5/2に届いた、クラウドファンディングのリターン
キュンチョメさん日記の
あいちトリエンナーレ2019編を読み終わった。
わたしのなかの現代美術は、
狭い範囲でしか楽しんでこなかったので
キュンチョメさんも、他のアーティストさんも
あいちトリエンナーレ2019で初めて知って
今回の騒動で、展示の設定が終わった後も
展示再開に向けての
たくさんのアーティストさんが滞在して
不安のなか、手探りでも引
ジェンダーと政治の揺らぎ
「ジェンダー平等」
あいちトリエンナーレ2019において掲げられたその理念は、参加作家の男女比率を等しくすることによって具現化され、大きな話題を呼んだ(1)。一方で「表現の不自由展・その後」の中止に伴う「表現の自由」対「検閲とテロ」という膠着した構図(2)の中で、ジェンダー平等に関する話題はほとんど吹き飛んでしまったかのように見える。しかし、本来これらの問題はジェンダ
過去4回のトリエンナーレすべてに一応足を運んでいますが、今年ほど真剣に観ている回はありません。
「世界は感情に振り回されているのではないか」
「その感情は情報によって煽られているのではないか」
「情の時代」というテーマを意識して観ると、それぞれがそれぞれの形で具現化されていて、けっこう刺さるモノが多いという印象を感じています。
にしても映像展示が多い。しかもどれも長い。
トリエンナーレに限
【3331 ART FAIR 2019】
お目当ては、キュンチョメの
「完璧なドーナツをつくる」
・
キュンチョメのステートメント
「アメリカのドーナツと沖縄のドーナツを合体させたら、
穴のない完璧なドーナツができるのではないか?というプランを立てた。
しかしそれはとてつもなく大変なことだった。
これはドーナツの話だ。だけどこれはドーナツの話じゃない。
政治の話だ。歴史の話だ。信念の話だ。愛の話だ
わたしは沖縄について無知だ。オスプレイを見たことがないし、基地反対運動の座り込みデモに加わったこともない。しかし、そんなわたしですら、映画の中のさまざまな声に耳を傾けるうちに、否応なく我が身を振り返ることになった。
こうした内省を可能にしたのは、キュンチョメがメタファーの効力を最大限に引き出したからだ。サーターアンダギーに沖縄を、ドーナツにアメリカをそれぞれ象徴させただけではない。彼らは双方を合
日本はサーターアンダギーなのだろうか、それともドーナツなのだろうか。
前者に沖縄を、後者にアメリカを、それぞれ象徴させた構図はわかりやすい。それが見る者に米軍基地とのあいだの距離感を測定させていることも理解できる。だが、サーターアンダギーとドーナツが合体する直前で映画が終わることも手伝って、見る者には明快な答えというより、むしろ大きな問いが残される。
わたしの場合、その問いは日本の立ち位置だっ