質問041:自分のプレーを意識して打ち続けることで、無意識でそのプレーができるようになる?
回答
▶感覚と思考は「トレードオフ」
私たちは、定めた対象に対して五感のどれかひとつを研ぎ澄ませると、無意識的になります。
視覚や聴覚や触覚などのうち、どれかひとつが研ぎ澄まされた集中状態では、「何も考えられなくなるから」というのがその理由です。
ところが多くの場合、見ながら考えたり、聞きながら考えたり、感触を感じ取りながら考えたりといった「ながら」ができると思い込んでいるのではないでしょうか。
▶「意識」するとボールは「見えなくなる」
聴覚を研ぎ澄ませる一方で何か考え事をすると、音が聞き取りにくくなります。
確かに音は振動としてぼんやり耳には入っているのだけれど、別の考え事を意識がキャッチしながらだと、音の高低感や強弱感などまでは、リアルに分からなくなるのです。
本当に集中すると、何も聞こえなくなります。
この文書をある程度集中して読んでいるとすれば、部屋の中では空調の「音」が鳴っていたかもしれないけれど、ぼんやりとした「聞こえなかった」はずですよね。
これが、テニスのプレー中に考える(意識する)ことによる弊害。
自分のやりたいプレーを意識すると、ボールが「見えなくなる」のです。
▶考えると「感受性」が弱まる
「自分のやりたいプレーを意識して打ち続ける」というのは、見る・聞く・触れるといった感覚受容器の働きとは関係がありません。
五感が情報をキャッチする受容器の働きというよりも、意識しているのですから「思考」の要素が強いですよね(※注1)。
ですから「自分のやりたいプレーを意識する」と、その一方で見る・聞く・触れるなどの感受性が弱まってしまいます。
これがテニスを上手くプレーするうえでは問題になる。
ボールは、目には映っているのだけれど、自分のやりたいプレーのほう(思考)に意識が集中していると、ボールの回転や毛羽、サイズ感といった情報までは、リアルに見て取れなくなるのです。
▶「感覚受容器」の働きを高める=「集中」
テニスを上手くプレーするには、感覚受容器の働きを高めることがポイント。
それが取りも直さず「集中力を高める」とイコールです。
インプレー中は、自分のやりたいプレーは脇へ置いておいて、ただボールに集中すると、テニスは上手くいきます。
テニスではおもに、五感のうちの「目」がボール情報をゲットする頼りになるでしょう。
そうすると、「自分のやりたいプレー」が、何も考えなくても(何も考えないから)逆説的に引き出されます。
▶自分のプレーは「イメトレ」で
とはいえ、自分のやりたいプレーを意識することが、決して悪いわけではありません。
ただしそれをするなら「ボールを打たずに」という条件つきです。
すなわち、いわゆる「イメージトレーニング」です。
略して「イメトレ」は、一説には実際に運動する場合と同等レベルで、脳の一部の運動野や体性感覚野を活性化するとも言われているそうです。
活性化の話は私も詳しくないので脇へ置いておくとしても、やりたいプレーを事前にイメージしておくシミュレーションは、もちろん、やりたいプレーを実現する可能性を高める予行演習になります。
▶劣勢時に受ける「衝撃」を緩和すれば「集中持続力」をキープできる
これは試合に臨むにあたり、大切な準備です。
「自分がやりたいプレーができているとき」のみならず、「自分がやりたいプレーができていないとき」、あるいは「自分がやりたくないプレーを強いられているとき」などのシミュレーションもしておくと、劣勢が想定範囲内となるので、いざ本番でピンチに立たされても、パニックになりにくく冷静にプレーできるでしょう。
特に「自分がやりたくないプレーを強いられているとき」、つまりリードされた劣勢時をイメージするのは決して気持ちがいいものではありませんけれども、実際に直面したときの衝撃を和らげて集中力を落としてしまわない抑止力になってくれます。
