そうでないなら、或は、何の代価だろうか、報酬だろうか。わたしの妻がかれらの目には同情をうけなければならない、ひとりのあわれな人物に見えていたのか。
 こんなことなどを考えていたら、きまってわたしの頭はそのまま混乱してしまって、しまっていた。※ 寝入る前に獲得した結論がひたすら不快ということばかりでありながらも、わたしはそのことを妻にたずねてみるだけでもすることがまったく一度もない。それは大体面倒でもあるのと、ひと眠りねむって、起きでるわたしはすっかり別人みたいに、これもあれもみな、あっさりわすれてしまって、やめるからだ。

※訳注 ここも「しまう」にあたる同じ語が二回くりかえされている。混乱を強調するための表現か

 来客たちがかえっていき、或は夜外出からかえってきたりすると、妻は軽便なものに服をかえてきて、わたしの部屋にわたしをたずねてくる。そして、フトンをもちあげて、わたしの耳にはとても生き生きした数節のことばでわたしを慰労しようとする。わたしは嘲笑も苦笑も哄笑もちがう笑みを顔にうかべ、妻のうつくしい顔をうちながめる。妻はにっこり笑う。しかしその顔にただよう一抹の哀愁をわたしはみのがさない。
 妻は能くわたしが空腹であるのに気づくだろう。しかし、むこうの部屋で食べのこりの料理をわたしにくれようとしはしない。それはどこまででもわたしを尊敬する心だろうことにちがいない。わたしは腹がすきながらも、いくらか心がつよいことを好きだった。妻がなんと話して行ったのか、耳にのこっているはずがない。単にわたしのまくらべに妻がおいていった銀貨が電灯の火にぼんやりと光っているだけだ。
 その金庫型貯金箱のなかに銀貨がいかほどもたまったろうか。わたしはしかし、それをもちあげてみなかった。ただ何ら意欲も祈願もなくそのボタンの穴みたいに生起したすきまのなかに、銀貨を入れておくだけだった。
 なぜ妻の来客たちが妻にカネをおいていくのかということが解けない疑問であるように、なぜ妻はわたしにカネをおいていくのかということも、やはりわたしには同様に解けない疑問だった。仮令、わたしの妻がわたしにカネをおいていくことがイヤでなかったとしても、それはただそれがわたしの手の指にふれる瞬間においてから、その貯金箱の口にすがたを隠すまでのつまらない短い触覚がよかっただけで、それ以上何のよろこびもない。
 ある日、わたしはその貯金箱を便所にもってって、放ってしまった。そのとき、貯金箱のなかには何銭になるかわからないが、その銀貨たちがかなり入っていた。
 わたしはわたしが地球のうえに住み、わたしがこのように生きている地球が疾風迅雷の速力で広大無辺の空間を駆っていることを考えたとき、実に虚妄だった。わたしはこのようにまめまめしい地球のうえには眩気症も出そうになって、一刻も早く降りてしまいたかった。
 フトンのなかでこんな考えをしてからあとには、わたしはその銀貨をその貯金箱に入れて入れて※ということさえが面倒になった。わたしは妻がみずから貯金箱を使用したならと希望した。貯金箱もカネも、事実には妻にだけ必要なものであって、わたしには最初から意味が全然ないものだったから。できることならば、その貯金箱を妻は妻の部屋へ持っていったらと期待した。しかし妻はもっていかない。わたしはわたしの妻の部屋にもって入ろうかと考えてみたが、そのころには妻の来客が何しろ多くて、わたしが妻の部屋に行ってみる機会がどうもなかった。それで、わたしはしかたなく、便所にもって、放りすてただけのことだ。

