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【戦争回顧録】厳格なようで、陽気、気さくにお話しされるのが好きだった印象の、KS 氏の自分史②『中支派遣軍となる』

平成5年 記

初年兵教育僅か1カ月

昭和16年兵である自分は、昭和17年1月福井県敦賀連隊の門をくぐった。約20日間この練兵場から気比神宮、敦賀湾へと毎日のように雪の中を駆け回り、或いは雪合戦と体力を整えた。
翌2月に任地中支那、南京に赴任、所属名は中支派遣軍第15団歩兵第67連隊第3大隊第8中隊陸軍2等兵となる。
この⑺南京の兵舎僅か少日数、軍人精神の魂、筋金を入れる大切な教育が始まる。皮スリッパの裏、表が左右に飛ぶや眼から星が花火線香に火を付けたように飛ぶ。これはつきものの初年兵教育、これはすべての兵隊さんは経験する。
或る日、子豚を丸焼きした古兵さん、「S、持って行け」。命令に従って三日間昼夜背中に乗せて歩いたが、その間豚油が骨までしみこんだと思う。
作戦は次から次からへと命ぜられ、巣湖作戦揚水江の警備、南京城警備、ここで南方派遣が決まり、英軍の桟甲部隊の対戦車訓練が紫金山を背に暑さ厳しい訓練が昼夜行なわれた。

祭部隊インパール戦線へ

我々、中支派遣軍第15帰団第67連隊は、仏印上陸後、祭第7371部隊となる。編成替えはなく第15帰団歩兵第67連隊が祭部隊であるが僅か2年余で終戦となる。
私は昭和18年8月下旬、上海を経て仏領サイゴンに到着した。
「ここはサイゴン小パリー」と言われるだけ、フランスの巡洋艦が真白い船腹をみせ岸壁に繋がれている黒々とした椰子林が見渡す限り夕陽を受け青い海とよく調和がとれて絵葉書にしたいようだ。先程まで焼け付くように太陽で輸送船の手すりもなぶれない。上陸したサイゴンの街、大木の街路樹の下に丸いテーブルを囲みコーヒーだろう、数人から10人余が飲みながら談笑している平和な姿を眺めながら軍靴の音も勇ましく我々は兵舎に向かった。
11月10日タイ国バンコクより鉄道で北上してチェンマイ市(薪を燃料とした汽車)に向かう。
夜半汽車が停車して発車するようにもなく、貨車に揺られたせいか我々はねこむ。起床ラッパで眼をさましたが汽車は昨夜停車した処のまま、午前10時頃になって停車の原因が判明、現在地はチェンマイの手前ランブーンらしい。この駅に着いた汽車の桟関士(泰国人)が深酒して未だ休眠中とのこと・・・、その時だった。班長より「S二等兵は100m西の民家に水牛がつながれている。殺してこい。」周年兵2名に援軍頼み現地に走る。
生まれて初めての作業、大変なこと、丈夫な縄で四ツ足を木にくくり、殺す道具は大きな石を持って脳天を叩けばと、ふらふらになりながら叩いたが横向く程度、そこへ来たK上等兵にお叱り受け、ここを打てということで、やや後ろの処を叩き、漸く水牛の肉を水牛車で運ぶ。
11月12日チェンマイに着く。高原地帯、このシヤン高原で半月ほど駐留したかな?一望松林が続き美しい高原地帯の花畑が其処彼処にあり、気候もよく日本の初夏のようであり今でも行きたい処である。
ここを出てから記憶が薄れているが、カンボジアのプノンペンに入り、泰緬鉄道ぞいの道路を歩き、モールメンを経てラングン方面に向かっている。
ペンは、ビルマの首都ラングンの陸軍病院、何時か分からないが悪性マラリアで入院して2カ月程たった日のこと、軍医から「今晩以降入浴してもよい」許可あり、久しぶりの入浴、洗髪中の気持ちよさ、鏡の前に立って驚いた。頭髪が1本も無く、ピカピカ頭に変身、これもマラリアの高熱からだろう。
気持ちよくなった頭をなでながら朝の散歩とシャレコム程ではないが、この陸軍病院内に収容のできない200人位の患者は、敷地内に簡易な主として竹、木でゴロ寝することのできるものの病舎がある。ここを散策していた時である「Kやないか」と声をかけた患者兵がいる。30人程ゴロ寝した人から声の主を探す。半身起こした声の主に驚いた。
「KJさん」私は我を忘れて走りよる。
声の主は我がS家の本家の長男(生、大正6年)さんである。現役兵で北支那方面で式勲をたてられ、大東亜戦争勃発した昭和16年12月8日に結婚されたが、今日、ここで拝顔するとは、よもやまの話が咲く。
このKJさんは、この日別れて8カ月後に戦死されたと聞く。
2年後に復員して本家に復員の御挨拶にお伺いした時、お父さんから「KJは何時頃復員して来るね、この前の軍人郵便に『Kとラングン病院で会った』と書いていた。」私はビルマでKJさんがの戦死を知っていたから、返事に窮したこと済まなく思っております。
次男のS君は同じ年で学校の先生であった。戦地においても陸軍将校となり、ビルマを北上し、援蒋ルートの撲滅のため南支那の雲南省に入り、幾度も兵をつれ夜襲をかけ壮烈な戦死されたと、、、。
昭和20年3月ビルマ、マンダレーの王城内で聞く、S家本家の長男故KJ殿、故次男S殿、もう、あれから50年、印緬国境に若き生命を祖国に捧げられ、今なお秘境の地に眠る、ご兄弟のご冥福を心から、御祈念申しあげます。安やかにお眠りください。

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