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幸せの届け愛 〈第1章〉
あらすじ
「幸せの届け愛」
~人は出会いと別れの狭間で生きている。
主な登場人物の誠弥(せいや)は普通の人が見えない姿や世界が見える。
そして、あまり人と話さず自分の世界に生きているような彼が、幼馴染みの紗優(さゆ)をはじめ、関わる複数の登場人物と共に成長していく姿を描く物語🍀*゜
フィクション。
登場する人物名や団体名等が万が一実在する名称等と同一であっても一切関係ありません。
「プロロ
大人の遠足〜日帰り癒しの旅
夏休み!
なんだか出かけたくなりませんか?
子どもが小学生だった頃、学校が長期休暇でも親は連日仕事に行かなければならず、一人で長時間のお留守番をさせる訳にもいかず、学童保育(放課後児童クラブ)のお世話になりました。
中学生にもなると、部活や塾などで親より子ども自身が多忙を極め、親が休みでも一緒に出かける事がほぼ出来無くなりました。
思い出が少ないなぁ〜
そんなことを、ふと思い
何気なく、
京都でランチに中国料理
「おい、デート行くで」
「えっ?」
寝ぼけ眼の私はびっくりして飛び起きました。
思ったら即行動派の彼は、よく冗談を言うけど、こういう時は本気。
夜勤明けの仮眠から急いで飛び起きると、家事の段取りを瞬時に考えました。
いかに早く出られるか、
よぉいstart!
嬉しいと、さっさと動けるもんです。
簡単に片付けと洗濯を済ませ出かける準備も完了しました。
主人は、末っ子が高校に進学すると、
「
【戦争回顧録】入隊からシベリア帰りのとぎれとぎれの思い出~TM氏の自分史を転記しました
実家の畑へ向かう途中にある公園近くのお宅の方で、お話しすることは滅多になかったです。とても落ち着いた物静かな印象の方でした。青春時代の壮絶な体験を書き残してくださったことに感謝します。
シベリア帰りの老兵のたわごと 平成4年12月20日 昭和15年 11月30日
歓呼の声に送られて、故郷の稲枝を出発した。
現役証書は、北支第1893部隊とあって集合場所は、東京都神田電気学校で健康診断、及び体力
まさかWeb視聴で夫婦円満とは?!
「いっぺん観てみるか!」
主人に誘われ、TSUTAYAの配信サービスを利用し、始めて韓国ドラマを観たのは9年前でした。
そのドラマは、韓国の人魚と青年のラブロマンスファンタジー「青い海の伝説」でした。
一緒の食事時間に1話ずつ彼と鑑賞しました。
海外渡航未経験の私は、ドラマのストーリーもですが、街並みや風景、建造物、備品・小物、衣装、食事の様子にも目を奪われ、すっかり虜になりました。
主
【戦争回顧録】厳格なようで、陽気、気さくにお話しされるのが好きだった印象の、KS 氏の自分史③『マンダレーヒル(丘)死守』『敗亡・終戦時の思い出』
仲の良かった幼馴染みは、町民を愛し市民のためと議員職を全うされたKS氏のご家族と自治会の組が一緒だったことから、とても親しかったです。私が親しくさせていただいたきっかけは彼女でした。
それにしても、自由に遊ばせて頂き、本当によくかわいがってくださったなぁ、と。すぐに当時のみんなの笑顔が浮かびます。
平成5年 記 続き
マンダレーヒル(丘)死守 印緬国境インパールの戦いに敗れた日本軍は、ビルマ、
滋賀といえばとびたくん
飛び出し注意の喚起
今日も車を走らせると
あちこちで見かけます。
もう、すっかりおなじみの
人形型の看板、とびたくん
翔んで埼玉2では、注目され
知らなかった方も認知されたのでは?
私の父はかつて屋内外広告業を営んでいました。
まだ保育園児だった頃、私は父の看板制作を見るのが大好きで自宅敷地内の父の仕事場によく行ってました。
独立前の副業状態であったろう時期、大量の縦看板制作を請け負っていた
【戦争回顧録】厳格なようで、陽気、気さくにお話しされるのが好きだった印象の、KS 氏の自分史②『中支派遣軍となる』
平成5年 記初年兵教育僅か1カ月昭和16年兵である自分は、昭和17年1月福井県敦賀連隊の門をくぐった。約20日間この練兵場から気比神宮、敦賀湾へと毎日のように雪の中を駆け回り、或いは雪合戦と体力を整えた。
翌2月に任地中支那、南京に赴任、所属名は中支派遣軍第15団歩兵第67連隊第3大隊第8中隊陸軍2等兵となる。
この⑺南京の兵舎僅か少日数、軍人精神の魂、筋金を入れる大切な教育が始まる。皮スリッパの
今日も生きやすく生きる
しなやかな心とは
生まれた瞬間、それは、この世での出会いの始まり記念日、誕生日❣️
そう、最初のプレゼント。
その後の人生は、いつでも、この世と別れる途中を生きている歩みの時間。
誰一人として避けられない、
与えられた平等の摂理であり
命の営みのカタチ。
だから、
どんな別れに遭遇しようとも、
辛かったり悲しくても、
恐れる事も、心配する事も
無用、って思うようになりました。
出会いを、
【戦争回顧録】厳格なようで、陽気、気さくにお話しされるのが好きだった印象の、KS 氏の自分史①『大陸の追憶』
議員をされてたご本人よりも、よく奥様と気さくにお話させていただいたり、幼馴染みと一緒に庭で遊ばせて貰っていました。お菓子を頂いたことも何度も(*´∀`*)
とっても親しい思い出のあるお方でした。
平成5年 記
戦争といえども、弾の撃合いばかりが戦争では無かった。大東亜戦争(中支那、印緬国境インパール作戦、ビルマのマンダレー方面作戦)では特にいろいろの戦いがあった。
敵(英国・印度混成軍)以外に