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何光さんの話

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日記的な話ですが、何暗さんの話ではありません。 何光さんの話です。 虚実入り乱れています。
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#随想

自分が存在していて、何かをするということ、そこに何の疑問も持たないでいられる人になりたかった

自分に名前があることが、わたしは恥ずかしい。
名前というのは、自分が客観的に見てもこの地球上に存在しているということの明らかなしるしである。
わたしは自分が存在していることが恥ずかしい。名前があるということは、その恥ずかしさを突きつけられることだ。

乗り越えつつあると思っていたけれども、そして乗り越える助けとして何暗という名前を作ったのだけれども、
でもこうやって時々顔を出す。

自分に名前が

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自分が霞んでつかめなくなる頃/文字は楔でありロープの瘤unlike仮名文字

毎月やってくる。
体調が悪いわけでも良いわけでもないときだ。1ヶ月の中で、自分の現在地をつかめない、という感覚に陥る時期がやってくる。

昼が来て夜が来る、というのは時間の移動であるとともに空間的移動(太陽の正面から太陽の死角への移動)である、
という話を聞き及んだことがあるが、空間と時間の把握はたしかに連続していると思う。

現在地がつかめない、と感じるとき、流れてゆく時間もわたしを避けてさらさ

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あのな、カフェインがやべえ

以前もわたしは、これはたぶん抑うつだなという状態になったことがある。臨床心理士の方には薬物療法をすすめられた。そのときは病院通いをせずにすんだが、まあたぶん、行っていれば何かしらの病名がついていただろう。

その後、まったく健やかな自分に戻れたかというとそんなことはないまま何年もたってしまったから、本当は、あの時ちゃんと治療を受けておいたほうがよかったのかもしれない(できない状況にあったのだが)

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隠蔽と恥/ネイルと化粧とフェミニズム

ネイルをする人は、大概は「はげてたり根元が伸びてると恥ずかしい」と感じるだろう。
また何も塗ってないときも、「爪がすっぴんで恥ずかしい」と思うだろう。
一般化した書き方をしたが、すべてわたしが経験した感情だ。

前者はまだわかる。問題は後者だ。生まれたときからずっと爪は裸だったのに、どうしてそれを恥ずかしいと感じるようになるのだろう?
わたしは、別に奇矯な形の爪を持っているわけではない。正直に言え

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抑鬱状態にあったらしい一年と文章を書くということ

喉元を過ぎつつある今、またぐでぐでになったときのために、自分の備忘録として、抑鬱状態にあったときの自分の状況を文章化しておく。
そういう状態になっているときは、まるで自覚がついてこないというのがよくわかったからだ。

と前置きをおいた文章を、わたしは2017年の3月に書いていた。

今それを掘り起こし、読み返すと、思い出し、また気づく点もある。抑鬱状態でなくても自己肯定感の足りないわたしだが、抑鬱

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体への信頼

学区指定の小学校は体育の研究指定校で、わたしはとても体育が苦手だった。
ぼんやりしてるし、何をしても遅いし、体もそんなに強くない。声が高いのが恥ずかしくって、大きな声を出せなかった。
そんなだから学校の行事や体罰だらけの方針にはいっこうついていけなくて、わたしは自分の体への不信感を根強く持っていた。

その小学校や先生のことが大嫌いだったもので、お前らの生徒はお前らのおかげでこんなに不健全で体を動

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空は高かった/汐月しゅうさんにまつわるいくつか

汐月しゅうさんのファンになったことは、たぶん、一つの転機だった。

汐月しゅうさんのお名前は、美少女戦士セーラームーンのミュージカル経由で知った。わたしはセーラームーン世代であり、大学生の頃からは海王みちるさんの信奉者である。セーラームーン25周年の諸企画がターゲットとしていた中の一人だろう。

ただ、わたしにはわたしの愛し方があり、タイミングがある。舞台がそのとき、その場所だけのものだとは承知し

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時間がすぎていってしまう。こわい。

さまよっていたレンズが不意に焦点にゆきあたる。手さぐりで時刻は5時35分、天窓はまだ暗いが、足元の窓には曙光の末がある。

ベッドからずり落ちかけたデニムを掴み、上体を起こす。朝一番に着替えることができるかどうか。これがいのちの明暗を決める。衣服、これこそが人間を人間として生かした最大のものだ。
火、二足歩行、そんなものはどうだっていい。自分の身体のテクスチャを自分で加工できる。自分の身体を自分の

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言葉と恋の話

長年好きだった人がいたけれど、突然ふっきれた。

付き合ったのは期間にしておよそ1年弱。その後、2年ほど片思いをした。

相性が悪いのは重々わかっていた。しかしそれは一番上のぼたんをかけ違えたシャツはその下をどう頑張ってもうまく着られないというような話であって、その一番上のぼたんを最初にかけ違えたというそれだけのために、諦めないといけないなんてのはあんまりひどい。

だってかの人は、わたしが知って

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