具体的には、上手くプレーできていないときを想像しながら、結果は気にせずボールへの集中力を淡々と保つイメージです。
▶「想定範囲外」の対応力は著しく低い
人は、想定範囲外については対応力を著しく損ねるのです。
上司から突然「今夜は飲みに行くぞ!」などと言われたら対応できずに「業務時間外の拘束は人権侵害だ」などとキレたりする。
前もって言ってくれていたら想定範囲内なので怖れず対応でき、ことを荒立てずに済む可能性は高いでしょう。
▶イメージには「2種類」ある
ただしここでいうイメージトレーニングの「イメージ」は、私が普段申し上げている「イメージ」とは、言葉は同じですけれども「別物」です。
イメージトレーニングの「イメージ」は、頭で意識する「想像」。
私が普段使っているイメージというのは、普段は意識しない潜在意識に書き込まれた私たちの心身を支配している力です。
自己肯定感のようなもので、それが低いと自分でも「意識していない」のに、頑張りすぎたり、他人の話を聞き続けるのがつらいのに聞き続けたり、過剰に挨拶や笑顔が多くなったりします。
ですから私は自己肯定感について「自己肯定イメージ」などとも呼びます。
なのでイメージは現実化しますが、だからといってイメトレで劣勢をイメージしたからといって、実際に劣勢に立たされるわけではありません。
▶注釈まとめ1:意識が思考をキャッチする
※注1
厳密にいえば意識も「受容器」のひとつとされ、色や形の情報は「1.眼識」が、音や声の情報は「2.耳識」が、匂いの情報は「3.鼻識」が、味の情報は「4.舌識」が、身体感覚の情報は「5.身識」が、そして思考の情報は「6.意識」が、それぞれキャッチする役割を担います。
この6つを専門用語で「眼耳鼻舌身意(げんにびぜつしんい)」の「六根」と呼び、私たちは「六根」を通じて物事や出来事の情報を「認識・識別」しています。
なのでさらに厳密にいえば、自ら意識して思考することは、「絶対に不可能」なのです。
意識は「発信機」ではなく「受容器」だからです。
「逆」で、流れてきたり湧いてきたり降りてきたりするありとあらゆる思考を、意識がキャッチしています。
目が光を作るのではなく、光を目が捉えるのと同様に、意識が思考を作るのではなく、思考を意識が捉えるのです。
光情報を「眼識」が捉えるのと同様、思考情報を「意識」が捉えます。
▶注釈まとめ2:考えさせられている
これを読んだ瞬間、「えっ、自ら意識して思考できないってどういうことなの?」と考えた読者も、少なくないかもしれません。
「自分は意識して考えているけどなぁ……」などと考えた読者も、いらっしゃるかもしれません。
だけどそれは、読んだ瞬間、まさしく勝手に「えっ、意識して思考できないってどういうこと?」という思いが出てきたはずです。
あるいは「自分は意識して考えているけどなぁ……」という思いも、自分で考え出したのではなく降ってきた自動思考だったはずです。
すなわち自分で「考える」というよりも、「考えさせられる」システムなのです。
▶注釈まとめ3:自動思考・自動感情
自らは意識的に思考することは、絶対にできない仕組み。
因縁(情報に対する反応)としての思考が、「永久に続く連鎖」として生じ続けているだけです。
自分で生み出せる思考などない。
思考だけでなく、自分で生み出せる感情もない。
つまりは「なんにもない なんにもない まったくなんにもない」。
これが専門用語で言う「諸法無我」です。
即効テニス上達のコツ TENNIS ZERO
(テニスゼロ)
https://note.com/tenniszero
無料メール相談、お問合せ、ご意見、お悩み等は
こちらまで
tenniszero.note@gmail.com
スポーツ教育にはびこる「フォーム指導」のあり方を是正し、「イメージ」と「集中力」を以ってドラマチックな上達を図る情報提供。従来のウェブ版を改め、最新の研究成果を大幅に加筆した「note版アップデートエディション」です 。https://twitter.com/tenniszero