質問116:ボールに集中する方法は?
回答
▶無心に入るには「一心」を通過する
差し当たってコート上では、それを実践すれば(できれば)、十二分です。
いろいろと効果のありそうなほかも、試してみたくなる気持ちはよく分かります。
ですが集中に限っては、ただひとつを「一心」に追求するのが、結果が出る早道です。
集中できないさまを、猿が木から木へと、ひっきりなしに飛び移るさまにたとえて禅では「猿心」などと言われます。
その落ち着かない心を無心に至らしめるには、まずは「一心」にまとめるのです。
一心不乱の「一心」。
辞書を紐解くと下記の意味です。
▶たったひとつさえ、「忘れる」
とはいえプレー中にミスが続いたりすると、うっかりその「たったひとつ」すら、忘れてしまいがちです。
特に何か、別のことを考えているという自覚はないにしても、全体を広く見てしまいがちです。
つまり、たったひとつの「縫い目」さえ、見えなくなるのです。
これが現時点での「集中力の限界」です。
ですから冒頭に、「実践すれば(できれば)、十二分」と書きましたが、トレーニングしていなければ、できないのが普通です。
トレーニングの仕方は後述します。
▶ボールの見方、迷子になったら「矢吹ジョー」
その「普通の見方」になっていると気づいたら、一瞬でも早く、動いている対象が中心視野にとどまり、背景が流れて見え出す「新しい見方」に戻ってきてください。
「普通の見方」は、止まっている背景の中で、ボールが動いて見えます。
「新しい見方」では、ボールが中心視野にとどまって背景が流れて見える、主従関係が逆転する体験をします。
その実験についてはこちら。
あるいはボールの見方で迷子になったら、矢吹ジョーです。
▶「逸れては戻す、逸れては戻す」の繰り返し
さて「普通の見方になっている」と気づいたら、「いけない!」「全体を広く見てしまっている!」「集中が逸れてしまった!」などと考える隙を与えず、一瞬でも速く、「縫い目」に戻ってきてください。
集中力は、「逸れては戻す、逸れては戻す、逸れては戻す、逸れては戻す」の繰り返しにより、培われます。
それはあたかも、腕を曲げては伸ばす、曲げては伸ばすの腕立て伏せが、上腕二頭筋や大胸筋といった体の筋トレであるのと同様に、集中力を鍛錬する心の筋トレになっているのです。
1回戻せばその1回分、着実に集中力は強まります。
▶ミスしてもミスしてもミスしても、「縫い目」
縫い目以外のそのほかは、すべて忘れてもらって構いません。
その代わり、プレー中はフォームや結果について一切考えず、ひたすらに「縫い目」を見る、ただそれだけに集中してください。
ミスしてもミスしてもミスしても、ひたすら「縫い目」です。
▶「縫い目、縫い目、縫い目、縫い目」
ご所望いただいている「ほかの方法」ではありませんけれども、「縫い目」を補強する観点から言えば、プレー中はたとえば「縫い目、縫い目、縫い目、縫い目……」などと、つぶやくのも効果的です。
電車の駅員さんによる発声しながらの指さし確認と同じ効果で、言葉の力を借りて「縫い目」を、忘れにくくなります。
ボールに「縫い目」がないソフトテニスや卓球であれば、「回転、回転、回転、回転……」など。
ちなみに硬式テニスのボールも、「縫い目」ではなくて、ひょうたん型の2枚のフェルトを球に覆い、貼り合わせてできる「合わせ目」ということも、付言しておきます。
▶日常生活の「アンフォーストエラー」がなくなる
あるいはコート以外では、日常生活で集中する癖をつけます。
たとえばこちらでご説明している「しゃがむしゃがむ掴む伸ばす伸ばす触れる掴む引く引く押す立つ回る回る伸ばす伸ばす置く」。
これは私が冷蔵庫からニンジンを取り出してまな板に乗せる一連の動作を、先にご紹介した「つぶやき」ながら行っている集中です。
つぶやいている間、ほかの考え事はできません。
動作に集中するから、ミスしないとは言いませんけれども、ミスしにくくなります。
飲み物をこぼしたり、何かをどこかへ置き忘れたりといった、テニスでいう「日常のアンフォーストエラー」がなくなります。
▶歩きながら集中力を高める「歩行禅」
あるいは「右足、左足、右足、左足……」です。
これは歩行動作のつぶやきです。
歩行中というのは、今日これから始まる未来や、昨日腹が立った過去などについて、考えてしまいがちではないでしょうか?
