目も眩む光の中で声を聴く──佐藤朋子『オバケ東京のためのインデックス 序章』評
外山有茉(十和田市現代美術館 アシスタント・キュレーター)
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「私は、今、このように、顔をだして、光にあたって、声を出しています。…どうぞ私のからだには触れないでください。また、私のからだの周囲三メートル以内にも近寄らないようにしてください。私のからだのまわり、ここには私の飛沫がたくさんいます」
新型コロナウイルスのパンデミックから1年、収容人数を半分にした客席から観客が見つめるなか、佐藤朋子のレクチャー・パフォーマンス『オバケ東京のためのインデックス 序章』は、2021年の春をまさに象徴する言葉で幕を開けた。このパフォーマンスは、今後数年にわたって継続的に行われる「もう一つの東京」を想像する試みの序章なのだという。オリンピック開催までのカウントダウンのなか、宙吊りの時間を生きる現在の東京で、佐藤が問いかけるもう一つの東京、そして現代の「オバケ」とはなんなのだろうか。ここでは、今回のパフォーマンスにおいて用いられたいくつかの中心的な要素を紹介しつつ、作品を横断するモチーフとなっている「光」を追うことで作品を読み解いていきたい。
まず、タイトルになっている「オバケ東京」とは、岡本太郎が1957年に発表した「いこい島」構想に端を発するオルタナティブな東京の都市計画、というより岡本太郎らしい大衆への挑戦的な提案である。
「提案がある。東京のすぐ近く、たとえば千葉県の海ぞいあたりに、もう一つの東京を作るのだ。…この2つの東京を猛烈に競わせ、相互に刺激させるためにである。…東京の現在に不満をもつ、あらゆる人間がそこに移り住んで、アンチ東京を結成するのである」[1]
「オバケ東京」構想は、のちに70年の大阪万博で協働することになる丹下健三との初のコラボレーションとして発表されている。当時、丹下研究室に所属しプロジェクトに関わった磯崎新は、「オバケ東京」がその後建築家らによって続々と発表される海上都市のアイデアに先んじるものであったと語る。しかし、それは、しばしば「楽観的な進歩主義者」とも揶揄されるメタボリストたちの描いた海上への逃避とは少し趣が違っていたようだ。[2]
太郎の独特の「オバケ」・「アンチ(反)人間」という考えについては、数編の短いエッセイが残されている。それによると、太郎の言うオバケとは、いわゆる生前の恨みを晴らすために怨念が化けて出てくるような亡霊のことではなく、人間一人ひとり誰もが潜在的に持つ、現在の自分と相剋するような生命力や想像力のことを指しているように思われる。
「人間が人間を自覚し、自分の存在について考えはじめたとたん、ふと自分と違った者が目の前にたちあらわれる。たしかに自分である、しかし自分でない。つまり自分の『反人間』である」[3]
この「反人間」とは、太郎が戦後唱え始めた対極主義を、人間の生き方にまで敷衍したものであるだろう。対極主義とは、端的にいえば、矛盾や対立を孕む異なる要素を、安易に妥協させるのではなく、対立したまま共存させることによって、よりひらかれた可能性を目指すべきだとする考えである。そう考えると、「オバケ」とは「もはや戦後ではない」道を歩み始めた日本で、口当たりの良い「進歩」や「調和」へと盲進する人々に向けて問いかけた言葉だったのではないだろうか。
前置きが長くなってしまったが、佐藤のパフォーマンスについて話を進めよう。このなにやら挑発的な太郎の提案を現代から再考する案内役として、佐藤が召喚するのが、かつて「人間ではないもの」として東京に現れた初代のゴジラだ。そのゴジラの東京侵攻の歩みを映画のストーリーに沿って追い、過去と現在を往復しながら断章のように繋いでいくことで、パフォーマンスは進行していく。そして、それらの断章を象徴的に貫いているのが、両義的な光—それは私たちに安らぎを与えもすれば、ときに暴力的にもなる—である。
1954年、広島・長崎の原爆の記憶もまだ生々しいなか、その年の3月に起こった第五福竜丸事件を受けて映画『ゴジラ』は制作された。太平洋での水爆実験の結果、海底より覚醒した古代生物ゴジラが、怒り狂って放射熱線を吐きながら都市を焼き払い、親を殺し、子供たちを被曝させる。後継のゴジラシリーズと比べると、そのストーリーは際立って暗いことで知られている。ゴジラがなにを表象しているかについては、すでに様々に論じられているためここでは詳説しないが、ゴジラは、どんな形であれ私たちが原子力というテクノロジーとともに生きていること、そしてそれは、生成と破壊という二つの面を持つ光であることを私たちに思い出させる。[4]
佐藤は、パフォーマンス冒頭でゴジラによる品川沖への上陸を追ったあと(併せてそこには現在、出入国在留管理局やオリンピック競技場があることが示される)、時代を下って1980年に劇作家如月小春が発表した戯曲『光の時代』からの引用へとつなげていく。『光の時代』は、その全体が主人公の白昼夢のような展開を持ち、時空を超えて場面が行き来する作品なのだが、その全ての状況を把握しているかのような名前も顔も持たない「声」という存在が登場する。佐藤は、その「声」の話す次の一節を引用している。
