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中島輝の 克服ヒストリー

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4歳で里親の夜逃げという喪失体験をし、 小学4年から分裂症・躁鬱症・パニック障害・ 統合失調症・強迫性障害・不安神経症・認知症 過呼吸・胃 潰瘍・大腸炎・円形脱毛症・斜視に苦しむ…
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2016年9月の記事一覧

中島輝 克服のヒストリー33

中島輝 克服のヒストリー33

大事なことだから記憶に残ってしまう







身近な例だと、物をなくした経験が「トラウマ」になってしまうことがあります。



財布や鍵が見つからなくなったとき、その後すぐに見つかったとしても、

またなくすんじゃないかとしばらく不安になったりした経験はありませんか。

財布を入れていたポケットに何度も手を当てて、ちゃんとあるかどうか

確かめてしまったり。







財布を

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中島輝 克服のヒストリー31

中島輝 克服のヒストリー31

とにかく、前に進むことがつらく、

とはいえ前に進めないのもつらい、そんな日々でした。





「やりきれない思い、焦燥感、諦め、絶望、失敗」

「あふれる未来、期待、挑戦。希望。成功」





最低と最高の間を行ったり来たりする感情。





人の感情は入りくんでいます。

どこか編み込みがちがうとまったくちがうものができる。





それを、どうほぐし、ほどき、編み込み

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中島輝 克服のヒストリー30

中島輝 克服のヒストリー30

ずっと母親に対して我慢して生きてきた私。







「お母さんには絶対、迷惑をかけちゃいけないんだ!」

「お母さんに、マイナスイメージを持たれたら嫌われてしまう!」

「休日は家族ですごしたい。でも、自分さえ我慢すれば仕事がうまくいくはず」

「お母さんは助けてくれない!だから、一人でがんばらないといけないんだ」





本当の気持ちを押し殺しすぎて、

何がほしいのかわからない

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中島輝 克服のヒストリー 29

中島輝 克服のヒストリー 29

本当にほしいものは「ぬくもり」だった

私が33才のときに、

母が誰にも相談せずに借金を重ねてしまいました。



私が心の病になったことについて、母が強烈な自責の念にかられ、

母自身が病になっていたのだと思います。





母は、父のこと、私のこと、私を父の代役とさせてしまったこと。

すべてのことにどうしていいかわからず、普通の精神状態ではなくなっていました。





そんな

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中島輝 克服のヒストリー 28

中島輝 克服のヒストリー 28

変わらない相手を強く変えようとすると、

ますます負の連鎖になる。



おたがいの心も荒み、依存していたかと思うと、

急に反発しあったりしていました。

そのときもまだ「死にたい」と思う気持ちをぬぐえてはいませんでした。





何度も死のうと思ったのに、最後の最後でとどまれたのは、

今でも感謝してもしつくせない、

私の人生の恩人とも言える方々の存在があったからでした。



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中島輝 克服のヒストリー 27

中島輝 克服のヒストリー 27

どんなつらい状況にも光は差し込む





自力で立ち直るしかない、という思いで、ありとあらゆる本を読みました。







さまざまな心理学、心理療法、セラピー、哲学書、宗教書、偉人の名言、

NLP、コーチング、すべてのメジャーな占い、風水、墓相、、人相、手相から

何から何まで手をつけていきました。わらをも掴む思いでした。







読みながらも、苦しくなって、吐いたり

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中島輝 克服のヒストリー 26

中島輝 克服のヒストリー 26

常に心が休まらず、孤独を感じ、

生きている意味がないと思ってしまう状態。





何度も何度もロープで首を吊ろうとしました。

ですが、最後のところでうまくいきませんでした。







リストカットしようとする自分が怖くなって、

家中のカッターやナイフを夜中に庭に埋めにいきました。







病院にも行けず、電話口の向こうのカウンターの

「鬱のときはそういう症状にな

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中島輝 克服のヒストリー25

中島輝 克服のヒストリー25

「誰もわかってくれない。もう終わりだ」





死にたい。何もかも自信がない。

希望が見えたと思ったらすぎに絶望が現れる。

人を恨んで、妬んでばかりの自分。





聞こえるはずのないものが聞こえ、

見えるはずのないものが見える。





一晩中、手の毛を1本1本のをやめられない自分が怖い

呼吸するのがつらくて、倒れてはトイレで丸くなる・・・。





このころは、

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中島輝 克服のヒストリー24

中島輝 克服のヒストリー24

そして、その場で私が社長になりました。



それからというもの、毎日毎日、お金の心配ばかり。

生きた感覚がまったくありません。心が萎縮していく感覚。





両親のためを思って社長になることを引き受けたのに。

この人たちは、私に借金を押しつけ、ベンツを乗り回している。





「私を必要としてくれたんじゃなかったのか?

私はただ都合よく利用されているだけなのか?」



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中島輝 克服のヒストリー23

中島輝 克服のヒストリー23

強迫観念にも近い私の完璧主義が、従業員にも向けられ、

私のアイスピックのような攻撃的な一言が多くの人を傷つけていたのです。







しかし、たくさんの人が私のもとを次から次と去っていくにもかかわらず、

その理由がまったくわかりませんでした。





あるのはただ怖いという感覚。

みんなが去っていくのが本当に怖い。





私の状況が最悪な中、父のビジネスも悪化し、

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中島輝 克服のヒストリー22

中島輝 克服のヒストリー22

みんな私のそばからいなくなっていく・・・







人と触れ合い、自分で何かをして、自分で切り拓いていく生き方をしたい。



本当はそれが自分に合っているかもしれない。





アルバイトで朝から夜中まで働いているうちに、

少し前向きな気持ちにもなりました。





しかし、その気持ちとは裏腹に、心と身体が悲鳴を上げていました。





体重は49kgにまで落ち込

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中島輝 克服のヒストリー 21

中島輝 克服のヒストリー 21

将来について考える時間が増えるにつれて、

パニック発作が進行していきました。







突然の激しい動悸、息苦しさ、めまい、強い不安、

死ぬのではないかと思うほどの恐怖に襲われました。





予期不安もどんどんひどくなり、大学卒業後の約2年間は

自転車でしか移動できない状態。





最終的には外に出るのが怖くなり、人に会うのも恐怖になり、

外出もままならなくなりま

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中島輝 克服のヒストリー 20

中島輝 克服のヒストリー 20

飛び降りたら楽になる





大学はなんとか卒業しましたが、家に帰ることもせず、

就職もせず、アルバイトで食いつなぐ日々を送っていました。





パニック発作、過呼吸、双極性障害が、

いよいよひどくなり、電車にも乗ることができなくなりました。





でも、働かないと生きていけない。





30種類以上のアルバイトをしました。

とにかく、自分の居場所、自分を必要と

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