「右足、左足、右足、左足……」をしていると、そういった雑念が取り払われて、今・ここ・この瞬間にとどまる集中力が増します。
習熟するにつれもっと細かく「右足かかと着く、つま先、離れる」「左足かかと着く、つま先、離れる」といった具合に、離着陸のありようをリアルタイムで追随したりもします。
▶思考は「刺激的」!
とはいえこれらも、「日常生活に取り入れて集中力を鍛えよう!」と意気込むものの、先の「縫い目」と同じくいつの間にか忘れてしまい、「あれはどうなったっけ?」「これをしなきゃ!」などの雑念に意識が逸れてしまいます。
なぜか?
思考はとても「刺激的」だからです。
しかもこちらで述べているように、ネガティブな思考ほど刺激的ですから、メディアはその心理を逆手に取って、平和なニュースは皆無とは言いませんけれども、比率としては不安を煽るようなネガティブな内容を多く報道します。
不安になると人は何かを手に入れたくなるから、それにより購買意欲を焚きつけるのです。
電通の「戦略十訓」が、悪いわけではないけれど、あたかも人々を不安にさせて購買意欲を煽るものだと分かります。
1.もっと使わせろ
2.捨てさせろ
3.無駄使いさせろ
4.季節を忘れさせろ
5.贈り物をさせろ
6.組み合わせで買わせろ
7.きっかけを投じろ
8.流行遅れにさせろ
9.気安く買わせろ
10.混乱をつくり出せ
▶尾崎豊『卒業』に学ぶ刺激のありよう
心は刺激的さえあれば、ネガティブであろうと何であろうと、関心を寄せます。
逆に「隣町の田中さんがお婆さんをおぶって横断歩道を渡りました」など、ポジティブであっても刺激的でなければ、心は関心を寄せません。
刺激の強い対象に集中するのは、誰でもできます。
たとえば、テレビゲームはさまざまな刺激でプレーヤーが集中するようにプログラムされています。
それに比べて「右足、左足、右足、左足……」など、まったく刺激的ではありません。
あまつさえテニスボールなんていうのは、何の変哲もないただの丸くて黄色い球。
まったく刺激的ではないから、集中が逸れるのです。
「退屈な心 刺激さえあれば 何でも 大げさに しゃべり続けた」と歌ったのは尾崎豊でした。
まさにその通りで、思考は刺激さえあれば、「セルフトーク」を止めないのです。
▶呼吸こそ、まったく刺激的ではない!
そして最後に「呼吸」。
禅僧が集中力を鍛錬するにあたって坐禅に呼吸を用いるのは、なぜでしょうか?
それが「まったく刺激的ではない」からです。
ぜひお試しください。
息の出入りに呼応して、「吸っている吸っている吸っている吸っている」「吐いている吐いている吐いている吐いている」などと、頭の中で間断なくつぶやき続けます。
私たちの心は先述した「猿心」ですから、ひっきりなしに次の木へ、次の木へと飛び移るがごとく、呼吸にとどまらずに、さまざまな考え事へと意識が逸れます。
始める前は、あんなに「呼吸に集中しよう!」と意気込んだのに、「縫い目」と同様に、いつの間にか忘れるのです。
それが、現時点での集中力の限界。
限界というと、ネガティブな印象かもしれませんけれども、現状を把握するから取り組む価値も再確認できます。
▶テニスは「ボールに集中」すれば誰でも簡単にプレーできる
改めまして、テニスはボールに集中すれば誰でも簡単にプレーできます。
それが、オープンスキル系の競技でありながら、老若男女がハンデなく対等にプレーできるテニスの価値です。
とはいえそもそもボールに集中するのが難しかったら、やっぱりテニスは簡単ではなくなってしまいます。
この矛盾を、今回の取り組みにより解決できます。
即効テニス上達のコツ TENNIS ZERO
(テニスゼロ)
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