「何事にも真剣にとりくまないこと、忘れるという行為を忘れること、それがこの街における歩行術です。この街には実に多くの魂が季節をやりすごしています。…ここではいかなる生きものも平等だ。そして果てしなく自由だ。ここではすべてが許されています。…ここでは全てが予定され、幸福の目的のために肯定され、いかなる NON も存在しえないからです。ここでは全てが白く、あたたかい陽の光のもとにその姿を照らし出されているからです。そう、もうお気づきになりましたね。そうなのです。影がないのです。誰も影を持たないのです。…闇という言葉において示される禁忌な謎は、だいぶの前に排除され、ここにはもうのこっていません。もちろん満足しています、ここでは不満というものは存在しません。思ったこともありません」
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高度経済成長期を経た80年代を生きる如月が見つめるのは、64年のオリンピックも、70年の万博も終わった「その後」の日本の姿だ。つまり60年代に人々が漠然と抱いた明るい未来のその後である。彼女の戯曲からは、どこか出口のない閉塞感の中を生きる漠然とした不安が感じられ、そのせいだろうか、登場人物たちはしばしば一見なんの理由もなく自殺してしまう。ここで「声」が象徴しているのは、楽観的な記憶喪失者を装い、過去を振り返ることを許さぬ命令的な光である。それはなにやら全体主義的な匂いすら感じさせ、管理社会と抑圧された個の関係を表すようであり、また、まるで最近、脅迫的なまでに繰り返されている「スポーツの持つ力」を唱える声ともこだましてくるようではないだろうか。
佐藤はさらに、映画の中でゴジラをますます凶暴にするのが人間の当てるサーチライトの光であることを示し、その光と、舞台上で観客の前で言葉を発している自身に向けられている照明とを呼応させる。
「今ここで光を浴びている私は、人前、ステージの上、カメラの前にいると、 手が震え、声が震え、顔が赤くなります。…燃えたぎるからだでは、あたまもからっぽなので、言葉をいま生み出すこともできず、過去の自分や、過去の誰かが書いた言葉を朗読することしかできません」
どうやら、その光は語り手から自由な言葉を奪うほど暴力的なものであるらしい。事実、レクチャー・パフォーマンスは引用に次ぐ引用から構成され、机に並べられたメモを一つ一つ読み上げていく佐藤の発話は、時に、その主語が不明瞭になり、聞く者を撹乱する。ゴジラが光を当てられて怒るのは、おそらく水爆が発した光を思い出させるからだろう。それでは、現在の佐藤を沈黙させる光とはなんなのだろうか。パフォーマンスでは、他にもところどころで命や死を連想させる光のイメージが現れる。ゴジラの攻撃によって亡くなった人々を鎮魂する歌の歌詞や、岡本太郎が従軍中に中国大陸の夜の暗闇の中で見た、行き倒れて蛆に覆われ月光を受けて白く輝く軍馬などである。佐藤が描く情景の中で、光は両義的なものとして現れてくる。生き物が命を燃焼させて最後に発する輝きとして、また、命を管理し奪う力として。
本作は、ゴジラのストーリーをリニアなナラティブとして援用しつつ、異なる時代に東京を見つめた今は亡き数々の「声」を佐藤が引き受け、連想的に挿入していくことで、今日から東京を語り直す試みであった。佐藤の抑制の効いたフラットな朗読は(これは従来の佐藤のレクチャー・パフォーマンスの特徴でもあるが)、太郎の挑むような語り口やゴジラの迫力とは対照的であった。全体を通して過去からの引用が多用されたパフォーマンスからは、やや固い印象を受けたこともまた事実であるが、今を生きる女性の視点から語り直される都市論としても、これからのプロジェクトの発展に期待したい。 2021年6月現在、緊急事態宣言も解除されないまま、街では昨年巻き戻された時計がカウントダウンをいまも刻み続け、東京はオリンピックという何やら強烈な光へと邁進している。光が強ければ強いほど影は濃くなり、あまりに強い光は対象を焼き尽くし影しか残さない。声を奪うほど光が強いのであれば、私たちは、もっとよく耳を澄まさなくてはいけない。そうして、光の消えた街でふと立ち止まったとき、すぐそばにいるオバケに気がつくのかもしれない。
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[1] 岡本太郎「都市建設への提案/オバケ都市論」『岡本太郎の眼』朝日新聞社、1966年、pp. 224–225
[2] レム・コールハース、ハンス・ウルリッヒ・オブリスト「磯崎新」『プロジェクト・ジャパン メタボリズムは語る…』平凡社、2012年、pp. 31–37
[3] 岡本太郎「〈オバケ〉このアンチ人間」『サンデー毎日』1965年8月29日号、毎日新聞出版、p. 91
[4] 慶應義塾大学アート・センター編『ゴジラとアトム:原子力は「光の国」の夢を見たか』2012年、加藤典洋『さようなら、ゴジラたち 戦後から遠く離れて』岩波書店、2010年などを参照。
[5]如月小春「光の時代」『工場物語』新宿書房、1983年、pp. 118–119
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外山有茉(とやま・あるま)
1989年京都生まれ。ロンドン大学ゴールドスミスでコンテンポラリー・アート・セオリーを修了後、茨城県北芸術祭キュレトリアル・アシスタント、アーカスプロジェクト コーディネーターなどを経て、2021年6月より十和田市現代美術館に勤務。
©︎シアターコモンズ ’21/撮影:佐藤駿
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