※訳注 ここも入れるという動詞の、日本語の連用形にあたる活用に助詞の「て」を付し「入れて」としか訳しようのないことばがくりかえされている

 わたしはものかなしい心で妻の小言を待った。しかし、妻はとうとうどんなことばもわたしに、問いも言いもしなかった。なかったのみならず、依然としてカネはカネのままに、わたしのまくらべにおいていくではないか?わたしのまくらべには、いつのまにか、銀貨がかなり多くあつまった。
 来客が妻にカネをおいていくことも妻がわたしにカネをおいていくことも一種の快感-その外のことなる何らの理由もないのでないかということを、わたしはまたフトンのなかで研究することを開始した。快感というなら、どんな種類の快感であるかを継続して研究した。快感、快感とわたしは意外にもこの問題に対してのみ興味をおぼえた。
 妻は勿論わたしをいつも監禁しておく同然にしてきた。わたしに不平があろうはずがない。そんななかにも、わたしはその快感ということの有無を体験したかった。
 わたしは妻の夜の外出のすきに乗じて外へでた。わたしは町で、わすれてしまわずにもって出てきた銀貨を紙幣にかえる。5円にもなる。それをポケットにいれて、わたしは目的をうしなってしまわんがために、いくらでも町をうろついた。ひさしぶりに見る町はほとんど驚異にちかかろうほど、わたしの神経を興奮させなくてはおかなかった。わたしは今すぐに疲労してしまった。しかしわたしはガマンした。そして夜がふけるまで、わけがわからないまま、この町あの町に志向なくさまよった。カネは勿論一銭もつかわなかった。カネをつかう何の念頭もでなかった。わたしはすでにカネをつかう機能を完全に喪失したようだった。
 わたしは果然疲労にこれ以上たえることがむずかしかった。わたしはかろうじてわたしの家を見つけた。わたしはわたしの部屋に行こうとすれば妻の部屋を通過しなければならないことを知って、妻に来客がいるかいないかを心配しながら障子のまえで少し気まずくセキを一度したが、これはまた、あまりにねたみがましく障子があきながら、妻の顔とその背後にみなれない男子の顔がこちらをながめるのだ。わたしは突然にこぼれおちるあかりに目がまぶしく、少しもじもじした。
 わたしは妻のまなじりを見えなかったのではない。しかし、わたしは知らぬ体するすべのほかになかった。なぜ?わたしはどうあろうとも、妻の部屋を通過しなければならないのだから………
 わたしはフトンをひっかぶった。なによりも、足がいたくてたえることができなかった。フトンのなかでは、胸がむかむかして気絶しそうだった。あるくときは気づかなかったのに、息がきれる。背につめたい汗がサッとにじみでる。わたしは外出したことを後悔した。こんな疲労をわすれて早くねむりが来たら良い。ひと眠りよく眠りたかった。
 しばらくの間も、ななめにうつぶしていたが、少しずつどくどくする胸の動悸がしずまる。それだけでも、ひとまず生きているようだ。わたしは体をねがえって、しゃんと天井を向いて横になり、すっと-足をのばした。
 しかしわたしは、またもや、胸の動悸を避けることができなかった。向こうの部屋からその男子の、わたしの耳にも聞こえないくらいひくい声音でささやく気配が、障子のすきまに伝わってきていたのだ。聴覚をもっと鋭敏にするためにわたしは目をあけた。そして息をころした。しかし、そのとにはもう妻と男子はすわっていた座をパタパタとはらい、立ちあがって、服と帽子身につける気配がするようだが、つづいて障子があいて、靴のかかとの音がして、そして庭におりたつ音がどしんと出ながら、あとをしたがう妻のゴム靴の音が二、三のあしどりサッサッとして、つつと出もするうちに、人の足おとが大門の内側に消えた。
 わたしは妻のこんな態度を見たことがない。妻はどんな人とも決してささやくはずがない。わたしは奥の部屋でフトンをかぶって横になっている間にも、時に酒に酔って舌がよくまわらない来客たちの談話はたまに聞きのがすことがあっても、妻のたかくもひくくもない話し声はかつてひと言も聞きのがしたことがない。たまにわたしの耳にさわる声があっても、わたしはそれが泰然とした声音でわたしの耳に聞こえたという理由で十分に安心ができた。
 そのようであった妻のこんな態度は必ずそのなかに大抵でない事情があるらしく考えられて、わたしの心は少しものたりなかったが、しかしそれよりも、わたしはややもすると疲労して、きょうだけはフトンのなかでなにごとも研究しないことにかたく決心し、ねむりを待った。ねむりはなかなか来なかった。大門の内で、出ていった妻もちょっとどうしてもどって来なかった。そうする内に、有耶無耶にわたしはねむりに入ってしまった。夢がちりぢりに終をつかむことができない町の風景を依然としてへめぐった。
 わたしはひどくゆすぶられた。来客を見おくってかえってきた妻がねむったわたしをつかみ、ゆするのだ。わたしは目をぱっとあいて妻の顔をみあげてみた。妻の顔には笑みがない。わたしはちょっと目をこすって妻の顔をつぶさに見た。怒気がまなこにうかび、うすいくちびるがわなわなふるえる。なかなかこの怒気がおさまるのはむずかしいようだった。わたしはそのまま目をとじてしまった。かみなりがおちるのを待ったのだ。しかし、すやという息が出つつ、するすると妻のチマのすその音が出て、障子がひらきしまりして、妻は妻の部屋にもどっていった。わたしはまた体をねがえりうって、フトンをひっかぶって使うだけでは、かわずみたいにうつぶせになり、うつぶせになっては、腹がすいたうちにも、きょうの夜の外出をもう一度後悔した。
 わたしはフトンのなかで妻に謝罪した。それはおまえの誤解だと………
 わたしは事実夜がすっかりふけただろうとばかり思っていたのだ。それが、おまえの言うように十二時前であったのはわたしはほんとうに夢にも知らなかった。わたしはあまりに疲労していた。ひさしぶりにわたしはあまりに多く歩いたのがまちがいだ。わたしのまちがいと言うなら、まちがいはそのことのほかにはない。外出は、なぜしたのかって?
 わたしはそのまくらべにおのずとあつまった5円のカネをだれにでもよいから、あげてみたかったのだ。それだけだ。しかしそれも、わたしのまちがいであるというなら、わたしはそのようにしておこう。わたしは後悔しているではないか?
 わたしがその5円のカネをつかいつくすことができていたら、わたしは十二時以前に家にもどってくることができなかったのだろう。しかし町はあまりに混雑して、人はあまりにもひしめきあった。わたしはどの人をつかまえてその5円のカネをさしだすべきか、道筋をつかむことができなかった。その内に、わたしは余地なく疲労してしまって、しちゃっていたのだ。※

