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【戦争回顧録】厳格なようで、陽気、気さくにお話しされるのが好きだった印象の、KS 氏の自分史①『大陸の追憶』

議員をされてたご本人よりも、よく奥様と気さくにお話させていただいたり、幼馴染みと一緒に庭で遊ばせて貰っていました。お菓子を頂いたことも何度も(*´∀`*)
とっても親しい思い出のあるお方でした。


平成5年 記

戦争といえども、弾の撃合いばかりが戦争では無かった。大東亜戦争(中支那、印緬国境インパール作戦、ビルマのマンダレー方面作戦)では特にいろいろの戦いがあった。
敵(英国・印度混成軍)以外に食糧(米、乾パン、牛、豚から蛇、蝸牛、果物、バナナの軸 他)、兵器、病魔(悪性マラリア、アメーバ赤痢、脚気、栄養失調)に犯され死の旅路へまっしぐら白骨街道へ、悲惨の極限をさまよいつつ、それでも勇を鼓して戦の繰り返し、精神との斗い「生」のどんぞこで「死」と斗を叫び、泣いて死ぬもの、諦めて自爆するもの、自決するもの、友軍同士なのに些細な事から果たし合いするもの。あるいは涙ぐましい戦友愛で励まし合うもの、泣いて戦友の亡骸の肉で飢えを凌ごうとするもの、もう、この世のものではなく人間以外の世界でした。
戦いには、それぞれ使命があり、皆この使命を果たすために一生懸命戦い、かってきたのです。国のため、だが戦いには敗れ若い命が支那大陸にビルマに或いは印度の奥深くに失われているのです。
終戦後はや五十年を迎えようとしております。私も寄る年波に記憶も薄れ、支那大陸から東南アジアの軍隊生活の中にも印象的な場面も断片的にしか浮かんでこない。この度、企画、提起編集人の○○(私の祖父の氏名)さまのご熱心なお奨めもあり、又、私も多少記憶違いがあっても、この事実だけは何とか書き残したい気持ちもあって、敢て拙文をとることにしました。
私の身辺では亡くなられた多くの戦友の名前さえ今は思い出せないこと申訳なく思っております。野末に咲く花ののように散っていった戦友を憶い万感胸に迫ります。しかし、この多くの戦友の尊い犠牲によって、今日の平和が確立されたものと信じます。
あの悲惨な戦争は、二度と繰り返してはなりません。戦友の尊い血と肉、屍の上に築かれたこの「平和」を私達がしっかり守り抜くことによって異境の地に眠る戦友の霊も必ずや、安らかに眠って下さるよう祈念します。
今ここに当時を偲びながら記すこの「拙文」が異境、辺土に散って行った幾多の先輩。戦友の霊を、少しでもなぐさめることができれば、私の望外の幸せでございます。

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