#182 苦しいからこそ「自立した大人になる」
さて、今日のテーマは「苦しいからこそ自立した大人になる」です。
大人になると自然と自立していきます。
つまりそれは「自分の考えで自分で決める」ということです。
ところが、僕たちは周囲と比較して物事を考えてしまうことがあります。
そのような状況は果たして自立していると言えるんでしょうか。
物事の判断軸を考えたときに自分自身が「自立して」考えられているか。
今日はそんな迷える大人の話です。
自己紹介です
お題の話の前に、自己紹介します。
僕は、リハビリテーション病院で働く作業療法士兼、中堅管理職です。
日々のリハビリテーションの実践はもちろんですが、中堅管理職として管理と現場の間をつなぐ役割を担っています。
このアカウントでは以下のことについてを書いていきます。
・病院での働き方
・日常生活での健康の考え方
・ストレスマネジメント
・作業療法のもろもろ
・相談を受けたこと
・臨床で考えたこと
・日々、感じたこと
これらのことについて、僕なりに解釈して記録として残していきたいと思います。
それでは本題に入っていきましょう。
自立できない大人たち
日々の生活の中で、自分ってどれくらい自立しているかって考えたことありますか。
朝起きました。
朝ごはんは誰が準備しましたか。
通勤します。
電車は誰が動かしてますか。
出社しました。
今日の会議は誰が準備してますか。
僕たちは、周囲に人に支えられながら生きています。
僕たちが日常で行っていることを、完全に自立して過ごすことは難しいことです。
だからこそ、僕たちの判断軸は常に他者依存になりやすいです。
「あの人は私たちより楽してる」
「あの人はできるのになんで私はダメなのか」
「なんで私は手伝わないといけないのか」
「あの人のせいで」
これらのクレームは、すべて「他者と自分の比較」から生まれています。
他者と比較することで自分の立ち位置を考える。
これ自体がポジティブに働くこともあれば、その考え方によって大きなストレスを抱える人もいます。
他者依存の考え方をついしてしまうのは、先ほども述べたように、僕たちの日常が自分たちの力で動いていないことを知っているからこそです。
人との関わりの中で生きていると、どうしても他者の行動や言動が目につき、それが引き金となって、「では自分は?」と考えてしまうんですね。
とても自然なことです。
でも、それってとても苦しくないですか。
何か仕事をしようとしても、価値判断は他者との比較から生まれるということは、「人より良いか悪いか」という判断方法になります。
この考え方の落とし穴は「誰かが損をする考え方」だと言えます。
「他者の方が悪い」と自分が考えて、実際に実害がなかっとしても、その負の感情は残っているので、そう考えたあなたはその人のことをネガティブに捉えるようになります。
それは、他者にとってはデメリットです。
ただの考え方の問題と言ってしまえばその通りですが、僕たちは実際にこうやって問題を大きくして、後で自分の首を絞めることになります。
自立する大人たち
冒頭にも述べましたが、「自立する」ということは「自分の考えで自分で決める」ということです。
他者との比較ではなく、「自分がどう思うか」に対して注視していくことが大事になります。
自分自身の軸だけで考えるということは、
責任も行動も自分の決断によるものということです。
だから、成功しようと失敗しようと、それがネガティブかも含めて自分が考えればいい話です。
例えば、
Aチームの仕事とBチームの仕事で、
Aチームが忙しいから、Bチームが手伝ったとします。
自立しない考え方では、
「Aチームのせいで忙しくなった」とBチームは思うでしょう。
自立した考え方なら、
「Aチームの仕事を手伝うこともBチームの仕事」と捉えて黙々と仕事ができます。
この2つの考え方の大きな違いは、
「目の前の仕事を自分ごとと捉えるかどうか」という点で大きく違いますし、どちらの考え方がパフォーマンスが高いかは十分想像がつきます。
そこには「相手はどうなのか」などの他者比較は存在しません。
「自分がやるかどうか」ただそれだけです。
自立した大人になるとはそういうことです。
「自分の考えで自分で決める」ということです。
苦しい時に、自分が「自立した大人であるか」を振り返ってみると、何か突破口が見えるかもしれません。
今日は以上になります。
頑張るあなたを応援しています。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
読んでいただいた方のヒントになれば幸いです。
よろしかったら、スキ&フォローをよろしくお願いします。
ではまた。
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