※訳注 ここでは日本語の「してしまう」にあたる異なる二語、버리고と말았던が出現しているので、辞書的に直訳すれば「疲労してしまって、しまっていたのだ」ともなる。前者の「しまう」にあたる語は客観的な事実としてそうなってしまったという意味の「しまう」であり、後者はより心理的強調のある「しまう」である。これを差異化して訳すことはむずかしい。さらに後者には日本語の「ていた」フランス語ならimparfait(線過去とも訳される)で訳されるであろう時制、回想過去と呼ばれる時制がもちいられている。口語をまじえることで文の雰囲気がこわされることを承知でこう訳した。これらのニュアンスを汲んでもらいたい
 
 わたしはなによりも、ちょっと休みたかった。横になりたかった。それでわたしはやむをえず、家へもどったのだ。わたしの心づもりでは、夜がかなり遅いだろうとばかり思っていたが、それは不幸にも十二時前であったというのは、実にまずいことだ。すまないことだ。わたしはいくらでも謝罪してもよい。しかし、終始妻の誤解をとけなかったとすれば、わたしがこんなにまで謝罪する甲斐は、それではどこにあるか?情けなくあった。
 一時間の間、わたしはこのようにイライラしてふるまわなければならなかった。わたしはフトンをサッとめくってしまって、おきあがり、障子をあけて、妻の部屋によろよろ駆けていったのだ。わたしにはほとんど意識というものがなかった。わたしは妻のフトンのうえにうつむけになりつつ、ズボンのポケットのなかからそのカネ5円をとりだし、妻の手ににぎらせたことをかろうじて記憶するだけだ。
 あくる日、眠りがさめたとき、わたしはわたしの妻の部屋、妻のフトンのなかにいた。これはこの33番地で暮らすことを開始した以来、わたしが妻の部屋で寝たいちばんはじめだった。
 日があかり窓にはるかに高かったけれど、妻はすでに外出して、もうわたしの横にいない。いや!妻はゆうべわたしが意識をなくした間に外出したのかもしれない。しかし、わたしはそんなことを調査したくなかった。単に全身がおもたいのが、手指ひとつうごかす力さえなかった。ふろしきより少しちいさい面積の日がまばゆい。そのなかから、数えきれないほこりが恰も微生物みたいに乱舞する。鼻がカッとつまるようだ。わたしはまた目をとじ、フトンをすっぽりひっかぶって、昼寝を眠りに着手した。しかし鼻をかすめる妻の体臭はかなり挑発的だった。わたしは体をいくたびいくたびこすり、よじりながら、妻の化粧台にならんだあの種類色とりどりの化粧品の瓶たちとあの瓶たちがフタをぬいたときただよった匂いをたどるために、なかなかねむりに入らないのをわたしは何とかすることもできなかった。
 ガマンできずわたしはついにフトンをけとばして、がばとおきあがり、わたしの部屋に行った。わたしの部屋にはみんな冷めきったわたしの食事がきちんとおいてあったのだ。妻はわたしのエサをここにみな与えて出かけたのだ。わたしはまず、腹が空いた。ひとさじを口にすくいいれたとき、その触感は実にあまりにも冷炭と同じくつめたかった。
 わたしはサジをおいて、わたしのフトンのなかへ入っていった。ひと晩を留守にしていたわたしの寝床は依然としてよろこばしく、わたしをむかえてくれる。わたしはわたしのフトンをかぶって、今度には実にのびのびとひとねむりねむった。うまく-
 わたしが眠りを覚めたのは、電灯がともったあとだ。しかし妻はいまだもどってこなかったみたいだ。いや!もどってきて、また出ていったかもしれない。しかし、そんなことを三考して、どうするのか?
 精神※がいっそう出た。わたしはきのうの夜のことを考えてみた。そのカネ5円を妻の手ににぎらせてたおれたときに感じることができた快感をわたしはなんであるとも説明することができなかった。しかし、来客たちがわたしの妻にカネおいていく心理や、わたしの妻がわたしにカネおいていく心理の秘密をわたしはわかったようで並大抵のうれしさではない。わたしは内ににんまり笑ってみた。こんなことを知らないできょうまですごして来たわたし自身がどうしてこっけいに見えるかわからない。わたしは肩踊り※が出た。

