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其の一、「時空」にて。物の世界と精神。其の二、物と物理 其の参、朝の出来事。妻との会話。


其の一、「時空」にて。物の世界と精神。

時間と空間、ぼくらの意識はそれらを外側から認識している。
時空。物から広がる空間と物に向かって収縮して行く時間。
ぼくらが生きていると思っている3次元空間。それが時空だ。

物はどのようにして出来ているのだろうか。



生駒高原の林檎🍎


まずはイメージしやすい白木海月さんの記事より💫🍎💫


白木海月さんの記事より。
空間は物から拡がっている💫💫💫


物を細かくしていくと素粒子まで分解されるというのは今の物理学の常識であるが、反転した見方では素粒子から物は投影されていると考える。
上の画像を見てほしい。林檎の内部はぼくらには見えないが、その下の画像のようにスピリットが内部から意識を6方向に放射して物が出来上がる。このスピリットこそが素粒子の正体だ。魂と読んでもよいもの。








白木海月さんの記事はこちら↓
今回も深いです🌟

〈結晶🌟エレメンタルスピリット🌟地上の星〉



さて、空間は物の内から放射され拡がり、空間の外から物の中心に収縮して行く流れをぼくら人間は時間と感じている。
その物が溢れ時間が流れる3次元世界にぼくらは意識を入れ込んでいるわけだ。
(時間というのは過去から流れるもの未来から流れるもの今この瞬間、そしてあちらの世界の空間化した時間(永遠の時間)。色々とあるがこの物に向かって収縮して行く方向性が時間であるという事を今ぼくは全力で思考中である。

ヌーソロジーでは空間は物からの拡がり。
時間は物へ収縮して行く方向性。
その時間と空間が3次元空間を作り上げる。

しかし、この3次元空間にあると思っている物は
こうして生成される過程をみるとただの物質ではない。〈エレメント=素粒子〉が根底で働いて無意識の世界が波打っているのだ。

ぼくら日本人は八百万の神々やアミニズム的思想が伝統的生活空間の中にまだ残っているのを感じられることも多いと思う。
このあたりのことは直感的にピンとくる方が多いのではないかな。
もっと言ってみると、この世界自体がエレメントの世界。霊の世界ということだ。
平面世界である3次元空間から身を引いてみる。
視覚野の平面世界に厚みという物は少しもない。
その平面世界の裏側にもこちら側にも〈エレメント=素粒子〉が渦巻いている。


林檎の内部は見ることが出来ない。
裏側も見ることが出来ない。
林檎の中がどうなっているか、
りんごの裏側がどうなっているか、
経験則にすぎないのだ。
本当はみなさんが「目」で見ている世界はこの画面そのまんまだと思っていい。
林檎を持った手は触感を感じる。重み、かさばり。これも時間を生じさせる感覚だ。



物に収縮して行く方向を人間の感覚は「時間」と感じる(しつこい😆😬💦)
物からの放射される方向性が空間を創る。



観察者の手前の物への視線は時空となり、
本来見えない裏側の視線(意識)が
〈本当の奥行き〉(無意識の世界、霊の世界、死後の世界)となる。



物からの矢印は空間の拡がり他者からの視線。
この空間に自分もいると思ってしまっているのがぼくら人類だ(本当はもう一つ上の視座の4次元にいる)。



ヌーソロジー提唱者、半田広宣氏は反転した意識で見る〈物とワタシ〉の関係を

·物と一つになる
·物の中に入る
·ここが物の中だ


と、表現する。
なかなか意識の世界、無意識の世界の表現というのは自分で表現するのも難しいし、他人が表現したものを理解するのも難しい。
ぼくもまだ理解の半ばにある。



真ん中の林檎
シンシュウゴールドを食べてみた。



ものという言葉には目に見える形のある物質や形のない意識や記憶、感情といったもの、目に見えるものと目に見えないものの両方を併せ持ったものであったりと、あらゆるものが含まれています。
物悲しい、もの寂しい、物足りない、もののあはれといった言葉はその場にある情景であったり空間をまるで自分自身のように感じている、なにか空間の中に自分が溶け込むような感性が感じられます。
日本人は昔からものを霊としてみる感性を持っているんですよね。

下記、ぼたん師匠の記事より





ぼくらの身体は物よりもっと複雑な構造を持っているが基本的にはこの〈エレメント=素粒子〉の放射から作られている事だろう。〈エレメント=素粒子〉と書いたが魂とも言える。ぼくらに魂があるように物にも魂がある。素粒子がありそこから広がる物自体の無限の世界があるのだ。




林檎の匂い、味わいは魂まで届く。
大変美味しゅうございました🍎✨


🌟🌟🌟さんがつ@月のうさぎさんの「時空」と「ある」と「いる」


下記リンクより🐇




🌟🌟🌟archfabbricさんの元素周期表Tシャツ💫💫💫


原子とは人間の精神を支えている空間である、ヌーソロジーではそういう話だ。
私達はふつう、この時空の中に物質があって、それを顕微鏡で覗くと原子の小さな粒があると思っている。しかしヌーソロジーではそうではない、時空の中に原子があるのではなく、原子があるから時空があるのだ

下記archfabbrickさん記事より



下記リンク記事より





こちらもarchfabbrickさんの記事より。
次元の交代化毎に現れる元素達!



