記事一覧
【シアターコモンズ'24】アーティスト・トーク/サオダット・イズマイロボ
2024年3月2日(土)
アンスティチュ・フランセ エスパス・イマージュ
聞き手:相馬千秋 通訳:平野暁人
編集・執筆:阿部幸
写真上:『Chillpiq』
______________________
相馬 今回、サオダットさんの5作品を2時間半に渡って一挙上映いたしました。このようにまとまって作品を観ることができる機会はなかなかないと思います。私自身、今日の上映を見て大変感動しているところ
I/EYE(アイ)をめぐるテクノロジーとリアリティの条件──スザンヌ・ケネディ&マルクス・ゼルク/ロドリック・ビアステーカー『I AM(VR)』評
清水知子(筑波大学准教授)
______________________
ドイツの演出家スザンヌ・ケネディの『I AM(VR)』に足を運んだのは、東京が二度目の緊急事態宣言下にあった2021年2月17日のことだった。
これまでベルリン・フォルクスビューネ劇場とミュンヘン・カンマーシュピーレを拠点に『ウーマン・イン・トラブル』(2017)、『バージン・スーサイド』(2017)、『三人姉妹』(
アンティゴネーも、わたしたちも、 見えない声の方へ。──高山明/Port B『光のない。─エピローグ?』評
青柳菜摘(アーティスト)
______________________
──姉
やめましょう。見に行くと見られてしまうわ。
だから私たちはドアの外に出て、外で起こっていることなど、
見たりはしなかった。いつもの朝と同じように、
私たちは何も食べず、眼も合わせず、
立ち上がって仕事に出かけようとした[1]
わたしたちは実際に起きていることを正確に観察し、記録し、記憶に留めていくことがで
目も眩む光の中で声を聴く──佐藤朋子『オバケ東京のためのインデックス 序章』評
外山有茉(十和田市現代美術館 アシスタント・キュレーター)
______________________
「私は、今、このように、顔をだして、光にあたって、声を出しています。…どうぞ私のからだには触れないでください。また、私のからだの周囲三メートル以内にも近寄らないようにしてください。私のからだのまわり、ここには私の飛沫がたくさんいます」
新型コロナウイルスのパンデミックから1年、収容人数を
シネマの起源を映すVR映画──ツァイ・ミンリャン『蘭若寺の住人』 評
金子 遊(批評家・映像作家)
______________________
VR映画の体験 2021年2月某日、六本木のANB TOKYOビルへいった。ツァイ・ミンリャンのVR映画『蘭若寺の住人』(2017年)は、一度に16人ずつしか鑑賞できないので、しばらくのあいだ待つことになった。エレベーターで6階にあがると、人数分のVRセットが用意してあり、係員の合図とともに上映をスタート。ここで気になっ
生き延びる(ための)トリック──シャンカル・ヴェンカテーシュワラン『インディアン・ロープ・トリック』評
髙橋彩子(演劇・舞踊ライター)
_____________________
広場に現れた奇術師が空にロープを投げ、弟子の少年と共にそれを登り、少年の身体をバラバラにして地上へと降らせたり、その身体をまたもとに戻したりするという「インディアン・ロープ・トリック」。シャンカル・ヴェンカテーシュワランが、インドで古くから行われ、何世紀にもわたって誰も解明できなかったこのトリックをどのように表現するの
「正面」から/を問うセ(ルフ)リフ(クレション)──リーディング・パフォーマンス 中村大地/松原俊太郎『正面に気をつけろ』評
山﨑健太(演劇批評)
_____________________
「正面に気をつけろ」。参加者自らが戯曲を読むという形式をとるリーディング・パフォーマンスにおいて、この言葉は単に突きつけられる警告としてでなく、それを発する自らの立場をも問い直すものとして響くことになる。
演出家の中村大地によって参加者に与えられた指示は以下の通り。
○人物
・『正面に気をつけろ』を、4人の「もう死んだ者た
「隔離」と「感染」のデジタル・ドラマトゥルギー──ジルケ・ユイスマンス&ハネス・デレーレ『快適な島』評
岩城京子(演劇パフォーマンス学研究)
______________________
関心経済の格言は「我シェアする、故に我あり」 西洋ルネサンス時代の一点透視図法は「人間の驕り」によって誕生した。「私」という白人男性である主体が「絵」に描かれた客体を、秩序だったかたちでコントロールしたい。そのために、歪み、濁り、ひずみ、ブレ、闇、醜さ、見苦しさなどのカオス的混成体であるリアルを、明晰な尺度に収め