 ※訳注 気がついた、意識がもどったの意
 ※訳注 肩踊り、原語어깨춤オッケチュムで動画などを検索してほしい。うれしいときに肩だけをうごかして表現するようである
 
 したがって、わたしはまた、きょうの夜にも外出したかった。しかし、カネがない。わたしは昨夜にそのカネ5円をいっぺんに妻にあげてしまったことを後悔した。またあの貯金箱を便所にもって放りこんでしまったことも後悔した。わたしはわけもなく失望しつつ、習慣みたいにそのカネ5円が入っていたわたしのズボンのポケットに手を入れ、一度かきまわしてみた。意外にも、わたしの手ににぎりとるものがあった。2円のほかにない。しかし、おおければ味わいがちがう。いくらかであったらよい。わたしは-それくらいのことが並大抵のありがたさでない。
 わたしは元気をえた。わたしはその着たきりみな着古したコールテンの洋服をひっかけて、空腹なことも身なりよくないこともみなわすれてしまって、羽ばたきをひながらまた町へ出かけた。出かけながら、わたしは庶幾(こいねがわくは)時間が矢のように、十二時がさっさとすぎてしまえばと、焦燥感をもやした。妻にカネをあたえて、妻の部屋でねてみるのは、いつまででもよかったけれど、万一まちがって十二時前に家にもどっていって、妻の射る目つきにうたれることは、それは大抵おそろしいことにちがいなかった。わたしは日暮れまで、みちばたの時計をうかがいみながら、また志向なく彷徨した。しかし、この日はなかなか疲労しなかった。単に時間がややもすると遅く行くようにもどかしかった。
 京城駅の時計が確実に十二時をすぎたのを見たあとに、わたしは家へ向った。その日はその一角の大門に妻と妻の男子が話して立つのにでくわした。わたしは知らなかった体でふたりのそばをすぎてわたしの部屋へ入っていった。つづいて妻ももどってきたら、来ては、この夜中に平生したことない掃き掃除をするのだ。少しあってから、妻が横になる気配を聞くやいなや、わたしはまた障子をあけ妻の部屋に行き、そのカネ2円を手にギュッとにぎらせ、そして-とにかくその2円をきょう夜にもつかわないでそのまま持ってくるのが実に異常※であるように妻はわたしの顔を何度でもぬすみ見て-妻はとうとうどんなことばもなくわたしを自分の部屋にねかせてくれた。わたしはこのうれしみを世上の何ともかえたくなかった。私は安らかによく寝た。

  ※訳注 異常と李箱の読みがともに이상イサンであることはよく知られるが、頭音法則を適用せず、리상リサンと表記する例もある
 
 あくる日も、わたしがねむりが覚めたときは、妻は見えなかった。わたしはまた、わたしの部屋に行き、疲労した体が昼寝を寝た。
 わたしが妻にゆすられ目ざめたときは、またも灯がともったあとだった。妻は自分の部屋でわたしに来いというのだ。こんな日はまたはじめてだ。妻はたえまなく顔に微笑をうかべて、わたしの腕をひくのだ。わたしはこんな妻の態度のうら面にひととおりでない陰謀がかくれているのではないかという、いくらかの不安を感じざるをえなかった。
 わたしは妻の言うとおりに妻の部屋にひっぱられた。妻の部屋にはゆうべの食事がこぢんまりとととのえられていたのだ。考えてみると、わたしは二日を食いはぐれていた。わたしはいま、空腹だったことさえ、曖昧模糊とわすれてしまって、ぐずぐずしていた次第だ。
 わたしは考えた。この最後の晩餐を食べおえるやいなや、かみなりがおちても、わたしはいっそ後悔しないだろうことを、事実わたしは人間の世上があまりにも退屈で、ガマンできなかった次第だ。あらゆることが面倒でわずらわしかったが、しかし、不意の災難というものはたのしい。
 わたしは心をゆっくり置いて、しずかに妻とむかいあい、この駭くべき夕食を食べた。わたしたち夫婦は話すはずがなかった。飯を食べたあとにも、わたしはことばがなく、そのままやおらおきあがり、わたしの部屋にむかっていってしまった。妻はわたしをひきとめなかった。わたしは壁にもたれてすわり、タバコを一本吸い噛み、そしてかみなりがおちるつもりなら、さっさとおちろ、と待っていた。
 しかし、かみなりはおちなかった。緊張が次第にゆるみはじめる。わたしはいつしかきょうの夜にも外出することを考えていた。カネがあったら、と考えていた。
 しかし、カネは確実にない。きょうは外出しても、のちにきたる何のよろこびがあるか。わたしは前がそのままめまいした。わたしは火が出て※フトンをひっかぶり、こっちへごろり、あっちへごろり、ころがった。いま食べた飯がのどにしきりにつきあげてくる。吐き気がした。
 