書いて思考と心とからだと魂に落とし込む。
そこからさらに思考する。
そんなアウトプットな記事でした。
同じ事を色んな方の表現を参考にしているとある時ワッ!と理解がやってくる。ヌーソロジーを学ぶことはそんな瞬間が何度もあるのが醍醐味です💫💫💫
物の世界、物と人の世界、素粒子の世界、まだまだわからないことだらけだけどそこを探索していく旅は魂の旅路なり〜💫💫💫


「形あるものは 形ないものの分身である」

「カタカムナへの道」より
この本も面白い〜!!🌟


其の一、オシマイ🌟


其の二、物と物理


物理学の物理、英語で言うとPhysics フィジックス。
この語源はフィシス:魂を内在する自然



物理学とはこの宇宙とは、モノとは何かを追求していくもののようだ。
そしてその根源にはフィシスがある。フィシスとは〈魂を含む自然、魂としての宇宙とは何か〉だったのだ。


美は存在が霊的流動によって析出させる
宇宙の芸術的な表現であり
フィシスの面影
だからこそ私たちは美の中に宿るフィシスを求め、美に惹きつけられる。
美という字は大きな羊であり
神の子羊とはイエスのことを指す。
美は永遠の世界からフィシスの呼び声を届けるために私たちに遣わされた使者のようなものであり私たちが美の中にみているのは
本当の自分自身の姿なのかもしれない

下記ぼたんさんの記事より
今回2記事🙏🙏
ナマステ✨ナマステ✨




「中和から等化は見えないが等化の痕跡は分断されたものとして残る。それが物質である。」(ヌーソロジー)

「物質とはもともと光とともに愛によって織り綴られているもの」(シュタイナー)


「物質とは自己と他者に関係なく存在しているのではなく、自己と他者を隔てている距離を踏破した精神達が生み出しているもの」(ヌーソロジー)


中和:対化を等化するとその反映として新たな対化が生まれること。
対化→等化→中和→対化→等化→中和→対化→
延々とこの意識の拡大を続けていくことが精神の進化に繋がる。。。
人生の醍醐味だとぼくは思う。


ヌーソロジーでは物理学において最小とされる素粒子こそが反転の鍵だとしている。
素粒子は魂で
転倒した意識でミクロに折り畳まれた素粒子は反転した意識ではマクロなのだ。
古来よりの哲学から離れてしまった現代物理学が
再び哲学と結びついて〈フィシス:魂を持つ自然〉に還る時、この世界の反転が始まるのだ。



「わたし」が特異点の正体です
時空の広がりの方向に無限遠を見た場合、アインシュタインが言ったように、その無限の果てには自分の後頭部が見えると考えてみよう。そこが特異点だ。
その向こうがホーキングの言う虚時間宇宙となるわけだが、なんのことはない。それは私の前方である。この前方(奥行き=虚時間)は素粒子世界に直結している。
OCOT情報がいうように肉体は時空(見られている世界)と内部空間(見える世界)の結節点(変換の中点)たる「重心」が現象化したものなのである。

下記、半田広宣Twitterより




其の一の記事を書いてから物理学の入門書を読んでこちらも書きたくなってしまいました。魂を巡る冒険の旅、物に自我、からだに知覚器官、そして記憶。ありとあらゆるところに入口があり全ては繋がっているようです。そしてその鍵は「素粒子」のようです。


紹介コーナー🌟🌟🌟

アキタロウさんの素晴らしい作品
雨音 雨粒 自我
とても静かで
それでいて世界の深さを感じさせてくれる作品です☔✨
是非お読みください〜☔✨



星読みユリシスさん🌟の
エネルギーがほどばしる🌟

グランド・クロスとヌーソロジー💫💫💫
深いです🌟




其の二、オシマイ🌟🌟
終わらず其の参まで書いてしまいました😅💦


其の参、今朝の出来事(10月18日)日記です。

朝飯を食べ終え仕事の準備をぼくはしていた。
妻がこんな事を言い出す。
「こんな動画が上がってくるよ、世界がこれからどうなるかとか、霊の世界とか」
妻はYouTubeで新たなスピリチュアルサイトを登録してるようだ。
ぼくはここぞとばかりに話し出す。
「見えてる世界は視覚に過ぎなくてここが霊の世界なんだよ。ここにもそこにも素粒子が渦巻いてるんだよ。」
妻「素粒子とかアナタはワタシとかもスゴイ上がってくる」
ぼくは妻の正面にある味噌汁が入っていたお椀を指して「この裏側に素粒子がある。」妻自体を指してここに素粒子がある」と、畳み掛ける。
「その向こうに広大な宇宙が広がってるんだよ。」
ぼくは妻との会話を終えて勤め先に車で向かう。最近は精神の世界の事を妻と話したことはなかったが、こんな事が起きるんだなと感慨深い。
妻の感覚と見識は間違いなく拡がっている。
ぼく自身の意識が確実に妻に入っている。
人の意識は何もしなくても空間を共有する人達に影響を与え合う。
妻にはナオキマンのネドじゅん動画を勧めてみた。ヌーソロジーも見てみれば、とも言ったが、まだ、早いなと後から思う。
妻も魂の呼び声に応え始めたようだ。
ぼくも今の道を
精神の進化の道を
このまま進んでいこう。


ご一読ありがとうございました!
毎度、長々とお付き合いありがとうございます🌟

ナマステ✨

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