 ※訳注 腹立たしいの意

 空からいくらでもよいので、なぜ紙幣がにわか雨みたいに、激しくふらないのか、それがただ限なくうらめしく、かなしかった。わたしはこのほかにカネを求めるどんな方法も知りえなかった。わたしはフトンのなかで少し泣いたようだ。カネがなぜないのかと言いながら………
 そうしたのに、妻がまたわたしの部屋に来た。わたしはびっくりおどろき、おそらくいまやっとカミナリが落ちるみたいだと息をころしてガマガエルの様にうつぶしていた。しかし、おだやかだった。やさしかった。妻はわたしがなぜ泣くのかをわかるというのだ。カネがなくてそうするのでないかと。わたしはおどけて、びっくりおどろいた。どのようにこうして、人の心をあかるく-ことごとくうかがえるのかと思って、わたしは一方でひそかにおそれも出ないことはなかったが、あのように言うのを見れば、おそらくわたしにカネをやる考えがあるようだ。万一そうなら、どんなにかよいことだろうか。わたしはフトンのなかに、こうべもあげなくて-妻のつぎの挙動をまっていたら、さァ-とわたしのまくらべにおとすのは、そのひろやかな音響に見て紙幣にまちがいなかった。そしてわたしの耳にあてて、きょう日ときのうよりもちょっとおそく帰ってきてもよいとささやくのだ。それはむずかしくない。まずそのカネがなによりもありがたくて、うれしかった。
 とにかく出かけた。わたしは少し夜盲症だ。それでできるだけ、あかるい通りをえらんで歩きまわることにした。それから、京城駅一、二等待合室の一隅のティールームに立ちよった。それはわたしにはおおきな発見だった。そこはまずだれも知る人がこない。仮令来たとしてもすぐ出ていくので良い。わたしは毎日ここ来て時間をすごそうと内に考えておいた。
 第一ここの時計がどの時計よりも正確であろうことがよかった。うかつにまずい時計を見て、それを信じて時間前に家にもどったりして大鼻を痛めてはならない。※

※訳注 大目玉を食らうの意味。身体表現を同じように用いていることがおもしろい

 わたしはボックスになにもないところと向きあいすわり、よく沸いたコーヒーを飲んだ。慌しいなかに旅客たちはそれでも一杯のコーヒーがたのしみとみえる。ささっと飲んでなにかを少し考えるように、壁も少しみつめてから、すぐ出ていってしまう。うらさびしい。しかし、わたしにはこのさびしい雰囲気が町のティールームたちのその手にあまる雰囲気よりは切実で心に入った。ときおり聞こえるするどい或はいさましい汽笛音がモーツァルトよりももっとちかしい。
 わたしはメニューに記された数種類にもならない料理の名前を下から読み上から読み、いく度も読んだ。これらは、ちらちらしたものがわたしのおさないときの、友人たちの名前と似たところがあった。
 そこにどれくらいわたしがひさしくすわったのか、精神がいったりきたりするうちに、客がそっとまばらに-なりながら、あちらこちら、かたづけ始めるのを見ると、おそらく閉まる時間になった模様だ。十一時が少しすぎたかな。ここも決してわたしの安住の地ではないな。どこにいって十二時をすごそうか、あれこれ心配をしつつ、わたしは外へ出た。雨がふる。わたしに困苦をさせるつもりだ。そうかといって、こんな怪異な風貌をして、このホールにぐずぐずすることはできず、えいッ、雨にあたるならあたっただ、とわたしはそのまま出てきてしまった。たいへんにさむくて、ガマンできない。コールテンの服がぬれはじめたが、あげくには、なかのなかまで沁みいりつつ、ねちねちする。雨にあたって行きながらでも、ガマンできるところまで、町をあるきまわって、時間をすごそうと思ったが、いまではさむくて、これ以上はもっとガマンできない。悪寒がしきりにおきつつ、歯がコチコチぶつかりあう。
 わたしはあゆみをいそがせながら考えた。きょうのような天気がわるい日も妻に来客があるだろうか、ないだろうさという考えがわくのだ。家へ行かなければ。妻に不幸にも来客があるなら、わたしの事情を話そう、事情を言えば、このように雨がふるのを目で見てわかってくれるだろうさ。
 いそいで来てみると、しかし、妻には来客があった。わたしはとてもさむくて、ジメジメしていて、うっかりとノックするのをわすれた。
 それでわたしは、見ると、妻が少し好きになれないものを思わず見た。わたしは、ひょこひょこ跡のような足跡をつくりながら、タントンタントン妻の部屋をふみしめて、そしてわたしの部屋へ行ってびしょぬれた服をぬいでしまって、フトンをかぶった。ぶるぶるぶるぶる、ふるえる。悪夢が漸々もっと甚だしく入ってくる。依然として地がおちこんでいかんばかりのようだった。わたしは意識をなくしてしまい、しまった。※
 
 ※訳注 ここも、前出の二つの「しまう」にあたる語がくりかえされている
 
 あくる日、わたしが目をさましたとき、妻はわたしのまくらべにすわって、大分心配そうな顔だ。わたしは感冒になった。依然とうそさむく、さむくてまた頭がいたくて、口によだれがたまるのが冷え冷えしつつ、足腕がだらりとのびて気だるい。
 妻はわたしの頭にすっとあててみるに、薬をのまなければと言う。妻の手がひたいにヒヤッとするのを見ると、身熱がかなりの模様だけれど、薬を飲むなら解熱剤を飲まないと、と言って内心考えをしてると、妻はあたたかい水に白い精製薬四個をくれる。それを飲みひとねむりぐっすり-ねむってしまえば、大丈夫なのだ。わたしはぺろりと、うけとり飲んだ。苦味があるのが、斟酌としてはたぶん、アスピリンであるらしい。わたしはさらにフトンをかけて一挙にそのまま死のように眠りが入ってしまった。
 わたしは鼻水をずるずるしながら、おおくの日を病んだ。病むうちに、たえずその錠剤を飲んだ。そのうちに、感冒もなおった。しかし依然として、ニガキ※みたいに苦かった。
 
 ※訳注 胃腸薬にも用いられる苦味のつよい木
 
 わたしは次第にまた外出したい考えが出た。しかし妻は私にむかって外出するのをやめろとさとすのだ。この薬を日ごと飲んで、そしてしずかに横になっていろというのだ。いたずらに外出をするからこのように感冒が入って私に困苦をさせるのではないかと。それもそうだ。それじゃ、外出をしないと盟誓して、その薬を連服して体を少し見てみようとわたしは考えた。
 わたしは日ごとフトンをひっかぶって、夜にも昼にもねむった。ことのほか夜にも昼にもねむくてたまらないのだ。わたしはこのようにねむりがしきりに来るのは、わたしが体がはるかに丈夫になった証拠だとかたく信じた。
 わたしはたぶん一月もこのようにすごしたようだ。わたしの頭とひげがどうもずいぶん伸びてむさくるしく、ガマンができなくて、わたしの鏡をちょっと見ようと妻が外出したすきに乗じて、わたしは妻の部屋に行って妻の化粧台のまえにすわってみた。相当だ。ひげと頭が実に散乱していた。きょうは理髪をちょっとしようと考えて、考えがてら、あの化粧品の瓶たちのフタをとって、あれこれ嗅いでみた。しばらくの間わすれてしまっていた香気のなかからは体がいくたびもよじれるような体臭が伝わって出てきた。わたしは妻の名を心のうちでだけ一度呼んでみた。「蓮心(ヨンシミ)」※と………

 ※訳注 蓮心はyonshimと読むが、親愛をあらわすiをつけてヨンシミとなる。現代ではアイドルなどの名前にもつけて呼ばれるそうである
 
 ひさしぶりに虫メガネあそびもした。鏡あそびもした。窓に入った日差しが並大抵のあたたかさではなかった。考えれば、五月ではないか。
 わたしはおおきく伸びを一度ひろげて、妻のまくらを下にしいて、どさっと寝ころんでは、こんなにも平安でもたのしい歳月を神さまに思いきり自慢してあげたかった。わたしは実に世上のなにごととも交渉をもたない。神さまもたぶんわたしを称賛することも処罰することもできないようだ。
 しかしつぎの瞬間、実に世上にも異常らしいことが目にうかぶ。それは催眠薬アダリンの匣だった。わたしはそれを妻の化粧台の下から発見して、それは恰もアスピリンみたいに見えると感じた。わたしはそれをあけてみた。きっかり四個が空いていた。
 わたしはきょう、朝に四個のアスピリンを飲んだのを記憶していた。わたしはねむった。きのうも、おとといも、さきおとといも-わたしはねむくてガマンができなかった。わたしは感冒がすっかり出ていったのだけれども、妻はわたしにアスピリンをくれた。わたしがねむりが入った間に、となりで火が出たことがある。そのときにもわたしは寝ていて、気づかなかった。このようにわたしはねむった。わたしはアスピリンと解して一月間をおいてアダリンを飲んできたのだ。これはどうも、あんまりひどい。
 またたく間にめまいがしたが、あやうくわたしは気をうしなうところだった。わたしはそのアダリンをポケットに入れて家を出た。そして山をもとめてのぼって行った。人間の世上のなにものも見るのがイヤだったのだ。あるきながら、わたしはなるべく妻に関係することは一切考えないように努力した。道で気をうしなうことはたやすいからだ。わたしはどこでも陽あたりが直(よ)いところをひとつえらんで、席をとってすわり、徐々に、妻に関して研究するつもりだった。わたしは道ばたの石倉※、咲いた光景も見られなかった散ったレンギョウの花、ひばり、石ころも子をうむ話※、こんなことばかり考えた。幸いに道ばたでわたしは卒倒しなかった。
 
 ※訳注 ここは訳に自信が持てない。原語は돌창で、溝と訳す本もある。돌は固有語で石だが、창はおそらく漢字だろうが槍、倉、窓など、いくつか候補がある。ここでは倉と解したが、辞書や画像検索にも出てはこない。正しい意味をご存知の方がいればご教示ねがいたい
 ※訳注 石ころが子を産む話というのは、ネットで調べた限りでは、本邦では柔らかい巨石から小さな石が生じることがあり、安産祈願として信仰を集めたとあり、似たような話かと思われるが同様のものか詳細不明。

 そこはベンチがあった。わたしはそこに正座して、そしてそのアスピリンとアダリンに関して研究した。しかし、頭がどうも混乱して考えが体系をなさない。たった五分ももたず、わたしはもう面倒な考えがさっと入って、悪心(あくしん)が出た。ポケットからもってきたアダリンをとりだし、のこった六個をいっぺんにバリバリ噛み飲んでしまった。味はこっけいだ。そうしてから、わたしはそのベンチのうえに横にながく横たわった。どんな考えでわたしがそんなふるまいをしたのか?わからない。ただそうしたかった。わたしはそこで、そのまま深くねむりが入った。夢うつつにも、岩のさけめにながれる水音がちょろちょろと耳にいつまでもぼんやり入ってきた。
 わたしがねむりをさめたときは、日が明るく照らしたあとだ。わたしはそこで一昼夜をねむったのだ。風景がそのまま黄色くみえる。そのなかにもわたしはイナヅマみたいにアスピリンとアダリンが考えに出た。
 アスピリン、アダリン、アスピリン、アダリン、マルクス、マルサス、マドロス、アスピリン、アダリン。
 妻は一月間アダリンをアスピリンだとだましてわたしに飲ませた。それは妻の部屋からこのアダリンの匣が発見されたことに推して、証拠があまりにも確実だ。
 何の目的で妻はわたしに夜にも昼にもねむらせなければならなかったのか?
 わたしに夜にも昼にもねむらせておいて、そして妻はわたしがねむる間にどんなことをしたのか?
 わたしを少しずつ少しずつ殺そうとしたのだろうか?
 しかし、また、考えてみれば、わたしが一月にわたって飲んできたものは、アスピリンであったのかもわからない。妻は何か心配することがあって、夜になればねむりよく来なくて、本当に妻がアダリンを使用したのではないか、そうなら、わたしは実にすまない。わたしは妻にそうしておおきな疑惑をもったということは実にざんねんだった。
 わたしはそうして、いそいでそこから降りた。下半身がフラフラふりまわりながら、クラクラしたのをわたしはようやく家に向ってあるいた。八時ちかかった。
 わたしはわたしのまちがった考えをなにもかも告げて、妻に謝罪しようとするのだ。わたしはあまりいそいで、ついまた言葉をわすれてしまった。
 ところが、これは実にあまりに大きなこと起こった。わたしはわたしの目をとおしては絶対に見てならないものを、とうとうはっきり見てしまったのだ。わたしはドサクサまぎれに思わずさっと障子をしめて、そして眩気症が出るのを鎮静させるため、しばらくこうべをうつむいて目をつぶり、柱に付いて立とうとすると、一秒の余裕もなく、さっと障子がふたたびひらいたが、身なりをときひらいた妻がだしぬけに身をおしだしつつ、わたしの胸ぐらをつかむのだ。わたしは思わずめまいがして、そのあたりにそのままあお向けにたおれこんだ。ところが、妻はたおれたわたしの上にのしかかり、わたしの肉をむやみにかじりつくのだ。いたくて死にそうだ。わたしは事実反抗する意思もチカラもなく、そのままばったり腹ばいになっていながら、どのようになるか見ていようか、あとには男子がでてくるようだが、妻をひとかかえにむんずとかかえもって、部屋のなかに入っていくのだ。妻はどんな言葉なく、おとなしくそのように抱かれ、もどっていくのがわたしの目に並大抵の憎らしさではない。
 妻は「おまえ、夜どおし行って盗賊でもしに出かけるのか、女あそびしに出かけるのか」と痛罵だ。それは実にあまりに忿懣やるかたない。わたしはあっけにとられてポカンとし、いっこうに口がきけなかった。
 おまえは、それこそわたしを殺害しようとしていたのではないかと声にいっぺんワッとさけんでみたかったが、そんなあいまいな声をうかつに口の外に出したとしたら、どんな禍を見るやらわからない。いっそくやしいけれど、だまっているのが、先ず上策であるらしく考えが入るので、わたしはこれはまたどんな考えでそうしたのやら知らないが、トントンはらって立ちあがり、わたしはズボンのポケットのなかにのこったカネ何円何十銭をそっととりだしては、ひそかに障子をあけて、そっと敷居のところにおいて出て、そのままひと息にかけ足をうって出てきてしまった。
 いくたび自動車にひかれそうになりながら、わたしはそれでも京城駅にやってきた。空席とむきあってすわって、この苦々しい口触りをすすぐために何でも口なおしをしたかった。
 コーヒー、良い。しかし、京城駅のホールに一歩を入れたとき、わたしはわたしのポケットにはカネが一文もないのを、そのことをうっかりわすれていたのに気づいた。また、めまいがした。わたしはただ、しおたれてもじもじしながら、どうにかするすべをわからないばかりだった。気がぬけた人みたいにひたすらこちら行ったりあちら行ったりしながら………
 わたしはどこからどこへ、むやみにあてもなくあるいたのか、ひとつもわからない。ただ数時間後にわたしが三越屋上にいるのに気づいたときは、ほとんど真昼だった。
 わたしはそこに、どこでもすわりこんで、わたしの育ってきた二十六年を回顧してみた。朦朧たる記憶のなかからは、これといったどんな題目もあわらになって出てこなかった。
 わたしはまた、わたし自身に問うてみた。おまえは人生にどんな欲心があるのかと。しかし、あってもなくても、そんな返答はするのがいやだった。わたしはほとんどわたし自身の存在を認識することさえもむずかしかった。
 腰をまげて、わたしはただ金魚をのぞきみていた。金魚は実によくおおきかった。ちいさいやつはやつなりに、おおきいやつはやつなりに、みな-生き生きしている見た目がよかった。うえから差す五月の日差しに金魚たちは入れものの底に影を垂らした。ヒレはひらひらハンカチをゆするマネをする。わたしはこのヒレの数をかぞえてみることもしながら、まげた腰をなかなか伸ばさなかった。背があたたかい。
 わたしはまた、灰濁の町をみおろした。そこでは疲労した生活が、そっくり金魚のヒレみたいにふにゃふにゃひっかいていた。目に見えないねちょねちょした網にもつれてぬけだせない。わたしは疲労と空腹のためにたおれかかる体をひきずって、その灰濁の町中にまじりこませないわけにもいかないと考えた。
 出てから、わたしはまたふと考えてみた。この足どりがいま、どこへ向って行くのかを………
 そのとき、わたしの目のまえには、妻の首ったまがカミナリみたいに落ちてきた。アスピリンとアダリン。
 わたしたちは、たがいに誤解しているんだよ。まさか妻がアスピリンの代りにアダリンの定量をわたしに飲ませて来たのか?わたしはそれを信じることができない。妻が大体そうする理由がないだろうが、それならわたしは日夜を明かしつつ盗賊を女あそびをしたか?本当にちがう。
 わたしたち夫婦は宿命的に足があわないびっこなのだ。わたしや妻や、わたしの挙動にロジックをつける必要はない。弁解する必要もない。事実は事実として、誤解は誤解として、そのまま果てなく足をひきずりながら、世上をあるいて行かねばならないのだ。そうでないだろうか?
 しかしわたしはこの足が妻のもとへもどっていけば正しいのか、それだけは分別することがちょっとむずかしかった。行かねばならないか?それではどこへ行くのか?
 このときトゥーと正午のサイレンがなった。人びとはみんな両腕※をひろげ、ニワトリみたいにパタパタするようで、あらゆる瑠璃と鋼鉄と大理石と紙幣とインクがぶくぶく沸いて喧騒におののき、というような刹那、それこそ絢爛を極めた正午だ。

 ※訳注 原語활개ファルゲは両腕の意味のほかに翼の意味もある。タイトルの날개ナルゲと発音も似る
 
 わたしはにわかに、ワキがかゆい。あァ、それはわたしの人工のつばさが生えていた跡だ。きょうはないこのつばさ、頭のなかでは希望と野心の抹消されたペイジがディクショナリーをわたっていくかのように光った。
 わたしは歩いていたあゆみをとめて、そして、どれ、一度このようにさけんでみたかった。

 つばさよ、また生えろ
 飛ぼう、飛ぼう、飛ぼう、一度だけもっと飛ぼうよ
 一度だけもっと飛んでみようよ

 


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